第49話 聖堂の影
聖堂跡地は、想像以上に広大だった。
かつてはクレメント家の領地の中でも特に神聖な場所とされていたらしい。崩れかけた壁面には古い聖印が刻まれ、蔦がその輪郭をなぞるように絡みついている。月明かりだけが頼りの廃墟の中を、ユアンたちは慎重に進んだ。
「――ユアン、こっちにゃ」
物陰から、フィアが小さく手招きした。猫耳が周囲の気配を探るように微かに動いている。
「見つけたにゃ。この先の地下聖堂に、黒ローブの連中が七人。それと、奥に大きな石棺があるにゃ。周りに魔法陣を描いて、何か儀式をしてるみたいだにゃ」
「どんな魔法陣だ」
「詳しくはわかんないにゃ。でも、すごく嫌な感じの光にゃ。赤黒い、目が眩みそうな」
ユアンはエルナと目を交わした。彼女はこくりと頷き、声を潜めて言った。
「おそらく、封印解除の術式ね。それも、普通の聖魔法とは系統が違う。世界の傷に通じる魔力を利用して、聖遺物を無理やり覚醒させようとしてる。成功すれば、この一帯が瘴気に呑まれる」
「そんなことを……!」
ルーチェの手が、ぎゅっと胸元の聖印を握った。彼女の指先はかすかに震えている。だが、目はしっかりと前を向いていた。もう逃げなかった。
「先生、私も一緒に行きます。あの聖堂には、私の家が代々守ってきた何かがある。私が確かめなくちゃいけないんです」
「わかった。でも、無茶はするな。フィア、先に行け。敵の注意を逸らせ」
「了解にゃ」
フィアは音もなく瓦礫の上を駆け上がり、地下聖堂への入り口へと消えた。ユアン、エルナ、ルーチェの三人は、外壁伝いに裏手へと回り込む。
地下へ続く石段は、息苦しいほどの異様な魔力に満ちていた。空気は生ぬるく、鼓膜の奥で低い唸りが響いている。一歩進むごとに、世界の傷の瘴気に触れた時のような、あの独特の悪寒が背筋を走った。
「……この感覚、ガレアの戦場で大穴を見た時に似ている」
ユアンは小さく呟いた。
「ええ。おそらく、聖遺物は『世界の傷』を封じるための器よ。でも、今は逆に、その力を解放しようとしている」
「教会の残党は、それを何に使う気なんだ」
「わからない。でも、建国を目前にした魔王城を、再び混乱に陥れようとしているのは確かね」
三人は、崩れた柱の陰から地下聖堂の内部を覗き込んだ。
石造りの広い空間に、七人の黒ローブが並び、中央の石棺を囲んでいる。床には無数の呪術文字が血のように赤く光り、石棺の蓋がかたかたと震えていた。ローブの男たちは、くぐもった声で詠唱を続けている。その中心に、見覚えのある聖印を掲げる長身の男が立っていた。
「――あれは」
ルーチェが息を呑んだ。
「教会の異端審問官……! どうしてこんなところに……!」
「知ってるのか、ルーチェ」
「幼い頃、教会で私の聖魔力を調べに来た人です。あの時から、何かを企んでいたの……」
ユアンの脳裏に、ガルム王国で自分を誘拐した黒装束の男たちの顔がよぎった。教会の過激派は、あの頃からユアンの《完全回復》を狙っていた。そして今度は、世界の傷の力そのものを手に入れようとしている。
「こいつら、本気で聖遺物を解放する気だ」
エルナが、魔導書を抱えて身構えた。
「石棺の封印が破れる前に止めるわ。ユアン、また無茶するつもりでしょ」
「する。でも、今回は一人じゃない。――ルーチェ、行けるか」
「……はい。私が、あの聖遺物に響いている悲鳴を感じます。あれは、放っておいたらこの土地の人たちまで壊してしまう。私は、私の力で、あれを浄化してみせます」
「よし。――行くぞ、フィアも合流してるはずだ」
三人は一斉に石段を駆け下り、地下聖堂の内部へと躍り出た。
「――なんだ、貴様らは!?」
異端審問官が振り返り、黒ローブたちが一斉に魔法を構える。だが、彼らが攻撃を放つより早く、天井近くの梁からフィアが飛び降りた。
「にゃーお! 遅かったにゃ!」
フィアは審問官の手に持たれた聖印を蹴り飛ばし、返す刀で黒ローブの一人の足を払った。悲鳴と共に儀式の輪が乱れ、石棺を囲む魔法陣が不安定に明滅する。
「――《氷結牢獄》!」
エルナが追撃の氷魔法を放ち、黒ローブたちを次々と凍りつかせていく。ルーチェは、恐怖を押し殺しながらも、祈りを込めた聖光を放った。
「……どうか、その聖遺物を、これ以上苦しめないでください。――《慈愛の聖光》」
金色の光が石棺を包み込む。すると、赤黒く輝いていた魔法陣の色が、徐々に和らいでいく。石棺の震えが、ぴたりと止まった。
「な、なにをしている……! この機を逃せば、世界の傷はまた――」
「世界の傷は、俺が癒やしたはずだ」
ユアンが一歩前に出て、両手を広げた。その胸元で星晶石の欠片が目覚め、銀色の光が聖堂内に満ちていく。
「お前たちが呼び起こそうとしているのは、もう世界の傷じゃない。ただの恐れと、過去への執着だ。――《状態異常解除》」
銀色の波動が黒ローブたちを貫くと、彼らは一瞬でその場に崩れ落ちた。正気を失わせるほどに高められた狂信的な精神状態が、ユアンの力で「なかったこと」にされたのだ。残るは、異端審問官一人だった。
「き、貴様……! 世界を癒やしただと……? では、この聖遺物を鎮めたのも、お前の力なのか……」
「ああ、そうだ。今までも、これからも。俺が全部、癒やす」
「ユアン先生……! 石棺の中から、何か聞こえます。……助けて、って」
「待っていろ、今開ける。――《領域修復》」
ユアンの光が、石棺の封印を強制的に修復し、乱れていた術式を正常な状態へと戻していく。やがて、石棺の蓋が静かに開き、中からは無数の聖印が貼り付けられた、一人の聖女の亡骸と、溢れんばかりの聖属性の光が現れた。彼女は、この地で聖遺物として祀られていた、クレメント家の遠い祖先だった。
「――ありがとうございます、聖女様。あなたの苦しみを、終わらせに来ました」
ルーチェは涙を流しながら、聖女の胸元に手を置いた。聖遺物は、本来の聖女の祈りへと浄化され、石棺の中は柔らかな光に包まれた。後は、この遺体を正しく弔い、聖遺物を新たな形で安置すれば、二度と悪用される心配はない。
ユアンは、呆然と座り込む異端審問官を見下ろした。
「お前たちの仲間は、ちゃんと治す。その後で、全部話してもらうぞ」




