第64話 それぞれの答え
翌朝、ユアンはまずエルナを呼び出した。
場所は、旧薬草庫。彼女が氷魔法と回復魔法の融合実験をしようと提案してきた場所だ。ユアンが先に着いて待っていると、約束の時刻より少し早く、エルナが姿を見せた。
「おはよう、ユアン。珍しいわね、あなたから呼び出すなんて」
「ああ。話しておきたいことがあって」
エルナは、一瞬だけ表情を硬くしたが、すぐにいつもの微笑みに戻り、ユアンの向かいの椅子に腰を下ろした。薬草の匂いが、静かに二人を包む。
「それで、話って」
「エルナ。お前の気持ちに、ちゃんと答えたいと思ってる」
ユアンは、まっすぐにエルナを見た。逃げずに、正面から。ベリルに教わった通りに。
「でも、今すぐに答えを出すことはできない。ごめん。俺は、お前の気持ちが嬉しい。でも、それと同じくらい、フィアやルーチェの気持ちも、ちゃんと受け止めなきゃいけないと思ってる。誰かを選ぶなら、他の二人にも、きちんと向き合わなきゃいけない。……それが、俺の出した結論だ」
エルナは、しばらく黙っていた。それから、ふっと息を吐き、少しだけ寂しそうに笑った。
「……ずるいわね、それ」
「ずるい、か」
「ええ。でも、それがあなたらしい。誰も傷つけたくないって、そういうところ。……私、それが嫌いじゃないの。むしろ、そういうあなたを好きになったんだから、仕方ないわ」
エルナは、テーブルの上で自分の手を重ねた。青みがかった黒髪が、窓からの光を受けて柔らかく揺れる。
「わかった。待つわ。いつになるかはわからないけど、あなたが答えを出すまで。……でも、それまで私も、諦めるつもりはないから。覚悟しておいて」
「エルナ……」
「それと、一つだけ約束して。私とあなたの時間は、これからも大切にして。仕事でも、そうじゃなくても。それが、私の条件」
「ああ。約束する」
ユアンがうなずくと、エルナはようやく、いつもの強気な笑みを見せた。
「よし。じゃあ、今日はこのまま実験を始めるわよ。約束は守ってもらうから、覚悟しなさい」
「……もう切り替えるのか」
「当然でしょ。私は、あなたの隣で戦う女よ。感傷に浸ってばかりはいられないわ」
その日、二人は昼過ぎまで、氷と回復の魔法理論について、真剣に議論した。エルナの頭の回転は速く、ユアンも負けじと食らいつく。それは、紛れもなく、二人にしかできない時間だった。
午後、ユアンはフィアを連れて、約束の甘味処へ向かった。
城下の一角にある小さな店で、魔界の果実を使った氷菓と、人間のミルクで作ったプリンが名物らしい。フィアは終始ご機嫌で、店に着く前から尻尾をぶんぶん振っていた。
「にゃー! やっと来れたにゃ! ユアンとの約束、ちゃんと覚えててくれたにゃ!」
「当たり前だろ。俺は、お前との約束を破ったことはない」
「ふふん、それだけは、エルナにもルーチェにも負けてないにゃ」
二人は窓際の席に座り、フィアは注文した氷菓を、目を輝かせて頬張った。ユアンはミルクプリンを一口食べて、その素朴な甘さに目を細める。
「フィア。お前の気持ちも、ちゃんと受け止めてる」
ユアンが切り出すと、フィアは氷菓を食べる手を止めた。猫耳が、ぴくりと動く。
「でも、今すぐに『お前を選ぶ』とは言えない。エルナにも、ルーチェにも、同じように大事な気持ちをもらってるから。俺は、誰かを選ぶ前に、まず三人全員と、きちんと向き合いたいと思ってる」
フィアは、じっとユアンの目を見つめていた。その大きな瞳に、ユアンの顔が映っている。やがて、彼女は氷菓のスプーンを置き、ふうっと息を吐いた。
「……ユアンは、優しいにゃ。優しすぎるにゃ」
「よく言われる」
「でも、あたしは、その優しさが好きだにゃ。あたしを、魔の森から拾ってくれたのも、ユアンの優しさだにゃ。だから、待つにゃ。いつまでも、待つにゃ。……でも、一つだけ」
フィアは、身を乗り出し、ユアンの手を両手で包み込んだ。小さな手。けれど、その握力は意外なほど強い。
「あたしは、ユアンの一番近くにいるにゃ。これは、譲らないにゃ。エルナにも、ルーチェにも、負けないにゃ。だって、あたしは、ユアンの相棒だにゃ」
「ああ。お前は、俺の相棒だ」
「うん。それで、今は十分にゃ。――よし、気を取り直して、もう一つ頼むにゃ! ここのプリン、すごく美味しいから、ユアンも食べるにゃ!」
「お、おい、俺の分まで」
「あたしが、食べさせてあげるにゃ。はい、あーん」
「……自分で食べる」
「遠慮しないにゃ! ほら!」
フィアは、満面の笑みで、プリンをスプーンに乗せて差し出してくる。ユアンは観念して口を開けた。甘い。そして、フィアの笑顔が、それ以上に甘くて、胸の奥がむず痒くなった。
その帰り道、フィアは上機嫌でユアンの手を引っ張りながら、次はどこに行きたいか、あれこれと計画を立てていた。ユアンは、その小さな背中を見つめながら、改めて思った。
(こいつは、本当に強いな。俺なんかより、ずっと)
夕方、ユアンは祈りの間を訪ねた。
ルーチェは、いつものように聖遺物の前に座り、静かに祈りを捧げていた。ユアンが入ってくると、彼女は振り返り、少しだけ照れたように微笑んだ。
「先生。その、昨日は、変なことを言ってごめんなさい」
「変なことじゃない。ルーチェ。俺も、お前に伝えたいことがあって来た」
ユアンは、昨日ベリルから受け取ったカップを、そっと差し出した。ルーチェは、それを見て、目を丸くした。
「これ……私が、ベリル様に渡したハーブティーの」
「ああ。お前が、俺のために調合してくれたんだってな。ありがとう。よく眠れた。……それで、その心遣いが、すごく嬉しかった」
ルーチェは、カップを受け取り、胸に抱くようにしてうつむいた。その頬が、わずかに赤らんでいる。
「ルーチェ。お前の気持ちは、ちゃんと受け止めた。弟子としてじゃなく、一人の人間として、俺はお前を大事に思ってる」
「先生……」
「でも、今すぐに答えは出せない。エルナにも、フィアにも、同じように大事な気持ちをもらってる。だから、まずは、三人全員と、正面から向き合いたい。……それが、俺の正直な気持ちだ」
ルーチェは、しばらくカップを見つめていた。それから、顔を上げ、泣きそうな顔で、けれどしっかりと笑った。
「……はい。わかりました。私、待ちます。先生が、答えを出してくれるまで」
「ルーチェ」
「でも、先生。私、諦めませんから。だって、私は先生の一番弟子で、これからも、ずっと隣で癒やしを学ぶんです。毎日、一緒にいるんです。……それって、結構、有利だと思うんです」
「……お前も、言うようになったな」
「ふふ。先生が、私を強くしたんですよ」
ルーチェは、カップを両手で包み、少し照れくさそうに続けた。
「それに、私、決めたんです。先生にふさわしい聖女になるって。先生が誰を選んでも、私は私の道を歩く。誰かの隣に立つ資格は、自分で作るものだって、先生が教えてくれたから」
「ルーチェ……」
「だから、先生。今は、まだそれでいいんです。私の気持ちを、ちゃんと受け止めてくれたから。それだけで、私は十分、幸せです」
祈りの間に、静かな聖光が満ちている。聖遺物が、まるで祝福するように、柔らかく輝いた。
ユアンは、三人それぞれの「待つ」という答えを受け取った。それは、彼にとって、何よりも重く、そして温かいものだった。
(よし。これで、いい。まだ答えは出せないけど、逃げずに、向き合えた。あとは、ゆっくりでいい。三人と、もっとたくさんの時間を積み重ねていこう)
その夜、ユアンは久しぶりに、ぐっすりと眠った。夢の中でも、三人の笑顔が、彼を囲んでいた。




