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第71話 姫君の秘密


朝の光が医療区画の窓から差し込む頃、ユアンはすでに診療室に立っていた。


昨夜、エルナとルーチェとフィアにたっぷり癒やされたおかげで、身体の芯に残っていた疲労は、驚くほど軽くなっている。魔力も完全ではないが、昨日よりはずっと回復していた。


「ユアン先生、今日の予約患者、すでに三百人を超えています」

「三百……昨日の半分か。だいぶ減ったな」

「いえ、それが――」


ルーチェが、少し困った顔で羊皮紙を差し出した。


「国外からの患者が、昨日より増えているんです。それも、身分を隠して来ている方が何人も。明らかに貴族の使用人を連れていたり、王宮の紋章がついた馬車で来たり。……今朝は、特に怪しい方が一人」


「怪しい方?」


「ええと、その、若い女性なんですが、付き人を三人連れていて、服装は庶民のものなのに、靴だけが王族級の刺繍入りで。それに、話し方がどう見ても、庶民のそれじゃないんです」


ユアンは首をかしげた。身分を隠して治療を受けに来る貴族は、この一週間で何人もいた。だが、明らかに王族の風格を漂わせる女性となれば、話は別だ。


「とりあえず、診てみよう。順番に案内してくれ」


「はい。……あ、あの、先生。彼女、名前を『セラ』と名乗っていましたが、おそらく偽名です」


「わかった。とりあえず、いつも通りにやるよ」


ユアンは白衣の袖をまくり、診療室の扉を開けた。


最初の患者は、隣国の商人だった。持病の腰痛を癒やし、次の患者は、近隣の村から来た子供で、高い熱を治した。順調に診療を進め、十人目。ユアンは、ようやくその「怪しい女性」の前に立った。


彼女は、診療室の椅子に静かに腰掛けていた。年の頃は、ユアンと同じか、少し下だろうか。栗色の髪を簡素な布でまとめ、粗末なワンピースを着ている。だが、ユアンは一目でわかった。この少女の背筋の伸び方、手の置き方、視線の動かし方。どれも、庶民のものではない。幼い頃から、王族としての所作を叩き込まれてきた者だけが持つ、独特の気品があった。


「はじめまして。ユアンです。今日は、どうされましたか」


「……はじめまして。私は、セラと申します。あの、その、疲れが取れなくて。どこか悪いわけではないのですが、どうにも身体が重くて」


「セラさん、ですね。少し、失礼します」


ユアンは、彼女の手を取った。指先に触れた瞬間、かすかな違和感を覚える。この手は、労働の痕がない。それどころか、宝石を外した痕まである。普段、相当な貴金属を身につけている証拠だ。


(間違いない。この娘は、かなりの身分の持ち主だ)


ユアンは、何も言わずに、《全快癒光》を発動させた。純白の光が少女を包み、彼女の顔色がみるみる良くなっていく。


「……ああ、すごい。身体が軽くなりました。ありがとうございます」

「よかった。……ところで、セラさん。あなたは、どちらの国から?」

「……え?」

「この疲労は、長旅によるものです。少なくとも、三日は馬車に揺られていますね。それも、かなり慌てて出発した形跡がある。何か、急ぎの用でもあったんですか?」


少女は、はっと息を呑んだ。ユアンの観察眼に、驚いているらしい。しばらく迷った後、彼女は意を決したように、顔を上げた。


「……ユアン様。あなたは、お気づきですね」

「何となく。あなたは、ただの庶民じゃない。それに、この診療室に、付き人も連れずに紛れ込むなんて、普通はできません。相当な地位の方でしょう」

「はい。……申し訳ありません。私は、セレンディア王国の第一王女、セレスティア・フォン・セレンディアと申します」


その瞬間、診療室の外で、ルーチェが息を呑む気配がした。ユアンも、内心で驚いた。セレンディア王国は、大陸の西に位置する、豊かで閉鎖的な国だ。リリスノアとの外交関係は、まだ正式には結ばれていない。にもかかわらず、その第一王女が、身分を隠して単身、魔王城に現れた。普通ではない。


「王女様が、なぜ、こんなことを」

「理由をお話しする前に、ユアン様。どうか、私の話を聞いていただけませんか。……私の国が、あなたの国を、潰そうとしているのです」


ユアンは、すぐにベリルとエルナを呼んだ。診療室の扉を閉ざし、四人で話をする。王女は、意を決したように、自国の内情を語り始めた。


「セレンディア王国は、建国以来、聖教会と深く結びついてきました。聖教会の教えを国教とし、聖騎士団の本拠地の一つでもあります。……ですが、聖教会が衰退した今、我が国は、新たな後ろ盾を失いました」


「それで、リリスノアを?」

「はい。我が国の貴族たちは、リリスノアの急成長を恐れています。魔王軍が人間の国を呑み込んだと思っている。そして、セレンディアこそが、新たな聖教会の中心となるべきだと。……そのために、まずリリスノアを潰す。表向きは友好国を装い、裏で経済封鎖と軍事包囲の準備を進めているのです」


「それは、確かな情報か?」


ベリルが、鋭い声で尋ねる。セレスティアは、力強くうなずいた。


「はい。私は、父王の傍らで、その会議に出席していました。反対しましたが、聞き入れられませんでした。……だから、こうして、ユアン様に警告に来たのです。私の国は、あなたの癒やしの力が広まることを、何よりも恐れています。なぜなら、癒やしが広まれば、人々は聖教会を必要としなくなる。それは、セレンディアの存在意義を、根底から揺るがすことだからです」


「……だから、潰す」

「はい。もはや、武力ではなく、政治と経済の戦いです。リリスノアは、まだ生まれたばかり。外交基盤も、経済基盤も、盤石ではありません。そこを、じわじわと囲い込む。……時間は、ありません」


ユアンは、拳を握りしめた。新しい国を創った。だが、それに対する脅威は、すでに動き始めていた。戦う力ではなく、癒やしの力で世界を変えようとしているのに、その癒やしそのものを恐れる勢力がいる。


「王女様。よく、単身で来てくれました」

「私は、平和を願っています。リリスノアの理念に、心から共感しています。だから、あなたに、この情報を届けたかった。……どうか、私の国を、そしてリリスノアを、救ってください」


セレスティアは、深く頭を下げた。ユアンは、そんな彼女の手を、そっと取った。


「王女様。俺は、回復術師です。戦う力はありません。でも、誰かを癒やすことはできます。あなたの国も、リリスノアも、そしてこの世界も。……必ず、道を探します」


「ユアン様……!」


セレスティアの目に、涙が浮かんだ。ベリルは、腕を組み、静かに言った。


「セレンディア王国か。情報は、ゲンマに確認させる。エルナは、ユアンを守れ。ルーチェは、王女の身柄を、厳重に保護しろ。フィアには、王女の護衛と、城内の警戒を命じる」

「「「了解」」」


ベリルは、ユアンを見た。

「ユアン。お前は、また厄介なものを拾ってきたな」

「……うん。でも、放っておけないだろ」

「ああ。お前らしい。……さて、新しい戦いの始まりだ。今回は、剣ではなく、頭脳と忍耐の戦いになる」


窓の外では、リリスノアの旗が、風に揺れていた。新しい国に、また新たな影が差し込もうとしている。だが、ユアンはもう、一人ではない。


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