第67話 理想の国
調印式は、滞りなく進んだ。
イストリア王国、ガルム騎士王国、ガンドリア王国、そして聖教会本山。それぞれの代表がリリスノアとの同盟議定書に署名し、リリスと固い握手を交わす。広場に集まった来賓たちからは、そのたびに温かな拍手が送られた。最後にリリスが「リリスノアの建国を、ここに宣言する」と告げると、会場は万雷の拍手と歓声に包まれた。
式典が終わり、来賓たちが祝宴の準備のために広間へと移動し始めた頃、ユアンは広場の隅で一息ついていた。
「――お疲れさん」
背後から声をかけられ、振り返る。ベリルだった。式典の正装を解かず、手には羊皮紙の束を抱えている。相変わらず、仕事の手を止める気はないらしい。
「ベリルか。お前こそ、式典の総指揮、お疲れさま。見事な采配だった」
「当然だ。私は参謀長だからな。……それより、ユアン。お前の癒やしの披露、見事だった。あれで、リリスノアの存在は、大陸中に知れ渡った。今日の式典は、歴史に残る」
「そうかな」
「そうだ。疑う余地はない」
ベリルは、ユアンの隣に立ち、広場を見渡した。来賓たちが笑い合い、兵士たちが誇らしげに警備に当たり、給仕たちが祝宴の準備に走り回っている。かつては、人間と魔族が同じ場所に立つことすらなかった。それが今、こうして同じ空気を吸い、同じ時間を過ごしている。
「なあ、ベリル。これから、リリスノアは、どんな国になるんだろうな」
「……難しい質問だ」
「難しいか」
「ああ。だが、考える価値はある」
ベリルは、羊皮紙の束を一度脇に抱え直し、静かに語り始めた。
「まず、医療区画の拡張だ。ユアン、お前の癒やしを求めて、世界中から患者が集まる。受け入れ体制を整えねばならん。次に、教育機関の設立。お前の回復術式や、ルーチェの聖属性医療、エルナの魔法理論を体系的に教える場が必要だ。それから、各国との外交。今日の調印式で、リリスノアは正式な国家として認められた。だが、それに伴い、責任も増える。大陸の平和を維持するための、調整役を担わねばならん」
「……それは、俺たちの仕事がさらに増えるってことだな」
「当然だ。だが、それだけの価値がある国を、我々は創った。……いや、お前が創った」
ベリルは、ユアンをまっすぐに見た。
「ユアン。お前が魔王城に来た時、私はただ、お前のスキルが使えるかどうかだけを気にしていた。だが、今は違う。お前がいるから、この国は成り立っている。お前の癒やしが、人を繋ぎ、国を繋ぎ、世界を繋いでいる。それは、紛れもない事実だ」
「ベリル……」
「だから、これからも頼むぞ。特別顧問として。そして、……仲間として」
ベリルは、少しだけ照れくさそうに、眼鏡を押し上げた。ユアンは、その言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
そこへ、三人の足音が近づいてきた。
「ユアン! ベリル様も! ここにいたんですね」
「探したにゃ! 祝宴が始まるにゃ! ユアン、あたしと一緒に食べるにゃ!」
「フィアさん、ユアン先生はお忙しいんですから、そんなに引っ張らないでください」
エルナ、ルーチェ、フィアが、息を切らして駆け寄ってきた。エルナは苦笑いを浮かべ、ルーチェはフィアの腕を掴んで制止し、フィアはそれでもユアンの袖を引っ張っている。
「お前たち、もう祝宴か」
「そうだにゃ! バルザック料理長が、とびきりのごちそうを用意したって言ってたにゃ! 早く行くにゃ!」
「フィア、落ち着け。ユアンもベリルも、疲れてるだろう」
「エルナさん、私、先生に少しだけでも休んでほしくて。あの、もしよければ、祝宴の前に、静かな場所でお茶でも」
ルーチェが、控えめに、けれど期待を込めた目でユアンを見上げる。エルナも、少しだけ照れながら「まあ、少しなら」とつぶやいた。
ベリルは、その光景を見て、深いため息をついた。
「……お前たち、変わらんな。建国の日だというのに」
「ベリル様、だって今日は、ユアンのためにあるような日なんです。少しくらい、いいじゃないですか」
「エルナの言う通りにゃ! 今日は、ユアンが主役にゃ!」
「私は、先生の一番弟子として、先生のそばにいるのが当然だと思います」
ベリルは、頭を抱えた。だが、その口元は、わずかに緩んでいた。
「わかった。ユアン、お前は少しだけ、こいつらに付き合ってやれ。私は、先に祝宴の準備を確認してくる。……ただし、あまり遅れるなよ。リリス様も、お前の顔を見たがっている」
「わかった。ありがとう、ベリル」
ユアンは、ベリルを見送り、三人に向き直った。
「それじゃあ、少しだけ、四人で話そうか。せっかくの建国の日だ。これからのこと、話したいんだ」
「はい」「もちろん」「にゃー!」
四人は、広場の外れにある小さな庭園へと歩いた。式典の喧騒から少し離れた場所で、白い花が咲き誇る静かな一角だった。ベンチに腰掛け、ユアンは三人を見渡した。
「今日、式典を見てて、思ったんだ。これから、リリスノアを、どんな国にしたいかって」
「ユアンは、どうしたいの?」
エルナが、静かに尋ねた。
「俺は、誰もが癒やされる国にしたい。魔族も、人間も、獣人も、エルフも、ハーフも、病人も、怪我人も、心に傷を負った人も。誰も、見捨てられない国。医療区画を、大陸中に広げたい」
「それ、すごく素敵だにゃ。あたしは、誰も差別されない国にしたいにゃ。あたしは、奴隷だったから。だから、同じ思いをするやつを、一人でも減らしたいにゃ」
「フィアさん……。私は、心の癒やしを広めたいです。傷は、身体だけじゃありません。聖遺物や、教会の過ちで傷ついた人たちの心も、癒やせる場所を作りたい」
「そうだな。ルーチェの聖属性医療は、これから絶対に必要だ。エルナは、どうだ」
「私は……知識を、みんなと分かち合いたい。氷魔法も、回復魔法も、古代の叡智も。教会や貴族だけが持つんじゃなくて、誰もが学べる場所を作りたいの。そうすれば、もっと多くの人が、自分で自分を癒やせるようになるから」
三人の答えは、それぞれ違う。だが、その根底にあるのは、同じ想いだった。誰も、傷つかなくていい世界。誰も、見捨てられない世界。
「いいな。それ、全部、リリスノアで実現しよう。医療区画を広げて、学校を作って、誰もが学べるようにして、差別のない国にして、心の癒やしも大切にして。……俺たち四人で、それを創るんだ。いや、みんなで」
「うん」「はい」「決まりにゃ!」
四人は、自然と笑い合った。夕暮れの空が、リリスノアの新しい旗を優しく照らしている。遠くからは、祝宴の賑やかな音が聞こえてきた。
「さて、そろそろ行かないと、バルザックに怒られる」
「そうだにゃ! ごちそうがなくなっちゃうにゃ!」
「フィアさん、食べ過ぎないでくださいね」
「エルナさんこそ、氷で冷やしたデザート、全部取っちゃだめですからね」
「……図星だわ」
四人は、笑いながら、祝宴の広間へと歩き出した。今日は、リリスノアの誕生日。そして、四人にとって、新しい未来の始まりの日でもあった。




