第69話 深夜の打ち上げ
建国式典と晩餐会が終わったのは、日付が変わる少し前だった。
ユアンは自室に戻ると、礼服を脱ぎ捨て、寝台に倒れ込んだ。今日一日で、どれだけの人と話しただろう。どれだけの杯を交わしただろう。足は棒のようだし、顔の筋肉は笑いすぎて痛い。だが、それ以上に、胸の奥が温かかった。今日という日を、仲間と共に迎えられたこと。それが、何より嬉しかった。
(もう、寝よう)
目を閉じた、その時だった。
コン、コン。
「ユアン、起きてる?」
エルナの声だった。それに、複数の気配が重なっている。
「……起きてるよ。入っていい」
扉が開くと、そこには、エルナ、ルーチェ、フィアの三人娘に加えて、ベリル、ゼクス、ゲンマ、ドルガの四天王まで揃っていた。さすがのユアンも、目を丸くする。
「な、なんだ、この面子は」
「せっかくだから、打ち上げをしようと思ってにゃ!」
「打ち上げ?」
「そうです。建国式典、お疲れさまでしたって。私たちも、ユアン先生も、今日は本当に頑張りましたから」
「それに、四天王も揃って、たまにはこういうのもいいだろうと。ベリルが言い出したのよ」
「エルナ、余計なことを言うな」
ベリルが、少しだけ照れくさそうに眼鏡を押し上げる。ゼクスは無言で、手に酒瓶を提げている。ゲンマは仮面の奥で、静かに笑っているようだ。ドルガは「まあ、座れや」と、どっしりと床に腰を下ろした。
「お前たち……もう深夜だぞ」
「だからいいんじゃないですか。誰にも邪魔されない時間です」
「ルーチェ、お前まで」
「あたしは、ユアンが寝る前に、どうしても一緒に飲みたかったにゃ!」
フィアは、もうユアンの腕に抱きついている。エルナも、ユアンの反対側にそっと腰を下ろした。ルーチェは、持ってきたハーブティーのポットをテーブルに置きながら、「先生、これをどうぞ」と微笑む。
「……わかったよ。少しだけな」
ユアンは、寝台から起き上がり、部屋のテーブルを囲んだ。ドルガが酒を注ぎ、ゲンマが乾いた果実をつまみに配る。ゼクスは、無言で全員の杯を満たしていく。ベリルが、静かに杯を掲げた。
「では――リリスノアの建国、そして、俺たちの新たな門出に。乾杯」
「「「乾杯!」」」
ユアンは、杯を傾けながら、ふと、目の前の光景を見渡した。四天王に、エルナ、ルーチェ、フィア。かつては、敵だった者たち。かつては、自分を見捨てた世界の住人。それが今、こうして同じ部屋で、笑い合っている。
「なあ、ユアン。何を考えてる」
ドルガが、豪快に酒を飲みながら尋ねた。
「……いや。俺、魔王城に来たばかりの頃は、こんな日が来るなんて、想像もできなかったなって」
「だろうな。俺もだ。まさか、人間の小僧と、こうして酒を酌み交わすとは思わなかった。――だが、悪くない」
「ドルガさん……」
「お前が来てから、城が明るくなった。兵士たちも、飯を楽しみにするようになった。バルザックの野郎も、嬉しそうに料理を作ってる。……全部、お前のおかげだ」
「そんなことないですよ」
「謙遜するな。俺は、お前を認めてる。魔王軍四天王、鉄拳のドルガが、お前を仲間だと認めてるんだ。堂々としてろ」
「……ありがとうございます」
ゲンマは、静かに杯を置き、仮面の奥から言った。
「私は、情報を扱う仕事柄、どうしても人間を疑ってしまう。だが、ユアン殿。あなたは、私の間者の報告と、実際の行動が、一致していた。珍しいことだ。信用できる人間は、少ない。あなたは、その数少ない一人です」
「ゲンマさん……」
「これからも、その誠実さを失わないでほしい。国は、大きくなる。だが、あなたが原点を忘れなければ、リリスノアは、良い国になる」
「はい。心に留めておきます」
ゼクスは、何も言わなかった。ただ、ユアンの杯が空になると、黙って注ぎ足した。それだけで、十分だった。彼の無言の激励が、ユアンには伝わっていた。
三人娘は、深夜のテンションもあってか、いつもよりずっと積極的だった。
「ユアン、今日の式典、本当にかっこよかったわよ。あの癒やしの光、会場が全部、あなたのものだった。……私、あの光を見て、改めて思ったの。あなたの隣に立っているのは、私でいたいって」
エルナは、そう言って、ユアンの腕に自分の腕を絡めた。普段なら、すぐに離すのに、今夜は離さない。少しだけ火照った頬が、酒のせいだけではないことを、ユアンは悟った。
「先生。私、今日、先生の隣で、ずっと祈っていました。先生の癒やしが、みんなに届きますようにって。……そしたら、なんだか、先生と一緒に、世界中を癒やしている気分になったんです」
ルーチェは、ユアンの反対側に座り、そっと肩にもたれかかる。ハーブティーの香りと、彼女の聖属性の温かな気配が、ユアンを包み込んだ。
「ユアン! あたし、今日、警備で、ユアンのこと、ずっと見てたにゃ! すごく綺麗で、すごく強くて、あたしの自慢の相棒だったにゃ! ……だから、今夜は、離れないにゃ!」
フィアは、ユアンの膝の上に頭をのせ、猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす。その仕草が、あまりにも無邪気で、ユアンは思わず笑ってしまった。
「お前たち……本当に、今夜は、積極的だな」
「だって、建国の日だもの。特別な日に、特別なことを言いたいじゃない」
「そうです。今日くらい、先生を独り占めしても、許されますよね」
「許されるにゃ! 誰が文句を言うにゃ!」
ベリルは、その光景を見て、深いため息をついた。
「……お前たち、ほどほどにしろよ。ユアンも、疲れているんだ」
「ベリル様、だって、今日は特別なんです」
「わかってる。だから、俺も付き合っているんだろうが」
ベリルは、そう言って、静かに杯を傾けた。その横で、ゼクスが無言で、ユアンの前に、小さな包みを置いた。開けてみると、手作りの干し肉だった。
「……ゼクス、これ」
「明日の朝、食え。疲れている時は、滋養が必要だ」
「……ありがとう。お前、本当に、優しいな」
「……うるさい」
ゼクスは、兜を被り直し、そっぽを向いた。だが、その耳が、少しだけ赤くなっていたのを、ユアンは見逃さなかった。
ユアンは、四人の仲間と三人娘に囲まれ、杯を重ねた。話は弾み、笑い声が絶えず、気がつけば、窓の外が白み始めていた。
「……もう、朝か」
「にゃー! 夜通し、飲んじゃったにゃ!」
「私、少し寝ます……すぅ」
「ルーチェ、寝るならベッドで寝なさい。風邪を引くわよ」
「エルナさんも、顔に隠れ蓑がついてますよ」
「……フィア、それは、化粧が落ちたって言いたいの?」
「にゃはは! 図星にゃ!」
朝焼けが、部屋の中を金色に染めていく。ユアンは、床に転がる仲間たちを見て、静かに笑った。かつての自分なら、こんなに賑やかな夜は、想像もできなかった。だが、今は、この騒がしさが、何よりも愛おしい。
「みんな、ありがとう。……俺、本当に、ここに来てよかった」
ユアンは、小さく呟いた。その言葉は、誰にも聞こえなかったけれど、確かに、朝の光の中に溶けていった。




