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第77話 エレオノーラ


侯爵に案内され、ユアンたちは屋敷の奥、塔の最上階へと向かった。


螺旋階段を上り、重厚な扉の前に立つ。侯爵は、一度深く息を吸ってから、静かに扉をノックした。


「エレオノーラ。私だ。……客を連れてきた。入るぞ」


返事はない。だが、侯爵は構わず、扉を開けた。


部屋の中は、驚くほど質素だった。華美な装飾はなく、白いカーテンが揺れる窓辺に、小さな寝台が一つ。その上に、少女が横たわっている。年の頃は、十五歳ほど。栗色の髪は、枕の上に広がり、肌は、病人とは思えないほど、透き通るように白い。まるで、眠り続ける人形のようだった。


「……エレオノーラ。こちらは、リリスノアの特別顧問、ユアン殿だ。お前の病を、治してくれるという」


侯爵の声に、少女は、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、深い紫色。だが、その輝きは、どこか、ぼんやりとしていた。


「……お父様。その方は、本当に、私の病を治せるの? 今まで、たくさんの人が、治すと言って、治せなかったのに」


「……ああ。私も、半信半疑だ。だが、この男は、他の誰とも違う。世界の傷を癒やしたと、そういう男だ」


「世界の、傷……」


エレオノーラは、ゆっくりと、ユアンの方を向いた。ユアンは、静かに、彼女の枕元へ歩み寄り、膝をついた。そして、そっと、手を取る。


「はじめまして、エレオノーラさん。俺は、ユアン。魔王城の専属ヒーラーです」

「……はじめまして。私、エレオノーラ。ずっと、寝てばかりで、ごめんなさい」

「謝らないでください。……それより、少し、診させてもらえますか」


ユアンは、エレオノーラの手を、そっと握り、魔力を流し込む。彼女の体内を、丁寧に、探っていく。ルーチェも、隣に立ち、聖属性の感知を、彼女に当てた。そして、二人は、同時に、息を呑んだ。


「……これは」

「先生。この病、ただの病じゃないです。彼女の身体の中に、別の何かが、寄生しているみたい……。でも、呪いとも違う。もっと、深いところに、根を張っている」


「ああ。わかる。……エレオノーラさん。あなたは、いつから、この状態に?」

「……五歳の頃。ある日、急に、身体が動かなくなって。それから、ずっと、こんな感じ。……眠っている間は、夢を見るの。いつも、同じ夢。広い、広い、暗い場所で、誰かが、私を呼んでいる夢」


「誰かが、呼んでいる?」

「うん。声は、聞こえないの。でも、すごく、寂しそうで。……私、その声を、助けてあげたいって、思うの。でも、身体が動かなくて。それで、ずっと、そのまま」


ユアンは、エレオノーラの言葉を、かみしめた。彼女の病は、単なる身体の不調ではない。彼女の魂に、何かが、絡みついている。それは、呪いや、毒ではなく、もっと、根源的なもの。世界の傷に、似ている。だが、もっと、個人的な、痛み。


「……エレオノーラさん。あなたの病は、治せます」

「……本当?」

「本当です。ただ、少し、時間がかかる。……あなたの中にいる、その『寂しい誰か』と、ちゃんと向き合う必要がある。でも、俺は、必ず、治してみせる」


ユアンは、エレオノーラの手を、強く握った。彼女の紫色の瞳に、初めて、光が宿る。


「……信じても、いいの?」

「ああ。信じてくれ」


ユアンは、立ち上がり、侯爵に向き直った。


「侯爵。これから、彼女を治します。ですが、その前に、この屋敷の中にいる、聖教会の残党を、なんとかしないといけません。彼らが、彼女の病に、何らかの形で、関わっている可能性が高い。……協力してくれますか」


侯爵は、一瞬、迷った。だが、娘の瞳に、久しぶりの光を見たことで、彼の中で、何かが、決定的に、変わった。


「……わかった。私の屋敷に、聖教会の残党が、何人か、潜伏している。彼らは、私に、リリスノアを潰せと、脅してきた。娘の病を、治す代わりにな。……だが、もう、いい。私は、父親として、娘を、救いたい。ユアン殿。どうか、私に、できることを、させてほしい」


「ありがとうございます、侯爵。……では、まず、屋敷内の残党を、無力化します。エルナ、フィア、頼めるか」

「もちろんよ。……フィア、場所はわかる?」

「とっくに把握してるにゃ! 屋敷の西棟に、三人。地下に、二人。それから、侯爵の執務室の隣の部屋に、一人にゃ。全部で、六人にゃ!」

「よし。エルナとフィアで、西棟と地下を。俺とルーチェで、執務室周りを。侯爵は、ここで、娘さんを守っていてください」

「わかった。……ユアン殿。頼んだぞ」


ユアンたちは、迅速に、屋敷内を制圧していく。エルナの氷魔法が、残党の動きを封じ、フィアの影が、彼らを無力化する。ルーチェの聖光が、彼らの戦意を、優しく削いでいく。そして、ユアンは、彼らに、こう語りかけた。


「あなたたちを、罰するつもりはない。ただ、もう、誰かを傷つけるのは、やめてほしい。……その代わり、あなたたちの傷も、俺が治す。教会に、居場所を失ったのなら、リリスノアに来い。俺たちは、誰も、見捨てない」


残党たちは、次々と、武器を捨て、涙を流した。彼らもまた、聖教会の衰退の中で、居場所を失った者たちだった。ユアンの言葉は、彼らの心の奥底に、深く、染み渡った。


全ての残党を無力化した後、ユアンは、再び、エレオノーラの部屋へと戻った。


「……エレオノーラさん。待たせた。……今から、治す」

「うん。……ユアン様。私、怖い」

「大丈夫。俺が、ついてる」


ユアンは、エレオノーラの両手を、そっと握り、目を閉じた。そして、彼女の魂の奥深く、あの『寂しい誰か』へと、語りかけた。


「……聞こえるか。俺は、ユアン。エレオノーラを、助けに来た。……君も、助けたい。君が、誰なのか、わからない。でも、君の痛みは、俺にも、わかる。……だから、もう、彼女を、縛らないでくれ。君の寂しさも、俺が、癒やす」


ユアンの胸元の星晶石が、まばゆく輝く。銀色の光が、エレオノーラの全身を包み込んだ。彼女の体内に巣食っていた何かが、ゆっくりと、光の中に、ほどけていく。それは、五歳のエレオノーラが、偶然、触れてしまった、古い、古い、魂の欠片。かつて、この地で、誰にも看取られずに、亡くなった、一人の少女の、無念だった。


「――《完全回復》」


光が、弾ける。エレオノーラの身体を、長年、蝕んできたものが、完全に、消え去った。彼女は、ゆっくりと、目を開ける。その紫色の瞳は、驚くほど、澄んでいた。


「……あ。……身体が、軽い。……お父様。私、動ける」


エレオノーラは、ゆっくりと、起き上がった。十五年ぶりに、自分の足で、ベッドから、降り立つ。侯爵は、その姿を見て、涙を流した。


「エレオノーラ……! エレオノーラ……!」


「お父様……! ありがとう、ユアン様……!」


親子が、抱き合う。ユアンは、その光景を、静かに見守った。エルナ、ルーチェ、フィアも、部屋の入り口で、涙をぬぐっている。


「……侯爵。これで、あなたの借りは、返しました。……あとは、この国を、どうするかです」

「……ああ。ユアン殿。私は、リリスノアと、正式に、同盟を結ぶ。聖教会の残党には、もう、与しない。……この国を、あなたたちと共に、新しい時代へと、導きたい」


「ありがとうございます、侯爵。……では、王宮へ。国王陛下に、お会いしたい」


ユアンは、力強く、うなずいた。形勢は、完全に、ユアンたちに、傾いた。あとは、王を説得し、セレンディア王国を、リリスノアの同盟国とすること。新たな一歩が、ここから始まる。


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