表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
47/49

第47話 クレメント家の事情


馬車を降りると、そこにはルーチェの両親と、大勢の使用人たちがずらりと並んで待っていた。


「ルーチェ……!」


母親が、真っ先に駆け寄ってきて、ルーチェの両手をぎゅっと握りしめた。華やかな衣装に身を包んだ、年の頃は四十代半ばといったところか。娘と同じ栗色の髪を結い上げ、目にはすでに涙が浮かんでいる。


「よく帰ってきてくれたわね。ああ、無事で……本当によかった……!」


「お母様、ただいま。――お父様も、お変わりなく」


ルーチェは穏やかに微笑み、続けて深々と礼をした。彼女の物腰は、すっかり外交官のそれだ。故郷に帰っても、彼女はもう、昔の泣き虫な少女ではなかった。


「うむ。久しぶりだな、ルーチェ。……ずいぶんと、立派になったようだ」


父は口ひげを蓄えた初老の紳士で、いかにも名家の当主といった風格がある。彼は一瞬だけ目を潤ませたが、すぐに表情を引き締め、ユアンたちのほうに向き直った。


「魔王軍特別顧問、ユアン殿。それに魔法医療顧問、エルナ殿。保安責任者、フィア殿。ようこそ、クレメント家へ。本日は、遠路はるばるのご来访、心から歓迎する」


「お招きいただき、ありがとうございます。こちらが、医療区画の構想をまとめた書類です」


ユアンが一歩前に出て、用意した書類を差し出す。父はその場で書類に目を通し、深くうなずいた。


「ほう……素晴らしい。これは、単なる病院の建設計画ではないな。診療所のほかに、薬草園、研究施設、孤児院まで。これが、魔王城の医療区画ですか」

「はい。病気を治すだけでなく、その後の暮らしまで支える。それが、私たちが目指す医療です」


「私も、聖属性医療顧問として、この計画に賛同しています。……お父様、クレメント家の土地が、この計画のために使われることを、私は心から嬉しく思います」


ルーチェの言葉に、父は満足そうにうなずいたが、その顔には一瞬、迷いの色が浮かんだ。


「……ルーチェ。ところで、本題に入る前に、少しだけ話がある。皆の前で言うべきことではないが、家族として、どうしても先に伝えておきたいことがあってな」


「どうしたの、あなた。せっかくの再会なのに、堅い話は後にして」


「いや、こればかりは、先に伝えねばならぬ。……実は、ルーチェ。お前には、この土地の提供の代わりに、一つだけ頼みたいことがある」


父の言葉に、場の空気が張りつめた。ルーチェは一歩も引かず、父を見つめる。


「頼みたいこと、ですか」

「うむ。……お前も知っての通り、クレメント家は代々、聖教会に深く関わる家系だ。お前が生まれた時、この家は聖女の再来を期待し、お前を教会に預けた。だが今、教会はこの体たらく。聖教会は没落し、周辺の領民も、家臣も、皆が路頭に迷いかけておる」

「お父様……」

「そこでだ。お前は今、魔王城の聖属性医療顧問として、世界的な名声を得ている。ついては、お前の名義で、クレメント家の領地内に新しい聖教会を建てさせてほしい。人々が集まれば、この土地は再び活気づく。失った領民の信頼も、教会の威光も、また――」

「お父様!」


ルーチェが、初めて声を張り上げた。


「私は、そのために顧問になったのではありません。私は、聖女の再来とか、家の再興とか、そういう看板じゃないんです。……私は、誰かを癒やしたいだけです。教会のためにでも、家のためにでもなく、ただ、目の前で苦しんでいる人を、助けたくて、ここにいるんです」


ルーチェは拳を握りしめ、肩を震わせていた。その目には、涙が浮かんでいる。彼女は懸命に、自分の言葉で父に抗った。


(ルーチェ……お前、いつの間にこんなに強くなったんだ)


ユアンは、彼女の成長に胸を打たれながらも、このままでは家と本人の溝が深まるばかりだと察した。彼はそっと前に進み、ルーチェの隣に並ぶ。


「当主様。一言、よろしいでしょうか」

「……なにか、ユアン殿」

「クレメント家の将来を案じるお気持ちは、私にもわかります。教会の失墜で、家を支える柱が揺らいでいる。だからこそ、私どもが来たのです」


ユアンは、父の目をまっすぐに見て言った。


「この土地に建設するのは、教会ではありません。私どもの医療区画です。だが、そこには聖属性医療の施設が入ります。つまり、クレメント家は教会に頼らずとも、領民の命を守る場を持てる。その施設を、ルーチェの名義で建てれば、領民の信頼も、教会の威光に頼らずに得られます。しかも、教会ではなく医療という未来に根差した形で」

「……確かに、それならば一石二鳥以上だ。しかし、ルーチェの名義で建てるとして、彼女はこの土地に常駐するのか。領民は、聖女の再来と呼ばれた彼女の聖光を、間近で受けたいと望むだろう。私とて、娘には領民の心の支えになってほしい。古い教会の跡地に、新たな聖女の家を建てて――」

「お父様、私はこの城に仕えています。聖女ではなく、医療顧問として」


「ルーチェ、話はまだだ。せっかく帰ってきたのだ。お前には、この家で――」


父の言葉が、続かなかった。フィアが、いつの間にかテーブルの果物に手を伸ばし、燭台を倒しかけたのだ。エルナが慌てて支え、フィアが「にゃっ! すまんにゃ!」と耳をぺたんと倒す。


「あー、その、当主様。ルーチェはこの家の娘である前に、世界を救った聖女です。そして、私たちの大切な仲間です。なので、彼女が望まないことを無理強いするのは、私が許しません」


ユアンの声は静かだが、有無を言わさぬものがあった。父は、はっと息を呑み、ルーチェの顔を見る。ルーチェは、泣き笑いの表情でうなずいた。


「お父様、私はここに、ユアン先生と共に、新しい医療の形を創りに来ました。どうか、私に託してください。この土地と、そこに住む人々を。教会の代わりに、癒やしの光を届けます。それが私の、クレメント家への恩返しです」

「ルーチェ……お前、いつの間に……」


父の目が、見る見るうちに潤んでいく。彼は、ユアンの言葉とルーチェの覚悟に、ようやく娘の本気を知ったようだった。


「わかった。わかったとも。この土地は好きに使うがいい。そして、すまなかった、ルーチェ。お前を、家の都合で縛ろうとして」

「いいえ、お父様。ありがとうございます」


ルーチェがほほえむと、隣で母がハンカチで目を拭いていた。父は、ユアンの手を両手で握りしめ、ぶるぶると上下に振った。


「ユアン殿、あなたのおかげで、ようやく娘と分かり合えた。礼を言う。この土地と、この家のすべてを、あなたに託そう」

「すべては困りますが、ありがたくお受けします。――これからも、よろしくお願いします」


ユアンが苦笑しながら応えると、父は「娘を頼みましたぞ!」と豪快に笑った。


こうして、一件落着したのだった。


その夜、クレメント家の夕食の席は、予想以上に和やかなものになった。


父はすっかり上機嫌で、ユアンに何度も酌をし、母はルーチェの昔話で泣いたり笑ったりしている。料理は、フィアが大絶賛した名物の鮭料理をはじめ、どれも美味い。ユアンは、クレメント家の料理人が誇るこの味を、どこか懐かしく感じていた。故郷に帰ったような、不思議な温かさがあった。


「ユアン様、この後、少しお話できませんか。私の部屋で育った、この家のことを……聞いていただきたくて」


ルーチェが、頬をうっすら赤らめて言った。


「もちろん。あとで庭でも散歩しよう。月がきれいだ」

「はい!」


ルーチェの笑顔に、ユアンも笑みで返す。


一方、エルナは給仕に礼を言いながら、窓の外を眺めていた。月の光が中庭を銀色に染めている。隣では、フィアが食後のデザートを頬張りながら、ぽつりとつぶやいた。


「……ユアン、ルーチェのこと、かっこよかったにゃ」

「ええ。あの場面は、私も痺れたわ。……でも、ああいうのを見ると、少しだけ、胸が痛いの」

「にゃ。……エルナもかにゃ。あたしも、ちょっとだけ、だにゃ」

「みたいね。私たち、なんでこんなに切なくなるのかしら」


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。それが、たった今始まったばかりの、新しい国づくりの道のりを、仲間と共に歩む証だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ