第51話 北の大国へ
「――ガンドリア王国に向かう」
魔王城の作戦会議室で、ユアンは決意を込めてそう告げた。
長机には、ベリル、ゲンマ、ドルガ、ゼクス、リリス、テオバルト、そしてエルナ、ルーチェ、フィアが集まっている。クレメント家から戻った四人は、ほとんど休む間もなく、この場に立っていた。
「聖遺物はあと二つ。ガンドリア王宮深くと、聖教会本山の地下。このうち、より緊急度が高いのはガンドリアだ。ザカリアスの供述が正しければ、王宮には聖遺物解放のための儀式場がすでに作られている」
「なぜガンドリアが先だ?」
ゲンマが仮面の奥から尋ねた。
「聖教会本山には、敵の中枢がある。彼らが聖遺物を解放するなら、本山から攻めるのが先決ではないか?」
「俺もそう思った。でも、本山の地下は広大で、正面から突入すれば確実に時間を稼がれる。一方、ガンドリア王宮には、ザカリアスが言っていた『解放の条件』がすでに整いつつある。聖属性魔力を高めるための祭壇が、王宮の地下に秘密裏に建設されているらしい」
「待ってください、ユアン。その祭壇、王宮のどこにあるか正確な場所はわかっているんですか?」
ルーチェが不安げに尋ねた。
「ああ。ザカリアスが提供した地図によると、王宮の東翼、旧礼拝堂の地下。ここに隠し通路がある。儀式は満月の夜に行われる。――次の満月は、三日後だ」
「三日後……!」
エルナが息を呑む。
「つまり、移動に使える時間は実質二日。ガンドリアはここから北に遠い。転移門は使えないのか」
「聖遺物の影響で、ガンドリア王都周辺の空間が乱れている。転移門の座標が安定しない。最悪、門を開いた先が王宮の真っ只中でなく、城壁の外かもしれん」
ベリルが地図を指さした。
「だが、王都の北東に小さな湖がある。ここなら転移門を開けるはずだ。ザカリアスの情報とゲンマの間者の報告が一致している」
「なら、俺とエルナ、ルーチェ、フィアの四人で転移門を使い、湖から王都へ潜入する」
「まて。お前たち四人だけでか」
リリスが鋭く口を挟んだ。玉座から立ち上がり、心配そうな目でユアンを見下ろす。
「ガンドリア王国は、北の大国だ。聖騎士団の本拠地であり、正規軍も三万を超える。たった四人で乗り込めば、前回のガレアのようにはいかんぞ」
「ですが、リリス様。今回は戦争が目的じゃありません。聖遺物の解放を止められればいい。だったら、少人数で動く方がいい」
「……また、無茶を言う」
「ユアンらしいにゃ! あたしは賛成だにゃ!」
「私もです。大人数で押し寄せれば、王国軍に気づかれて全面戦争になりかねません」
「それに、聖遺物がらみなら、私の聖属性感知と先生の修復術式が最も有効です。少なくとも、邪魔が入りにくいのは少人数のはず」
四人の意見は一致していた。リリスはため息をつき、ベリルを振り返る。
「ベリル。お前はどう見る」
「――戦略的には、ユアンの言う通りです。四人なら、迅速に動ける。ただし、条件があります」
「なんだ」
「私も同行する。ガンドリア王都には、魔王軍の外務協議で何度か行ったことがある。地理に明るい人間が一人は必要です」
「それなら、あたしもスパイ部隊の経験で王都の裏道を知ってるにゃ!」
「フィアはお前の感覚が頼りだ。我々の案内役として必要だ。――ゼクス、お前は城に残れ。リリス様の護衛が疎かになる」
「……了解した」
ゼクスは短くうなずいた。リリスはしばらく考え込んでいたが、やがて小さく笑った。
「――よかろう。ただし、何かあれば即座に転移門で戻れ。よいな」
「御意。――それじゃあ、準備を。出発は明朝。フィア、王都の地図を用意してくれ。エルナ、ガンドリアの聖騎士団について知ってることをまとめてくれ。ルーチェ、ザカリアスから聖遺物の封印方法をもう一度詳しく聞き出してくれ」
「「「了解!」」」
三人がそれぞれ動き出す。ユアンもまた、バルザックに非常食の手配を頼むため厨房へ向かおうとしたが、リリスに呼び止められた。
「ユアン」
「はい」
「……無理だけはするな。建国の前夜に、お前を失いたくはない」
「リリス様こそ、俺が戻るまで、城を頼みます。――土産は、何がいいですか」
「またか。……そうだな、北の国の氷菓というやつを食べてみたい。帰りに買ってこい」
「了解しました。とびきり美味いやつを見つけてきます」
ユアンは笑って一礼し、玉座の間を後にした。
翌朝、五人となった一行は、魔王城の転移門の間に集まった。ベリルが座標を調整し、光り輝く門を開く。
「門の先は、ガンドリア王都の北東にある湖のほとり。周囲の時空が歪んでいるため、長くは持たない。全員、一気にくぐれ」
「わかってるわ。――ユアン、行きましょう」
「ああ」
五人、いや六人になろうかという人影が、門をくぐった瞬間、視界が真白に明滅した。足元をすくわれるような浮遊感と、押しつぶされるような圧迫感。転移門は毎回これだ。ユアンは思わず目を閉じ、エルナの手をぎゅっと握り締める。
目の前が、静かな湖面のきらめきに変わった。
空気が冷たい。北の国らしい、澄んだ朝の空気だ。湖のほとりには、背の高い針葉樹がどこまでも続いている。小鳥のさえずりが、かすかに聞こえるばかりで、人の気配はない。
「……到着ですね、先生」
ルーチェが白い息を吐きながら言った。
「ここがガンドリア王国。北の大国。……本当に来てしまったんですね」
「ああ。ここから王都までは、馬で半日。急げば夕方までには着く」
ベリルは地図を開き、方角を確認する。フィアは猫耳をピンと立て、周囲の気配を探っていた。
「……なんか、変な感じがするにゃ。静かすぎるにゃ。それに、遠くの方で、空気が重い」
「聖遺物の影響が、すでに王都一帯に出ているのかもしれない。……急ごう」
ユアンは、出発の時にバルザックが持たせてくれたおにぎりを一人ずつに配り、手早く歩き出した。針葉樹の森を抜けると、北の大地らしい、石造りの街道が現れる。街道沿いに建つ村々は、思った以上に活気があるが、どこか陰がある。人々の表情は、笑っているのに、目の奥が疲れている。まるで何かに怯えているような。
「王都が近いから、か」
ベリルが呟いた。
「ガンドリアは、昔から聖教会との結びつきが強い。今、聖魔法が弱まってる。人々は、神の加護が失われていくのを、肌で感じているはずだ。だからこそ、教会にすがり、聖遺物にすがる。……哀しい話だ」
「それでも、世界の傷をまた開くのは違う。俺たちで、止めよう」
ユアンは顔を上げ、遠くに見えてきた王都の城壁を見据えた。北の大国の門は、思ったよりずっと高く、厚い。その向こうに、白亜の王宮が雲を突いてそびえていた。そして、その王宮の地下に、世界の傷を再び開こうとする者たちがいる。
(まさか、俺が北の大国にまで来ることになるとはな)
かつての自分なら、王都の門をくぐるだけで足がすくんでいただろう。だが、今は違う。隣にはエルナが、ルーチェが、フィアが、ベリルがいる。そして、はるか南には、リリスをはじめ、自分たちの帰りを待つ魔王城の人々がいる。
「あれが、ガンドリア王都。――みんな、気を引き締めて」
「ええ」「はい」「もちろんにゃ」
五人は、城壁を見上げながら、王都への街道を進んだ。
空は青く、雲が早く流れている。まるで、何かが近づいているのを知らせるように。




