第73話 隠れ家
セレンディア王国への道のりは、険しかった。
ベリルの指示通り、一行は北の山脈を越える古道を進んだ。かつて交易路として栄えたその道は、今は草木に覆われ、所々で崩落している。だが、フィアの猫耳と鼻が、安全な足場を正確に見つけ出し、エルナの氷魔法が、滑りやすい岩肌を固めてくれた。ルーチェの聖属性感知は、山中に潜む魔物の気配をいち早く察知し、ユアンは、疲れた仲間の足を癒やしながら、一歩ずつ前へ進んだ。
「……見えてきたにゃ」
山脈の尾根を越えたところで、フィアが立ち止まり、眼下を指さした。そこには、広大な平野が広がっている。中央を大きな川が流れ、その両岸に、白い石造りの街並みが続いていた。セレンディア王国の王都、そのものだ。
「これが、セレンディア……。イストリアとは、また違う美しさね」
エルナが、息を呑んで言った。王都の中心には、白亜の王宮がそびえ、周囲には聖教会の尖塔がいくつも並んでいる。だが、よく見れば、街のあちこちに、人の姿が少ない。市場らしき場所にも、活気がない。
「……やはり、聖教会の衰退は、この国にも影を落としているわ」
セレスティア王女が、静かに言った。
「セレンディアは、聖教会との結びつきが強すぎた。教会が没落した今、我が国は、新たな支柱を失って、揺れている。だからこそ、貴族たちは、リリスノアを敵にすることで、国内の不満をそらそうとしているのです」
「……そんなことをして、何になるんだ」
「何もなりません。でも、彼らは、それしか知らない。変化を恐れ、新しいものを受け入れられない。……私の国は、古い殻に閉じこもっているのです」
王女の声には、深い悲しみが滲んでいた。ユアンは、何も言わずに、彼女の肩にそっと手を置いた。
「王女様。俺たちが、その殻を破ります。……必ず」
「ユアン様……」
一行は、山道を下り、王都の外れへと向かった。都に入る前に、まずは王女が用意したという拠点へ向かう。王女が先導し、人通りの少ない裏道を進んでいく。王都の外れ、古い運河沿いに、ひっそりと建つ石造りの建物があった。外見は、ただの倉庫にしか見えない。だが、王女が鍵を開け、中に入ると、そこは、驚くほど整った隠れ家だった。
「ここは、私が子供の頃から、自由に使っていた場所です。王宮の外に、どうしても出たくなった時に、よくここに来ていました。……誰にも知られていません」
中は、簡素だが、清潔だった。寝台が五つ、暖炉、小さな厨房、そして壁には、セレンディアの地図が貼られている。窓には、外から中の様子がわからないように、厚いカーテンがかかっていた。
「すごいにゃ! こんな場所があったなんて!」
「フィアさん、声が大きいですよ。……でも、本当に、落ち着く場所ですね」
「暖炉があるなら、料理もできるわね。ユアン、食材はどうする?」
「とりあえず、俺が少し街に出て、情報を集めてくる。王女様、この辺りの地理と、怪しまれない服装を教えてくれないか」
「はい。この建物の地下に、昔の使用人たちが着ていた古い服があります。それを着れば、街の下働きに見えるでしょう。……でも、ユアン様、一人で行くのは危険です」
「大丈夫。俺は、目立たないから」
「にゃー! ユアン、それ、絶対に嘘にゃ! ユアンの癒やしの力、目立つに決まってるにゃ! あたしも行くにゃ!」
「フィア、お前、猫耳は隠せても、尻尾があるだろ。セレンディアでは、獣人は珍しい。目立つ」
「うー……じゃあ、どうするにゃ」
「私が行くわ」
エルナが、立ち上がった。
「私なら、人間の貴族の娘に見える。セレンディアには、エルフの血を引く貴族も多いから、私の外見は、それほど珍しくない。それに、氷魔法で、いざとなれば身を守れる。……ユアン、私と二人で、街に出ましょう」
「エルナ……」
「何かあったら、私が守るわ。今度こそ、あなたを一人で行かせない」
エルナの目は、真剣だった。ユアンは、少し考えて、うなずいた。
「わかった。エルナ、頼む。ルーチェ、フィア、王女様を頼む。ルーチェは、王女様の護衛と、拠点の結界を。フィアは、周囲の警戒を」
「了解にゃ!」
「任せてください、先生」
「私も、少し休んだら、街の情報を集めてきます。昔の伝手が、まだ使えるかもしれません」
「無理はするなよ、王女様」
四人は、それぞれの準備を始めた。ユアンとエルナは、地下で見つけた古い服に着替え、街へと繰り出す。王都の夕暮れは、どこか寂しげで、聖教会の鐘の音が、遠くで鳴っていた。
「……ユアン。この街、思ったより、深刻ね」
「ああ。聖教会が支えていた部分が、大きすぎたんだろうな。人々の心のよりどころが、ごっそり抜け落ちている」
「リリスノアが、その代わりになれるのかしら」
「わからない。でも、俺たちの癒やしが、何かの助けになるなら。……試してみる価値は、あるはずだ」
「そうね。……行きましょう、ユアン。まずは、この街の人たちが、何を考えているのか、知ることから」
二人は、夕闇に紛れて、王都の市場へと足を踏み入れた。その先に、何が待っているのか、まだ知らないまま。




