第46話 ルーチェの実家
建国準備が進む中、各国の有力者から魔王城には連日のように書簡が届いていた。
その中で、医療区画の拡張に必要な土地の提供を申し出てきた名門貴族がいる。ルーチェの実家である、聖教会の有力な信徒家系として知られるクレメント家だった。
「――私の実家が土地を? しかも、新医療区画の候補地として?」
執務室で、ルーチェが目を丸くした。ユアンも同様に、届いたばかりの手紙を読み返す。
「ああ。ガレア王国との戦いで、ルーチェの名が大陸中に知られた。お前は魔王城の聖属性医療顧問だ。実家としては、そんな娘の仕事に貢献したいらしい」
「そ、そうだったんですか。私、最近は家と連絡も取っていなくて……」
ルーチェは、羊皮紙をぎゅっと握りしめた。彼女の表情には、郷愁と、ほんの少しの戸惑いが浮かんでいる。実家に帰るのは、勇者パーティーに加わるために教会へ出て以来かもしれない。
「いずれにしても、これは大きな申し出だ。受け入れるかどうかはともかく、相手は大陸でも指折りの名家だ。こちらから正式に打診しないわけにはいかない。――というわけで、ルーチェ。お前の実家に行こう。俺と、ルーチェとで」
「二人で、ですか?」
ルーチェの声が、わずかに裏返った。
その瞬間だった。
「――待ってください」
スッと扉が開き、エルナが入ってきた。後ろにはフィアもいる。ちょうど昼の見回りから戻ってきたところらしい。
「ユアン、ルーチェの実家に二人で行くって、本当?」
「ああ。医療区画の土地提供について、先方と直接話をつける必要がある。クレメント家は聖教会の有力家系だ。今は教会が失墜してるからこそ、向こうも『元聖女』のルーチェとの縁を確かにしたいんだろう」
「それは……わかるけど。でも、あなたはこの間ガレアで誘拐されたばかりよ。また一人で出歩いたら、今度こそ何が起こるか」
「エルナ、落ち着け。一人じゃない。ルーチェも一緒だ」
「私も行くわ。二人きりの訪問は危険すぎる」
「あたしも行くにゃ! 保安責任者として、ユアンを守るのはあたしの仕事だしにゃ!」
「おいおい、フィアまで。……これは仕事だからな、遊びに行くわけじゃないぞ」
「だからこそにゃ! 護衛としてならあたし以上の適任はいないにゃ。スパイ部隊のエースとして、うんぬんかんぬん」
「お前、その理屈はいつも一緒だな」
ユアンが三人を交互に見て、ため息をつく。ルーチェは状況についていけず、エルナとフィアの勢いに押されておろおろしている。エルナは「大丈夫、私が隣にいれば、ルーチェの家だって渡り合えるわ」と言い、フィアは「クレメント家の鮭は有名にゃ! ぜったい行くにゃ!」と関係ないことまで言い出す。
「だいたい、あたしがいないとユアンはすぐ無茶するんだから、目が離せないにゃ」
「それはそうだけど……」
ユアンがもう一度ため息をつこうとした時、クレメント家からの書簡が、微かな風で机からひらりと落ちた。
「――では、行くか」
翌朝、玉座の間。
リリスが玉座から立ち上がり、四人を見下ろした。ルーチェの実家訪問について、エルナとフィアが同行を直訴してきたのは、つい先ほどのことだ。いや、直訴というよりは「二人だけで行かせるなんて、私が許しません」「あたしも許さないにゃ」と食い下がるのを、リリスが「やれやれ」と言いたげに聞いていた。
「いいだろう。ただし、くれぐれも粗相のないようにな。特にフィア、先方は大陸でも五本指に入る名家だ。鮭の話しかしないなとは言わぬが、まともな挨拶をしろ」
「も、もちろんにゃ! あたしはユアンの護衛兼、保安責任者として、正装していくにゃ!」
「それから、ユアン。そなたはいい加減、自分の護衛が三人もつくことを受け入れろ。お前がどこかで攫われたりすれば、困るのは我々全員だ。わかっているな」
「……はい。肝に銘じます」
「よろしい。あと、帰りに土産を買ってこい。ふわとろオムレツの材料でもいい」
「なんですかそれ。リリス様も楽しみにしてるんですか、うちの土産話が」
「当たり前だ。建国準備で疲れた我への土産だ。期待している」
リリスはそっけなく言いながらも、口元がわずかにほころんでいた。ユアンは「では、行ってまいります」と四人で礼をし、玉座の間を後にした。
外は快晴だった。
四人は、魔王城の門前でクレメント家が差し向けた馬車に乗り込んだ。御者が「クレメント家へようこそ」と慇懃に頭を下げる。馬車の中は、これまで見たこともないほど豪華だった。赤いビロードの座面に、金の装飾が施された天井。小さな窓からは、道行く村々の景色が見える。
「にゃー、この馬車、ふかふかで寝ちゃいそうだにゃ」
「フィア、寝るなよ。重要な外交の場だからな」
「だいじょうぶだにゃ。……今のうちに、ちょっとだけ、目を閉じるにゃ……」
「もう寝ようとしてるじゃないか」
ユアンが呆れていると、エルナが隣に静かに座った。彼女は馬車の窓の外を眺めながら、つとめて自然な口調で言った。
「……ルーチェ、実家に帰るの、やっぱり緊張する?」
「え? はい、実は……少し」
ルーチェは向かいの席で、祈るように手を組んでいた。
「私はいわゆる、家の恥で。聖女見習いとして教会に入ったのも、家の期待に応えられなかったからなんです。今は魔王城の顧問になりましたけど、家の人たちにどう思われてるか……」
「大丈夫よ。あなたはもう、あの頃のルーチェじゃない。世界を救った聖女なんだから」
「エルナさん……ありがとうございます」
「それに、何かあったら私とフィアが守るわ。ね、フィア」
「……すぴーにゃ……」
「寝てるし」
三人の笑い声が、馬車の中を満たした。ユアンは窓の外を見やり、過ぎ去る風景を眺める。かつて自分は、雨の日に一人で魔王城に連れてこられた。今はこうして、仲間と馬車に揺られながら、新しい国づくりのために故郷を巡っている。不思議な気持ちだった。
「なあ、ルーチェ。お前の実家は、どんな場所なんだ」
「え、と……森の近くで、川が流れていて。春になると、丘に花が一面に咲くんです。家は古いけど大きくて、厩には馬が何頭もいて。……私、小さい頃はよく、庭の木に登って叱られてました」
「へえ、お前が木登りを」
「ふふ、意外ですか?」
「意外だな。聖女見習いのイメージが崩れる」
「もう、先生。私だって子供でしたから」
ルーチェの声は、少しだけ弾んでいた。彼女の故郷が近づいている。ユアンは、その横顔を眺めながら、ルーチェが自分から故郷の話をする日が来るとは思わなかった、と静かに感慨を覚えていた。かつての彼女は、実家の話どころか、自分の気持ちすら隠し続けていたから。
「着いたら、まずはお前の両親に挨拶だ。それで、領地を見せてもらう。何が最善か、みんなで判断しよう」
「はい、先生。私も、頑張ります」
「大丈夫。お前は一人じゃない。俺も、エルナも、それから……フィアも、一応ついてる」
「一応って何にゃ。……あれ、ここはどこだにゃ」
目を覚ましたフィアが、大きなあくびをしながら猫耳を立てた。エルナが「もうすぐルーチェの実家よ」と笑う。馬車は林を抜け、丘へと差しかかっていた。
窓の向こうに、大きな門が見えてくる。蔦の絡まる古い門には、蔦の奥に彫られた家紋がかすかに見えた。ルーチェが「あれです」と小さく指さす。
「ようこそ、クレメント家へ。――私の、生まれた家です」
馬車が門をくぐると、整えられた並木道が続き、その先に、遠く白亜の館が見えた。中庭の噴水が陽の光を浴びて輝いている。そして、門の前には、何か場違いなほどの数の召使いと、出迎えの家族らしき人影が並んでいる。
「うわあ……大歓迎だな。城にでも来たみたいだ」
ユアンが思わずつぶやくと、ルーチェは小さな声で「うちは、その、少し古い家なので、はりきってるんだと思います……」と真っ赤になった。
エルナが「これはこれで、後が大変そうね」と苦笑し、フィアは「鮭が待ってるにゃ!」と何故か目を輝かせている。
馬車が止まり、御者がドアを開けた。外の空気が流れ込んでくる。花の香りがした。
――ルーチェの実家への訪問が、始まった。




