第44話 建国の準備、聖女と共に
建国に向けた動きは、思ったよりも早かった。
ベリルがイストリアとガルムへ赴き、ゲンマが各国の情報を精査する。その間、ユアンは医療区画の整備を進めながら、新国家「リリスノア」の構想に必要な医療・福祉分野の素案をまとめていた。
しかし、机に齧りついてばかりでは息が詰まる。というわけで今日は、医療区画の拡張候補地を実地調査することになった。同行者は、聖属性医療顧問であるルーチェだ。
「ユアン先生、今日はよろしくお願いします!」
朝の城門前。ルーチェはいつもの修道服ではなく、動きやすい白いローブ姿で立っていた。腰には救急用の巾着袋。手には測量用の羊皮紙。大きな瞳は、これから始まる業務への期待で輝いている。
「ああ、よろしく。──しかし、今日は朝からいい天気だ。絶好の視察日和だな」
「はい!私、ずっと先生と二人でお仕事してみたかったんです。いつもフィアさんやエルナさんが一緒でしたから」
「そうだったか?」
「そうですよ。私、なかなか先生を独り占めできなくて。……あ、今の、忘れてください」
ルーチェは真っ赤になってうつむいた。ユアンは「お、おう」と間抜けな返事しかできない。ルーチェは気を取り直すように、こほんと小さく咳払いしてから羊皮紙を広げた。
「じゃ、じゃあ、今日の視察先を確認します! 医療区画の拡張候補地は三ヶ所。一つ目は王都の外れ、二つ目は旧市街の教会跡地、三つ目は西の草原地帯です。どこも利点と課題があるので、順番に見て回りましょう」
「了解。ルーチェ、しっかり調べてるんだな」
「もちろんです。私、聖属性医療顧問ですから。先生の足手まといにはなりません」
ルーチェは胸を張って笑った。その笑顔は、かつて毒沼で泣きじゃくっていた少女と同一人物とは思えないほど、力強かった。
最初の候補地は、王都の外れの開けた土地だった。
医療区画の本館からほど近く、既存の施設からの搬送も楽というのが最大の利点だ。ただし、周囲に住宅が多く、拡張によって住民の生活を圧迫する恐れがある。
「うーん、ここは便利だけど、区画を広げるなら住民の移転交渉が必要になるな……」
「はい。それに、ここは地盤が少し緩いんです。教会の建築記録で読みました。聖属性の結界を張るには向いていないかもしれません」
ユアンは驚いてルーチェを見た。彼女はしゃがみ込んで地面に手を当て、目を閉じて何かを感じ取っている。
「ルーチェ、土地の状態までわかるのか」
「私の聖属性感知は、人や魔物の気配だけじゃなく、大地の状態もなんとなく掴めるんです。訓練すれば、もっと正確になります。……先生、この場所はやめたほうがいいと思います。土地が疲れています。建物を建てても、長くは保たないかと」
「そうか……よし、ならここは保留だ。次の場所に行こう」
ルーチェは嬉しそうに立ち上がり、スカートについた草を払った。彼女の意見が採用されたのが、素直に嬉しいらしい。ユアンは彼女の小さな笑みに、自分まで気分が明るくなるのを感じた。
次の候補地は、旧市街の教会跡地。
ガレア王国との戦い以降、聖教会の影響力は急速に衰え、王都から撤退した教会の建物がいくつも空き家になっていた。ここはもともと聖属性の祈りの場だっただけあって、土地の聖力は健在だ。医療区画の分室にはもってこいかもしれない。
「この場所、すごく温かい感じがします。昔、たくさんの人がここで祈っていたんだなって」
ルーチェは教会の壊れかけた祭壇の前に立ち、両手を握った。その姿はどこか神々しく、ユアンは一瞬息を呑む。
「……ルーチェは、教会のことを恨んでないのか」
ユアンがそう聞くと、ルーチェは少し考えてから振り返った。
「恨む気持ちが、まったくないとは言いません。でも、私が育った教会は、ここまでひどい場所じゃなかったんです。貧しい人に施しをして、怪我人を癒やして。私が聖女見習いになったのも、誰かの役に立ちたかったから。その気持ちだけは、今も本物です」
「そうか。お前は強いな」
「私が強いんじゃないです。先生が、私の気持ちを肯定してくれたからです。教会の言う『聖女』じゃなくても、私は私のやり方で人を癒やしていいんだって、教えてくれたのは先生です」
ルーチェはユアンをまっすぐに見上げた。夕方の光が、彼女の栗色の髪を金色に染めている。
「……先生、私、今とても幸せです。魔王城に来て、先生の弟子になれて、こうやって新しい国のために働けて。毒沼で絶望していたあの日、私の人生は終わったと思ってた。でも、先生が全部、変えてくれました」
「ルーチェ……それは俺も同じだよ。俺も、お前たちと出会って人生が変わった。お前は、俺の弟子で、大事な仲間だ。いつも助けられてる」
「私、もっと先生の役に立てるようになりたいです。人を癒やすためだけに生きてきた自分の力が、こうして多くの人を救えるなんて、夢みたいで。……ずっと、夢なら覚めないでほしいって思ってるんです」
彼女の声は震えていた。ルーチェは懸命に笑おうとしているが、目尻がうるんでいる。
「夢なんかじゃないさ。これは、お前が自分の力で掴んだ現実だ。自信を持てよ、ルーチェ。お前はもう、教会の言う聖女じゃない。世界でたった一人の、俺の弟子だ」
「……先生!」
ルーチェは、堪えきれなくなったように一歩踏み出し、ユアンの胸に顔をうずめた。突然のことにユアンは戸惑ったが、彼女の肩が小刻みに震えているのを感じて、そっと背中に手を回した。
(この子も、ずっと一人で抱えてきたんだな。聖女と呼ばれ、期待され、それに応えられず、逃げ出したくても逃げ出せなかった。……今やっと、自分の居場所を見つけたんだ)
しばらくして、ルーチェは顔を上げた。目は赤いが、笑顔は晴れやかだ。
「……ありがとうございます、先生。あの、私、決めました。私は先生の弟子として、この国で、誰もが救われる医療を創ります。世界中の教会が閉まっても、ユアン先生の医療区画があれば大丈夫だって、そう言われるような場所に」
「それは頼もしいな。じゃあ、聖属性医療顧問として、これからもよろしく頼む」
「はい!……あ、でもその前に、この教会跡地、結局どうします?」
「ここは……いい場所だ。ルーチェの言う通り、土地が温かい。分室を建てるのはここにしよう」
「本当ですか? 私の意見、ちゃんと聞いてくれましたね」
「当たり前だろ。俺はお前の意見を聞くために一緒に来てるんだ。これからも、どんどん意見をくれよ」
ルーチェは満面の笑みを見せ、ユアンの腕に自然と抱きついた。弟子が師匠に甘える、その距離感が、今は妙に嬉しい。
「……でも、これ、建物の改修に聖属性の浄化が要りますね。私、やってみてもいいですか」
「ああ。お前の聖魔法で、この場所を新しい医療区画に生まれ変わらせよう。俺も手伝う」
そうして二人は、古びた祭壇に並んで立ち、互いの魔力を響かせながら、教会跡地を浄化し始めた。銀色と金色の光が混ざり合い、廃墟は静かに新たな命を宿していく。
建国準備の、確かな一歩だった。
夕方、城へ戻る道すがら、ルーチェがぽつりと言った。
「今日は、先生とたくさんお話しできて、本当に楽しかったです。……こういう時間、もっと増えたらいいのに」
「そうだな。忙しいけど、たまには二人で出歩くのも悪くない。……って、うわっ」
どこからともなく、ふいに黒い影が飛び出してきた。じゃなくて、猫耳を逆立てたフィアが木陰から飛び出してきた。
「ふたりとも、仲良しすぎるにゃ! これは保安責任者として、規律違反の疑いがあるにゃ!」
「フィア、それは言いがかりだ。……というか、隠れてついてきてたのか」
「にゃっ……そ、それは、あたしもユアンと仲良くしたかっただけにゃ!」
ルーチェはくすくす笑い、ユアンはため息をつきながらも、三人で城への道を歩き始めた。
新しい国の形が、少しずつ現実を帯びていく。ユアンとルーチェの距離もまた、確かな一歩を踏み出していた。




