第66話 リリスノア建国の儀
建国式典の朝は、雲一つない快晴だった。
魔王城の正面広場には、各国からの来賓を迎えるための特設会場が設えられ、白い石畳の中央には赤い絨毯が長く敷かれている。周囲にはリリスノアの国旗と、同盟国であるイストリア、ガルム、ガンドリアの旗がはためき、聖教会の象徴である白銀の旗も、アルベリクの計らいで掲げられていた。
「すごいにゃ……! こんなに人が集まるなんて、魔王城の歴史でも初めてにゃ!」
フィアが、広場の隅から客席を見渡して息を呑んだ。各国の王侯貴族、聖職者、商人、冒険者、そして一般の市民まで、その数は優に千人を超えている。魔王城の関係者だけでも数百人。警備の兵士たちが、混乱しないよう丁寧に誘導していた。
「フィア、警備は任せたぞ。絶対に、不審者を通すな」
「わかってるにゃ! あたしの鼻と耳は、今日のためにあるようなものにゃ!」
ユアンは、フィアの真剣な横顔を見て、小さく笑った。今日の彼女は、いつものメイド服ではなく、保安責任者としての正装だ。猫耳を隠すフードつきのマントを羽織り、腰には警棒と非常用の連絡用魔石を携えている。それでも、尻尾だけは隠しきれていないのが、彼女らしかった。
「ユアン先生、そろそろお支度を。リリス様がお呼びです」
ルーチェが、ユアンのもとに駆け寄ってきた。彼女は、聖属性医療顧問の正装である白いローブをまとい、胸元にはリリスノアの国章と、聖教会の聖印を並べてつけている。その姿は、まさに新しい時代の聖女だった。
「ああ、行こう。エルナは?」
「先に会場入りしています。氷魔法で、会場の空調を整えてくれているんです。今日は各国の要人が集まるので、暑さで倒れる方が出ないようにと」
「抜け目ないな、彼女らしい」
ユアンは、最後に身だしなみを整え、控室へと向かった。
控室では、リリスがすでに待っていた。
今日の彼女は、いつもの黒いドレスではなく、銀糸で刺繍された白と紺の正装だ。銀髪を丁寧に結い上げ、頭の角を隠すように、繊細なレースのヴェールを被っている。魔王としての威厳と、新しい国の元首としての気品を、見事に両立させた装いだった。
「リリス様、お呼びでしょうか」
「うむ。ユアン、来たか。――どうだ、似合うか」
リリスは、珍しく少しだけ照れくさそうに、くるりと一度回ってみせた。ユアンは、一瞬、息を呑んだ。普段は冷徹な魔王が、今日は、どこか年相応の少女のように見える。それでも、その瞳の奥には、三百年を生きた王の覚悟が揺るぎなく宿っていた。
「とても、お綺麗です。リリス様」
「……そ、そうか。ありがとう」
リリスは、すぐに表情を引き締め、玉座の間の窓から外を眺めた。広場には、続々と来賓が集まっている。イストリア王国の王、ガルム騎士王国の騎士団長、ガンドリア王国の新国王、そして聖教会本山からはアルベリク。それぞれが、リリスノアの建国を祝うために、遠路はるばる駆けつけてくれたのだ。
「ユアン。我は、この日を、三百年待っていた」
リリスの声は、静かだった。だが、その響きには、言葉にできない重みがあった。
「かつて、我は人間を憎んだ。魔族を殺す人間を、許せなかった。だが、いつしか、憎しみよりも諦めが勝った。この世界は、ずっとこのままだと、そう思っていた。……お前が来るまでは」
「リリス様……」
「お前が城に来て、飯を作り、傷を癒やし、仲間を増やし、世界を変えた。魔族と人間が、同じテーブルを囲み、笑い合う日が来るなんて、夢にも思わなかった。……ユアン。これは、すべてお前のおかげだ」
「いいえ、リリス様。俺だけじゃない。ベリルが、ゼクスが、フィアが、ルーチェが、エルナが、バルザックが、テオバルトが、みんながいたからです。そして、リリス様が、俺を信じてくれたからです」
「……そうか。ならば、皆で、この日を祝おう」
リリスは、ユアンの手をそっと握った。冷たい手。だが、その冷たさは、もう孤独のそれではなかった。
式典は、予定通りに始まった。
まず、ベリルの開式の辞。次に、リリスの挨拶。彼女は玉座から立ち上がり、集まったすべての来賓に向かって、静かに、しかし力強く語りかけた。
「本日、ここに『リリスノア』の建国を宣言する。我は、この国を、魔族と人間、獣人、エルフ、そしてすべての種族が、分け隔てなく暮らせる国とする。我は、誰も傷つけず、誰も傷つかない国を創ることを、ここに誓う」
その言葉に、広場から、割れんばかりの拍手が沸き起こった。イストリアの王も、ガルムの騎士団長も、ガンドリアの新国王も、そしてアルベリクも、皆、立ち上がって拍手を送っている。
「次に、各国代表の祝辞。イストリア王国、アルドリック三世陛下」
「――リリスノアの建国、誠におめでとうございます。我が国は、ユアン殿を通じて、魔王軍と深い信頼を築いてまいりました。この新しい国が、大陸の平和の礎となることを、心より願っております」
イストリアの王が、ユアンを見て、にこやかに笑った。ユアンは、その笑顔に、少しだけ照れくさくなった。
続いて、ガルム騎士王国、ガンドリア王国、そして聖教会本山のアルベリク。アルベリクは、聖教会の代表として、こう述べた。
「聖教会は、長きにわたり、魔王軍と敵対してまいりました。しかし、それは、互いを理解しようとしなかったがゆえの悲劇でした。ユアン殿の癒やしは、我々に、新しい道を示してくれました。リリスノアの建国を、聖教会は心より歓迎し、今後、この国と共に、世界の癒やしのために歩むことを誓います」
その祝辞は、会場に静かな感銘を与えた。ユアンは、アルベリクの言葉に、深く頭を下げた。
祝辞が終わると、いよいよ、ユアンの「癒やしの披露」の時間がやってきた。
ユアンは、赤い絨毯の上を歩き、広場の中央に立った。エルナがすでに、会場の空気を最適な温度に整えてくれている。ルーチェが、聖遺物を安置した祭壇の横で、静かに祈りを捧げている。フィアは、会場の隅から、ユアンを真剣な目で見守っている。
「――本日は、このような晴れの場に、お集まりいただき、ありがとうございます」
ユアンは、広場を見渡し、静かに語りかけた。
「俺は、ユアン。リリスノアの特別顧問にして、専属ヒーラーです。もともとは、ただの回復術師でした。攻撃魔法も使えず、武器も持てず、勇者パーティーを追放された、無能な白魔術師でした」
会場が、しんと静まり返る。
「ですが、俺は、回復しかできない自分を、無能だとは思っていません。傷ついた人を癒やすこと。それが、俺のすべてです。そして、今、この国で、その力を、皆さんと分かち合いたいと思います」
ユアンは、両手を広げ、星晶石の光を放った。銀色の光が、広場全体を包み込む。それは、傷ついた者を癒やし、疲れた者を励まし、悲しむ者の心を解き放つ、世界を癒やす光だった。
「――《領域修復・万民の癒やし》」
光が、会場に集まったすべての人を包み込む。怪我をした兵士が立ち上がり、病気の老婆が涙を流し、長年の悩みを抱えた商人が安堵の息をつく。会場のあちこちから、感嘆の声と、拍手が起こった。
「これが、俺の癒やしです。この光が、リリスノアの未来を照らします。……どうか、皆さん。これからも、この国を、よろしくお願いします」
ユアンが深く頭を下げると、広場は、かつてないほどの拍手と歓声に包まれた。




