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第61話 聖女の想い


夕暮れの魔王城、医療区画の祈りの間。


聖遺物を安置してから、ルーチェは毎日、日の入り前にここを訪れるようになった。聖遺物の状態を確認し、静かに祈りを捧げる。それが彼女の日課になっていた。今日もまた、ユアンが医療区画の見回りを終えて廊下を歩いていると、祈りの間からかすかな聖光が漏れているのが見えた。


「ルーチェ、まだいたのか」


「あ、ユアン先生。お疲れさまです」


ルーチェは振り返り、ほっとしたように微笑んだ。白いローブをまとい、長い髪を下ろした姿は、聖女というより、年の頃の少女にしか見えない。それでも、祭壇の前での彼女は、凛として美しかった。


「聖遺物の様子はどうだ」


「はい。とても穏やかです。先生が癒やしてくださってから、一度も泣いていません。時々、夢の中で笑い声が聞こえるんです。……きっと、聖遺物の持ち主だった聖女様が、安心しているんだと思います」


「お前が毎日祈ってくれてるからだ。ありがとう、ルーチェ」


「……私、お祈りしかできませんから」


ルーチェは、少しだけうつむいて、祈りの間に並ぶ長椅子の影を見つめた。


「エルナさんは、氷魔法で先生を支えられる。フィアさんは、先生の身を守って、どこにでも一緒に行ける。……私には、祈りしかない。戦う力も、隠密の力も、魔導の知識も、二人に比べたら足りないものばかり」


「ルーチェ、お前は――」


「それに、時間が違います」


ルーチェは、ユアンの言葉を遮って、絞り出すように言った。


「エルナさんは、先生の昔を知っている。フィアさんは、先生がこの城に来た夜のことを知っている。……私は、二人に比べて、先生と過ごした時間が、あまりにも短い。それでも、負けたくないって、思ってしまうんです。おかしいですよね。弟子の分際で、何を張り合ってるんだろうって」


ルーチェは、ぎゅっと胸元の聖印を握った。その手は、かすかに震えていた。


(ルーチェ……お前、そんなことを考えていたのか)


ユアンは、ルーチェの隣に静かに立った。肩が触れ合うほど近く。彼女は、ユアンの気配を感じて、小さく息を呑んだ。


「時間が短いって言うけどな、ルーチェ。時間の長さは、絆の深さと関係ないぞ」


「……それ、慰めに聞こえます」


「慰めじゃない。事実だ」


ユアンは、祈りの祭壇に目を向けながら、静かに言った。


「俺とお前は、毒沼で初めて会った。あの時、お前は聖女の再来とやらで、リオンの指示に従って、俺の後釜としてパーティーに来た。たしかに、時間で言えば、エルナやフィアと過ごした日々には到底敵わない。……でもな、ルーチェ」


「……はい」


「お前は、俺の回復魔法を一番近くで見て、俺の弟子になると言って、こうして聖女としての道を新しく選んだ。その時間は、誰にも真似できない。長さじゃない。お前が、お前自身の意思で、俺の隣に立ってくれた。それが、俺には何より嬉しい」


「先生……」


「それにお前の聖属性医療は、この城に絶対に必要な力だ。祈ることしかできない? 違う。お前が祈りで聖遺物を鎮め、患者の心の傷を癒やしてくれているから、医療区画は成り立っている。――俺一人じゃ、ここまで来られなかった」


ユアンの声は、静かで、温かくて、ルーチェの胸の奥をほどくように響いた。ルーチェの目に、涙が浮かぶ。


「……私、先生の役に立てていますか」


「ああ。お前は、俺の自慢の弟子だ」


「弟子、ですか……」


ルーチェは、涙をぬぐって笑った。


「その言葉、嬉しいです。でも、たまには、弟子じゃなくて、……あの、ごめんなさい、忘れてください」


「ルーチェ?」


「……私、ずっと思ってたんです。先生は、すごく遠い存在で、でも、気がついたら、私の手の届くところにいて。二人で仕事をしたあの日、すごく楽しくて。私、どうしてあんなに嬉しかったのか、最近までわからなかったんです」


ルーチェは、もう一度聖印を握り直して、ユアンを見上げた。


「先生に、恋をしている自分に気づいたのは、ガンドリアから帰ってきた夜でした。……ごめんなさい、今、こんなこと言うつもりじゃなかったのに」


ユアンは、答えられなかった。ルーチェは、泣き笑いの顔で、それを許すように続ける。


「でも、これだけは知っておいてください。私は、エルナさんにも、フィアさんにも負けない気持ちで、先生を想っています。時間が短くても、関係ないんです。だって私は、先生がこれから先も一緒にいたいと思ってくれる弟子になれるよう、毎日祈ってますから」


「ルーチェ……お前は、本当にまっすぐだな」


「そうでしょうか」


「ああ。俺は、お前のそのまっすぐさに、何度も救われた。お前が祈りを絶やさないから、聖遺物も、患者たちも、安心していられる。……だから、これからも、隣にいてくれ。俺の、大事な仲間として」


ユアンは、ルーチェの頭に手を置いた。


「仲間、か。……まだ、そういうことですよね」


「まあ、そうなるな」


「いいえ、今はそれで十分です。先生の隣に立てるなら、少しずつで構いません。――だから、私のことも、忘れないでください」


「忘れるわけないだろ。お前は、俺の一番弟子だ」


「はい。……あの、先生」


「なんだ」


「今度は、私と二人で、どこかへ出かけていただけませんか。仕事じゃなくて、……あの、散歩でも、買い物でも、なんでもいいんです。私、先生と、もっといろんなお話がしたい」


「ああ、いいぞ。ただし、お前の実家みたいに、黒ローブが現れるのはやめてくれよ」


「もう、先生!」


ルーチェが吹き出した。その笑顔は、さっきまでの沈んだ色を洗い流したみたいに、明るくて、かわいかった。


祈りの間に、星の光が射している。聖遺物が、まるで祝福するように、ふわりと輝いた。


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