第55話 最後の聖遺物
ガンドリアから帰還して三日。
魔王城は、建国準備と聖遺物対策で、かつてないほどの忙しさだった。ユアンたちはほとんど休む間もなく、報告書の作成や聖女たちの保護、ヴェルナーの受け入れ手続きなどに追われていた。
それでも、朝の味噌汁だけは欠かさない。ユアンが厨房に立つと、ゼクスが来て、テオバルトが来て、ヴェルナーがおそるおそる来て、気がつけばカウンターはいつもの顔ぶれでいっぱいだった。
「……ユアン様。僕は、その、ここにいていいんでしょうか」
「ヴェルナー。俺はユアンでいい。それに、ゼクスもテオバルトもいるだろ。ここはそういう場所だ」
「元聖騎士の私が、その、魔王城の朝食をいただくのは、本当に大丈夫なのかと」
「大丈夫にゃ! ここにいるやつはみんな、最初は敵だったり、迷子だったり、行き倒れだったりしたのに、今じゃ立派な城の仲間だにゃ!」
フィアの言葉に、ヴェルナーは小さく笑った。その隣で、聖女たちも朝食をとっている。彼女たちは、クレメント家にいたルーチェと同様、幼い頃から教会に囲われ、祈りの道具として育てられてきた。だが、ルーチェやエルナ、フィアの献身的な看護のおかげで、表情はだいぶ柔らかくなっていた。
「今日は、聖教会本山に残る最後の聖遺物についての会議がある」
ユアンが言うと、空気が引き締まった。
「本山は、今やガンドリア以上に危険な場所だ。教会中枢は壊滅したが、残党が自暴自棄になって、何をしでかすかわからない。――それに、本山は聖教会の象徴。真正面から攻めれば、世界中の反発を招く」
「だから、また少人数で潜入するにゃ! あたしとユアン、エルナに、ルーチェに、ベリル。それで十分だにゃ!」
「そううまくいくかな。本山は、四方八方を結界に囲まれた要塞だ。正面から入れば確実に殺られる。裏から入っても、防衛魔法は万全だ」
「そこで、外交だ」
ベリルが、静かに口を開いた。
「本山の残党に、聖遺物を魔王城に引き渡すよう要求する。向こうは、聖遺物を解放しなければ聖魔法が消えると信じている。それを、話し合いで解く。……少なくとも、建前上は」
「うまくいくか? 教会は、俺のことを『世界の敵』としている。話し合いにならないだろ」
「そう思うなら、余計にまずい。彼らを刺激すれば、最後の手段に出る。世界の傷は解放しなくても、聖遺物を自らの身に取り込み、人を逸脱した異形の存在になるくらいは、本気でやりかねん」
ベリルの言葉に、ユアンはうなずいた。
「……わかった。まずは話し合いを試みる。ただし、本山の聖遺物は、俺とルーチェが直接、浄化する。そのために、本山への立ち入りを許可させる。――正式な、交渉の使者として」
「俺と、ルーチェが?」
「ええ、私と先生が教会に行くんですか?」
「そうだ。俺たちは、聖遺物を癒やせる唯一の存在だ。聖教会の総本山に、魔王城の特別顧問と聖属性医療顧問が、単身赴く。これ以上の平和の証はないだろ」
「本気か、ユアン」
エルナが、心配そうな目でユアンを見つめた。
「本気だ。それに、本山に残る聖遺物は、今までで一番強い。解放されれば、とんでもないことになる。時間がない。できることは、全部やる。……これは、世界を救う戦いじゃない。癒やしの仕上げだ」
ユアンの言葉に、エルナは深くうなずいた。
「わかった。私も、行くわ。聖遺物の浄化には、私の氷魔法で補助できるはず」
「あたしも行くにゃ! 隠密のプロだし、ユアンを絶対守るにゃ!」
「フィアもエルナも、ありがとう。――それと、もう一人、来てほしい人がいる」
ユアンは、カウンターで静かに味噌汁をすするテオバルトを見た。
「……私か」
「ああ。聖教会の本山には、あなたの言葉が一番響く。聖剣の勇者が、世界を癒やす者の使者として来たとあれば、本山もそう簡単に攻撃はできないはずだ」
「なるほど。老体に鞭打てということか。……いいだろう。ユアン、お前の頼みとあれば断れん」
テオバルトは、白髪をひとつ結わえ、口元に笑みを浮かべた。
「私も、長い間、自分の正義に囚われていた。聖教会の過ちを正すために、かつての勇者として、最後のひと働きをしよう」
「ありがとうございます。――では、明朝出発します。本山までは、ガンドリアの時よりは近い。全員、今日は備えを万全に」
「御意」
夜、ユアンは自室で、聖遺物の運び方を考えていた。今回の聖遺物は、聖女の亡骸ではなく、聖教会の祖が遺したとされる「聖典」だった。本山の地下に、深く厳重に封じられている。聖女の祈りを集めて開くのではなく、聖遺物自身が選んだ「器」に、聖属性の力を注ぐことで解放されるという。
「……器、か」
あの時、ルーチェが言っていた。聖遺物が泣いている、と。聖遺物自身が、解放されることを望んでいるのではなく、誰かに自分の苦しみを終わらせてほしいと泣いている。だが、教会の残党は、その涙を力に変えようとしている。
(今度こそ、正しく眠らせる。俺が、世界の癒やし手として)
ユアンの胸元で、星晶石がまた静かに輝いた。




