第68話 晩餐会の夜
祝宴は、魔王城の大広間で開かれた。
天井には無数の魔法灯が吊るされ、壁にはリリスノアの国章と各国の旗が並んでいる。長いテーブルには、バルザックが腕によりをかけた料理が所狭しと並んでいた。魔界の香草を使ったロースト、人間の王国風の煮込み、獣人たちが喜ぶ豪快な串焼き、エルフの里の伝統的な果実酒。どれもこれもが、リリスノアの「混ざり合い」を象徴するような品々だった。
「ユアン殿」
最初に声をかけてきたのは、イストリア王国のアルドリック三世だった。白髭を蓄えた老国王は、杯を片手に、にこやかに近づいてくる。その後ろには、イストリアの重臣たちが数人、控えている。
「本日は、誠におめでとうございます。まさか、あのユアン殿が、一国の建国を成し遂げるとは。いやはや、世の中はわからぬものだ」
「陛下、恐れ入ります。俺は、ただの回復術師です。国を創ったのは、リリス様と、ベリルたちです」
「はっはっは。謙遜なさるな。あなたが魔王城に来てから、あの城は変わった。我が国も、あなたのおかげで救われた。……それに、あなたは、かつて我が国を追われた身。それでも、こうして再び、我が国の王と杯を交わしている。これこそ、歴史の妙というものだ」
「……はい。本当に、そう思います」
ユアンは、杯を軽く掲げ、アルドリック三世と酌み交わした。かつて自分を「無能」と呼んだ国。その王が、今はこうして、自分の建国を祝ってくれている。不思議な気分だった。恨みも、怒りも、もうどこにもない。ただ、あの雨の夜の自分に、今の自分を見せてやりたいと思った。
「ユアン殿。我が国は、これからもリリスノアと共に歩ませていただきたい。医療区画の拡張に、人材も資金も惜しまぬ。何なりとお申し付けください」
「ありがとうございます。それでは、遠慮なく。イストリアの医療体制の改善にも、ぜひ協力させてください。俺の故郷ですから」
「うむ。頼もしい限りだ」
アルドリック三世は、満足そうに何度も頷き、重臣たちを連れて次の席へと移っていった。入れ替わるように、今度はガンドリア王国の若き新国王が歩み寄ってくる。
「ユアン殿。先日は、我が国の不祥事、まことに申し訳なかった。あの聖遺物の一件、我が国は深く反省しておる」
「陛下、顔を上げてください。もう過ぎたことです。それに、あの一件があったからこそ、ガンドリアとリリスノアは、こうして同盟を結べた。お互い、前に進みましょう」
「……なんと、寛大な。あなたのような方が、魔王軍にいたとは。いや、リリスノアに、か。我が国も、あなたを見習わねばならぬ」
新国王は、少しだけ照れくさそうに笑い、ユアンと固い握手を交わした。
その後も、ユアンのもとには、次から次へと来賓が訪れた。
ガルム騎士王国の騎士団長、周辺諸国の大使、聖教会の穏健派の司祭たち、そして、ユアンの癒やしを受けた一般の市民たちまで。誰もが、ユアンに感謝の言葉を述べ、リリスノアとの友好を誓っていく。ユアンは、その一人ひとりに丁寧に応対しながら、だんだんと、自分がとんでもない立場にいることを実感し始めていた。
(俺、こんなに偉くなった覚えはないんだけどな)
ユアンは、心の中で苦笑いを浮かべた。かつての自分は、勇者パーティーの最後尾で、誰にも気づかれずに回復魔法をかけていた。それが今では、大陸中の王や貴族が、自分に頭を下げに来ている。隔世の感という言葉が、これほど似合う状況もない。
その時、ふと、背後から声がかかった。
「ユアン。少し、いいか」
ベリルだった。彼女は、ユアンを広間の隅に引き寄せ、声を潜めて言った。
「お前、だいぶ疲れているな」
「……わかるか」
「顔を見ればわかる。無理に笑って、挨拶を返している。違うか」
「……まあ、そうだな。正直、こういうのは苦手だ。俺は、回復術師であって、政治家じゃない」
「わかっている。だがな、ユアン」
ベリルは、ユアンの肩にそっと手を置いた。冷たい手。だが、その冷たさは、彼女の心配の裏返しだった。
「お前はもう、すっかり国の中枢メンバーなんだ。特別顧問として、リリスノアの代表として、各国の要人と渡り合う立場にある。それを、いつまでも『自分は普通の回復術師です』と卑下していては、国が示しをつけられん」
「……卑下してるつもりはないんだけど」
「わかっている。お前は、ただ謙虚なだけだ。だがな、謙虚さも、度を越せば、責任逃れに見える。お前がこの国を背負う一人なのだと、自覚してほしい」
ベリルの言葉は、厳しかった。だが、その奥には、ユアンを思う優しさがあった。
「……ベリル。俺、正直、怖いんだ。こんなに大きな立場になって、俺でいいのかって。失敗したらどうしようって。……かつて、勇者パーティーで、無能って言われた自分が、こんなところにいて、いいのかって」
「お前は、あの頃のままだと思っているのか」
「……え」
「ユアン。お前は、もうあの頃のユアンじゃない。お前は、世界を癒やし、国を創り、仲間を救い、そして、俺たちをここまで導いた。それは、誰にも真似できない。お前が、お前であるからこそ、できたことだ。――自信を持て。お前は、この国に必要な人間だ」
ベリルは、珍しく、柔らかな声で言った。その声に、ユアンの胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「ありがとう、ベリル。……そうだな。もう、昔の俺じゃない。俺は、リリスノアの特別顧問だ。ちゃんと、その責任を果たすよ」
「ああ。それでいい。――それと、そろそろリリス様が、お前を呼んでいる。挨拶がまだだぞ」
「あ、やばい」
ユアンは、慌てて広間の中央へと歩き出した。ベリルは、その後ろ姿を見送りながら、小さく笑った。
「……本当に、手のかかる男だ。だが、それがいい」
その夜、ユアンはリリスの隣で、建国の祝杯を交わした。リリスは、いつものように無表情だったが、その目は、確かに笑っていた。
「ユアン。今日は、よくやった。……これからも、よろしく頼むぞ」
「はい、リリス様。この国を、みんなで、もっといい国にしましょう」
広間には、笑い声と、杯の音と、音楽が溢れている。かつて、雨の夜に追放された少年が、今、こんなにも多くの人に囲まれている。それは、彼が自ら選び取った道の、確かな証だった。




