第50話 審問官の告白
地下聖堂に満ちていた異様な魔力は、ユアンの《領域修復》とルーチェの《慈愛の聖光》によって完全に浄化され、あとには静かな夜の空気だけが残っていた。
捕らえた異端審問官と黒ローブの男たちは、クレメント家の地下倉庫に一時拘束された。エルナの氷魔法で動きを封じられ、フィアが見張りに立っている。クレメント家の私兵たちも周囲を固め、当面の安全は確保されていた。
「――さて、話してもらおうか」
ユアンは、最も位の高そうな異端審問官の前に立った。年の頃は四十代半ば。彫りが深く、意志の強そうな目をしている。先ほどまで狂信的な光を宿していたその瞳は、ユアンの《状態異常解除》を受けて、今は驚くほど静かだった。
「なぜ、この聖堂で聖遺物を解放しようとした。お前たちは何者で、何が目的だ」
審問官はしばらく黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。
「……私の名はザカリアス。聖教会の異端審問官だった。いや、今も、自分ではそう信じている」
「異端審問官、ですか」
ルーチェが緊張した面持ちで尋ねた。
「私は、かつてお前の聖魔力を調査した男だ。お前は、教会の期待通りに育った。だが、それ以上に、私たちの都合のいい聖女にはならなかった。――そう、今にして思えば、あの頃から教会の綻びは始まっていたのかもしれぬ」
「綻び……?」
「教会は、とっくに腐っていた。お前たちがガレア王国で戦った聖騎士団も、私が命じて送り込んだ。聖骸騎士団も、教会中枢が何十年も前から準備していた最終兵器だ。神の名の下に、どれだけの禁忌に手を染めてきたか。……もはや、数えきれぬ」
ザカリアスは、深いため息をついた。
「ならば、なぜ今になってこんなことを」
ユアンの問いに、ザカリアスはうつむいた。
「――教会が、消えるからだ」
「消える?」
「お前たちが世界の傷を癒やしたことで、世界中の聖遺物がその力の源を失いつつある。聖属性の奇跡は、世界の傷から生まれる。世界に傷があるからこそ、教会は人々を救う存在として崇められた。だが、お前はその傷を癒やした。すると、どうなると思う」
エルナが息を呑んだ。
「……まさか、聖魔法そのものが弱まっているの?」
「その通りだ。世界中の聖職者たちが、聖魔法の力が日ごとに衰えていくのを感じている。教会が失墜したのは、政治的な理由だけではない。奇跡が、本当に失われようとしているのだ」
「そんな……!」
ルーチェが、自分の両手を見つめた。彼女の聖光は、ユアンと共鳴することで逆に力を増している。だが、それは彼女がユアンという特別な存在と行動を共にしているからだ。教会に残された者たちは、そうではない。
「我々は、このまま聖魔法が消えれば、教会という存在そのものが滅ぶと考えた。いや、それだけではない。聖魔法は、傷ついた者を救うための力だ。それが消えれば、世界から癒やしがなくなる。我々はそれを恐れた。だから、聖遺物を解放し、再び世界に傷を作り出そうとした」
「お前たちは……世界をまた傷つけて、聖魔法を復活させようと?」
ユアンの声に、静かな怒りが宿った。
「ああ。どんなに醜くても、どれだけ人を傷つけても、聖魔法が続くことこそが、世界の理だと信じていた。世界の傷は消えない。消してはならぬものなのだと、教会は代々、そう教えてきた」
「それは、ただの思い込みだ」
ユアンは断言した。
「世界の傷は、癒やしていい。いや、癒やすべきなんだ。聖魔法が消えるのが怖いからといって、また誰かを傷つけて、苦しみを再生させて、その上に教会を建て直すなんて、本末転倒もいいところだ」
「……だが、現に聖魔法は弱まっている。このままでは、多くの人が救えない。それがわからぬのか」
「聖魔法が弱まっても、癒やしの力は消えない。俺がいる。ルーチェがいる。そして、これから生まれてくる新しい癒やし手がいる。お前たちが守りたいものは、教会じゃないはずだ。人を癒やしたいという、最初の祈りだったんじゃないのか」
ザカリアスは、はっと顔を上げた。
「……最初の、祈り」
「俺にも、似たような経験がある。勇者パーティーにいた頃、俺は『回復しかできない無能』だと言われた。悔しかった。でも、どんなに馬鹿にされても、傷ついた人を癒やしたい気持ちだけは消えなかった。お前たちが教会を守りたいと思う気持ちも、それと同じじゃないのか。手段を間違えただけだ」
ユアンの言葉に、ザカリアスの目が揺れた。ルーチェが、そっと彼の前に膝を落とす。
「ザカリアス様。私は、あなたに聖魔力を調査していただいたあの日、すごく嬉しかったんです。教会の方に認めてもらえた気がして。……お願いです。もう、聖遺物を使って人を傷つけるのはやめてください。私たちは、あなたの敵になりたくありません」
「……聖女ルーチェ」
ザカリアスは、ルーチェの顔をまじまじと見つめた。聖女の再来。教会が利用した少女。しかし、彼女は今、教会のためにではなく、敵となった教会の人間のために、祈りを捧げている。
「敵になど、なれるものか。……すでに、我々は破れたのだ」
ザカリアスは、深々と頭を下げた。
「包み隠さず話そう。この聖堂には、聖遺物が三つ安置されていた。我々が解放しようとしたのは、そのうちの一つ。残りの二つは、別の土地に運ばれ、すでに解放の準備が整っている。――一つは、聖教会の本山の地下。もう一つは、北の大国ガンドリアの王宮深く。連中は今ごろ、最後の儀式を始めている頃だろう」
「三つ、だと……」
「ただし、聖遺物を解放するには条件がある。今回のように、封印の場所に満ちた聖属性の魔力が一定以上に高まらねばならぬ。お前たちがこの場に来たことで、この聖遺物の解放は阻止された。だが、本山とガンドリアはもう……」
ザカリアスの表情から、嘘は感じられなかった。エルナが厳しい顔で言う。
「ガンドリア王国って、聖騎士団を多く輩出している国ね。北の大国が本気で教会側についたら、戦力差は致命的だわ」
「それに、聖遺物が解放されれば、この聖堂どころの騒ぎじゃ済まないにゃ。世界の傷が、別の場所で開くかもにゃ!」
「ああ。俺たちの戦いは、まだ終わっていなかったんだな」
ユアンは拳を握りしめた。世界の傷を癒やした直後に、また新たな傷が開こうとしている。だが、今回は、もう迷わなかった。やるべきことは分かっていた。世界の傷を癒やせるのは、俺たちだけだからだ。
「ルーチェ、エルナ、フィア。聞いての通りだ。急いで本山とガンドリアにいる仲間に連絡を入れよう。ベリルとゲンマの情報網を使って、聖遺物の正確な位置を割り出す。それから――」
ユアンはザカリアスを振り返った。
「お前たちにも協力してもらう。解放の儀式を止める方法、そして残る聖遺物を安全に処理する手段。知っていることを、全部話してくれ」
「……協力だと? 我々はお前の敵だ。聖教会の異端審問官が、魔王軍の先兵になるつもりか」
「敵とか味方とか、もういいだろ。大事なのは、世界の傷を二度と開かないことだ。そのためなら、俺は誰とでも手を組む。嫌か」
ザカリアスは苦笑した。
「……嫌だ、と言ったらどうする」
「押し通す。こっちには魔王城の財力と、フィアの尻尾と、ルーチェの祈りと、エルナの氷魔法がある。口を割らせる手段ならいくらでもある」
「物騒な仲間だな、本当に」
ザカリアスは深いため息をつき、それから観念したようにうなずいた。
「……いいだろう。話そう。聖遺物の、正しい処理方法もな。ただし、約束しろ。目的を果たした後は、我々を世界の敵としてではなく、道を誤った者として裁いてほしい」
「ああ。約束する。――だから、生きて最後まで話してくれよ」
こうして、新たな戦いの幕が切って落とされた。
事態は、ユアンたちの想像以上に深刻だった。聖遺物はあと二つ。解放の条件は、聖属性の魔力が高まること。そしてその時が、刻一刻と迫っている。
夜明け前、ユアンたちはクレメント家を飛び出し、魔王城への帰路を急いだ。
急報は、すでにベリルとゲンマの元へ届いている。フィアがスパイ部隊に連絡し、エルナが魔導通信で魔王城に状況を報告した。ルーチェは、弱まりゆく聖魔法の未来を案じながらも、ユアンの隣を走り続けた。
東の空が、かすかに白み始める。夜明けに、新たな影が伸びていた。




