第81話 氷の家系
エルナの父はしばらくユアンを見つめていた。暖炉の火がはぜる音だけが広間に響く。やがて彼は静かに口を開いた。
「時間をくれと言うが具体的に何をしてくれるつもりだ」
「まずヴェルモント家について教えてください。なぜグランフォート領を狙っているのか。なぜエルナの氷属性を欲しがるのか」
「……ヴェルモント家は代々氷の魔導師を輩出してきた名家だ。だがここ数代は跡継ぎに恵まれず氷属性の血が薄れている。一方エルナは極めて高い氷属性の魔力を持って生まれた。向こうからすれば是が非でも欲しい血だ」
「つまり家の存続のためにエルナが必要と」
「そうだ。そしてグランフォートには古い氷の魔導書が眠っている。ヴェルモント家がそれを欲しがっている」
ユアンはエルナを見た。彼女は唇を噛みしめていた。その表情からこの話を以前から知っていたことがうかがえた。
「エルナ。その魔導書とは」
「……家宝よ。グランフォート家に代々伝わる古代の氷魔法の書。でも私まだ開いたこともない。父が厳重に保管していて」
「それだけの価値がある書物なのか」
「わからない。でもヴェルモント家が欲しがるくらいだからきっとすごいものなのよ」
ユアンは考え込んだ。エルナの実家の問題は単純な政略結婚ではない。領地と家宝と血筋が絡み合っている。
「お父様。その魔導書を私が解読してみてもいいですか」
「なに?」
「私はリリスノアで魔法医療顧問をしています。古代魔法文明の文献も扱っています。もしかしたらその魔導書の価値を正しく評価できるかもしれません」
エルナの父は眉をひそめた。しかしユアンの目は真剣だった。
「……エルナ。お前も同じことを言うか」
「お父様。ユアンは信頼できる人です。それに私もその魔導書のことをちゃんと知りたい。家を出てからずっと気になっていたから」
「ふむ」
父はしばらく考えていたがやがて立ち上がった。
「ついて来い。書庫にある」
書庫は館の地下にあった。分厚い鉄の扉を開けるとひんやりとした空気が流れ出てくる。棚には古い巻物や革装の書物がぎっしりと並んでいる。その奥まった一角に埃をかぶった木箱があった。
「これだ」
父が鍵を開ける。中には一冊の分厚い書物が納められていた。表紙には氷の結晶を模した紋章。エルナは息を呑んだ。
「これがグランフォートの氷の魔導書」
ユアンがそっと手を伸ばす。その瞬間だった。
「――動くな」
背後から冷たい声が響いた。振り返ると書庫の入り口に黒い外套をまとった男が立っている。その後ろにはさらに三人。手には氷の魔法陣が浮かんでいた。
「ヴェルモント家の者だな」
エルナの父が低く言う。男はにやりと笑った。
「ご名答。グランフォートの当主殿。我々は魔導書を受け取りに来た。ついでにエルナ嬢も連れて行かせてもらう」
「貴様らここに侵入するとは」
「表の警備はもう片付けた。おとなしくしていれば誰も傷つかない」
ユアンは静かにエルナの前に立った。フィアが猫耳を立てルーチェが聖印を握る。テオバルトはすでに聖剣の柄に手をかけていた。
「……お父様。下がっていてください」
「何を言うエルナ」
「ここは私が何とかします。ユアンみんな力を貸して」
「ああ」
ユアンは小さくうなずいた。ヴェルモント家の男たちが一斉に魔法を放つ。氷の矢が書庫を埋め尽くすように飛来した。
「――《氷結防壁》」
エルナが即座に防御魔法を展開する。同じ氷属性の魔法がぶつかり合い書庫の中に激しい冷気が満ちた。
「ほうグランフォートの娘。なかなかやるではないか」
「あなたたちに家宝は渡さない」
「ならば力ずくで奪うまで」
男たちが詠唱を始める。だがその時ユアンの胸元の星晶石が輝いた。
「――《状態異常解除》」
銀色の光が書庫を包む。ヴェルモント家の者たちが身にまとっていた強化魔法が一瞬で消え去った。
「なに……!」
「悪いが俺は回復術師だ。あなたたちの強化魔法は全部なかったことにさせてもらった」
「ふざけた真似を!」
男が短剣を抜いて襲いかかる。しかしフィアが影から飛び出しその腕を払った。
「ユアンに触るにゃ!」
ルーチェの聖光が男たちの動きを止める。テオバルトが前に出て静かに告げた。
「君たちはもう負けている。武器を捨てたまえ」
「く……」
ヴェルモント家の男たちは次々と武器を落とした。ユアンは彼らの前に歩み寄り一人ひとりに手をかざした。
「――《全快癒光》」
「なにをする」
「傷を治しただけだ。あなたたちも誰かのために戦っているんだろう。なら無駄な傷は残さない」
男たちは呆然とした。やがて一人がぽつりとこぼした。
「……なぜだ。我々は敵だぞ」
「敵とか味方とか関係ない。俺はヒーラーだ。目の前で傷ついた人がいれば治す。それだけだ」
その言葉に男たちは何も言えなかった。やがてうつむきながら書庫を去っていった。
エルナの父はその一部始終を見ていた。そして静かに言った。
「……ユアン殿。あなたという人は」
「当主様。ヴェルモント家の問題はこれで終わりではないでしょう。彼らも家の存続のために必死なのです。だから対話の道を探したい。魔導書のことも含めて」
「対話だと。向こうは武力で奪おうとしたのだぞ」
「武力で奪おうとしたのは追い詰められていたからです。ならば追い詰めない道を作ればいい。グランフォートとヴェルモントが共存できる道を」
父はしばらく沈黙していた。やがて深いため息をついた。
「……エルナ。お前の選んだ道は間違っていなかったようだ」
「お父様」
「ユアン殿。魔導書を調べてくれ。そしてヴェルモントとの交渉の席を設けてほしい。私も同席しよう」
「ありがとうございます」
エルナはほっと息をついた。ユアンは彼女の肩にそっと手を置いた。
「エルナ。お前の故郷を守る方法を一緒に考えよう」
「うん。……ありがとうユアン」
エルナの目に涙が光っていた。でもそれは悲しみの涙ではなかった。
その夜ユアンたちはグランフォート家に泊めてもらった。エルナの母が作った温かいシチューを囲みながらみんなでこれからのことを話し合った。
「ヴェルモント家との交渉か。難しそうね」
「でもユアンなら何とかするでしょ。あたしは信じてるにゃ」
「私もです。先生ならきっと」
「ありがとうみんな。でも今回は俺だけじゃ足りない。エルナの力が必要だ」
「私の力?」
「ああ。グランフォートの氷属性とヴェルモントの氷属性。二つの家が手を組めば新しい氷魔法の道が開けるかもしれない。お前ならそれができる」
エルナはしばらくユアンを見つめていた。そして小さく笑った。
「あなたって本当にすごい人ね。そんな発想私にはなかった」
「ただの回復術師の考えだよ。傷を癒やすにはまず原因を見つけて取り除く。敵対も同じだろ」
「ふふ。そうね」
エルナはユアンの手をそっと握った。その手はもう震えていなかった。
翌朝ユアンたちはヴェルモント家へ向かう準備をした。エルナは実家の書庫から魔導書を持ち出しユアンに手渡した。
「これがグランフォートの宝。ユアンあなたに預ける」
「いいのか」
「あなたならこの書の本当の価値を見つけられる。私はそう信じてる」
「……わかった。必ず価値ある答えを見つける」
ユアンは魔導書を胸に抱えヴェルモント家への道を歩き始めた。新たな交渉の舞台が待っている。でも今回はエルナが隣にいる。それだけで心強かった。




