第43話 建国の提案
朝の厨房は、今日も戦場だった。
「ユアン様、大鍋の火加減はこれでいいですか!」
「おい、そこの新入り!包丁の握り方がなってないぞ!切り方からやり直せ!」
「ユアン先生、味噌汁の出汁、そろそろいい香りです……!」
「にゃー!今日は味噌汁の具は豆腐にするにゃ!あたしが市場で一番いいのを買ってきたにゃ!」
様々な声が飛び交う中、ユアンは手早く朝食の支度を進めていた。医療区画の拡張に伴い、魔王城で働く者も増え、厨房の規模も倍以上になっている。バルザックの指導のもと、新米料理人たちは日々腕を磨き、元聖騎士団の若者までが野菜を刻むようになっていた。
「おい、ユアン。お前、今日は朝から会議だろ。いつまで厨房に立ってるつもりだ」
エプロン姿のバルザックが、大鍋をかき混ぜながら声をかけてくる。
「あと少しだけ。この味噌汁の味を整えたら行きます」
「特別顧問ってのは、この城で一番偉いやつの一人なんだぞ。自覚しろ」
「……そう言われると、まだ慣れないです」
「馬鹿野郎。誰がそんなに急に偉くなれるって言うんだ。俺だって50年かかって厨房の主になったんだ。お前はもう少し時間をかけて、この城に馴染んでいけ」
「料理長……」
バルザックの言葉が、妙に胸に沁みた。
「でも、お前の味噌汁がこの城の朝を作ってる。それは誰にも代われない。――さっさと行ってこい。会議が終わったら、昼の仕込みを手伝え」
「はい。行ってきます」
ユアンはエプロンを外し、朝食を済ませたゼクスと共に玉座の間へと向かった。ゼクスは相変わらず無口だが、今日は少しだけ歩調がゆっくりな気がする。
「ゼクス、何か知ってるのか。今日の会議の内容」
「……いや。俺も聞かされていない。だが、リリス様が全員を召集した」
「全員か。重大な話なんだな」
「ああ。お前も、覚悟して臨め」
それだけ言って、ゼクスはまた黙った。ユアンは胸の奥に、緊張とも期待ともつかない感情が広がるのを感じた。
玉座の間には、すでに主要メンバーが集まっていた。
リリスを中心に、ベリル、ゲンマ、ドルガ、ゼクスが勢揃いしている。ユアンが到着すると、続けてエルナ、ルーチェ、フィアも入室してきた。テオバルトは姿が見えない。どうやら、この会議は魔王城の中枢だけで行われるようだ。バルザックも厨房から動けないので不参加らしい。
「――全員、揃ったな」
リリスが玉座から立ち上がり、玉座の間を見渡した。
「今日集まってもらったのは、他でもない。魔王城の、これからについてだ」
リリスの声は、いつもより少しだけ硬かった。それだけ、彼女にとっても重大な話なのだと、ユアンは直感した。
「今や、我が魔王城は大陸全土に影響力を持つ。ガルム騎士王国、イストリア王国は我々と同盟を結び、ガレア王国は事実上我々の保護下にある。聖教会は失墜し、世界の傷は癒やされた。そして、ユアンという世界を癒やす者を中心に、人間と魔族の垣根は確実に崩れつつある」
リリスは一拍置き、全員の顔を見回してから、静かに、しかし力強く宣言した。
「――この機に、我が魔王城を正式に一つの国家として発足させる。名は『魔王城』ではなく、『リリスノア』。我と、ここに集うすべての者が、人間も魔族も分け隔てなく暮らせる国を、この地に創りたい」
玉座の間に、深い沈黙が落ちた。
(国を、創る)
ユアンは、リリスの言葉を頭の中で反芻した。それは、魔王城で暮らすようになってから、いつかは来るかもしれないと思っていた瞬間だった。魔王城はすでに、一つの街と言っていいほどの規模になっている。そこに法と秩序と、何より「みんなの国だ」という名を与える。それは、リリスが300年かけて辿り着いた答えなのかもしれない。
最初に口を開いたのは、意外にもゼクスだった。
「……賛成です」
ゼクスは短く言い、兜を外してリリスに一礼した。素顔をさらけ出しての、珍しいほどの明確な意思表示だった。
「筆頭護衛隊長として、新しい国の盾となり、剣となります。リリス様が決めた道なら、どこまでもお供します」
「ゼクス……」
「おいおい、堅いなあ。俺も賛成だぜ、もちろん!」
ドルガが太い腕を組んで笑った。彼の豪放な声が、玉座の間の空気を一気に和らげる。
「国を創るってのは、言うほど簡単じゃねえが、今の我々ならできるさ。兵士たちも、大陸中から集まった新しい仲間も、みんなリリス様とユアンのために命を張るって言ってる。――なあ、ユアン、お前もそう思うだろ?」
「ドルガさん、俺に振らないでください。……でも、俺も賛成です」
ユアンが答えると、リリスがほんの少しだけ微笑んだように見えた。
「私も賛成に一票です」
ゲンマが仮面の奥から静かな声を発した。
「むしろ、今をおいて他に機会はありません。各国の力関係は我々に有利に傾いています。手間取れば、その間にまた教会の残党や、旧来の秩序にしがみつく者たちが勢いを盛り返す。彼らを出し抜くためにも、国家としての体裁を整え、国際社会の正式な一員として認めさせることが重要です。……ただし、やるからには急いではなりません。こちらから一方的に宣言するのではなく、各国の承認を取りつけ、段階的に進めるべきです」
「その通りだな。ベリル、お前の意見は」
リリスに問われ、ベリルは眼鏡を押し上げて一歩前に出た。
「――賛成です。私は以前から、この時のために必要な算段をしてきました」
その言葉に、ユアンは瞠目した。ベリルはいつも通り冷静な口調で、淡々と続ける。
「まずはガルム騎士王国とイストリア王国に非公式に打診し、支持を確約させます。その後、周辺の小国に呼びかけ、国際的な承認を取りつける。それから、各国の大使を招いての建国宣言式典を行う。順序を誤らなければ、ほぼ問題なく進むはずです。問題は、その後です」
「その後、とは」
「国家として存続する以上、内政も外交も今まで以上に複雑化します。リリス様一人にすべて背負わせるわけにはいきません。行政府を整え、各省を立ち上げ、人材を配置する。そこに、ユアンたちにも入ってもらいます」
「また俺の仕事が増えるのか……」
ユアンが苦笑すると、ベリルは「当然だ」と冷たく返した。
「ユアン、お前は特別顧問だ。『医療・福祉・外交』の要職に就いてもらう。お前の名は、今やこの大陸で最も人を集められる看板だ。使わない手はない。……お前のためでもあるぞ。居場所が、国という形で永遠に残るんだからな」
「……永遠に、か」
ユアンの胸の奥に、リリスの言葉がよぎった。『そなたは我の城で誰よりも必要とされている』。あの日、確かにリリスはそう言ってくれた。それが今、国を創るという形で、さらに大きなものになろうとしている。
「俺は……国とか政治とか、正直わからないことばかりです」
ユアンは正直に言った。
「でも、みんながここにいて、誰もが笑っていられる。そんな国なら、俺に少しでも作れるなら、力を尽くしたい。医療でも、料理でも、回復でも、なんでも」
「それでいい。いや、それがいい。――ルーチェ、エルナ、フィア。お前たちにも協力を求める。ユアンを支え、新しい国の礎となれ」
「――御意です、リリス様!」
ルーチェが聖印を握りしめ、深く一礼する。
「私、この新しい国で、人間と魔族の架け橋になりたいです。私の聖属性医療が、少しでも皆様のお役に立てるなら、生涯をかけてお仕えします」
「私もです。氷魔法と医療魔法の研究で、この国を支えます。……もともと、ユアンと一緒にいると決めた時から、覚悟はできていますから」
「あたしもにゃ!保安責任者として、この国が安全で平和な場所になるよう、泥棒から侵略者まで全部やっつけるにゃ!」
三者三様の力強い返事に、リリスは満足げにうなずいた。
「では、まずは他の王国への根回しから始める。ゲンマ、お前は情報網を使い、各国の王族や貴族の反応を探れ。ベリル、お前はイストリアとガルムへ赴き、直接交渉してこい。ユアンは――しばらくは医療区画を優先しろ。お前の姿が見えることで、この城に集う者たちは安心する」
「わかりました。医療区画も、建国の準備と両立させます」
「うむ。では、これより会議を終了する。各国の王たちが、この提案をどう受け止めるか。それによって、我々の未来が決まる。――皆、力を尽くせ」
「「「御意!」」」
一同が頭を下げ、それぞれの持ち場へと散っていく。玉座の間を出る間際、ユアンはリリスにそっと声をかけられた。
「ユアン。お前の存在が、この国を現実にした。……礼を言う」
「リリス様が決断したからです。俺は、そのお手伝いができて嬉しいです」
「……可愛げのない。まあいい。夜、厨房に顔を出す。飯が食いたい」
「お任せください。今日の夜は、建国準備の前祝いです。とびきりのコースを作りますよ」
「楽しみにしている。――では、いけ」
「はい」
ユアンが一礼して去ると、リリスは一人、玉座に腰を下ろし、天井を見上げた。
(国か……。かつての我には、想像すらできなかった。人間と共に、手を取り合って生きる未来。それが、もうすぐ現実になる)
その胸に、確かな温もりが灯っている。かつて聖剣に貫かれた古傷を癒やし、世界の傷までも癒やした、たった一人の回復術師がもたらした奇跡。リリスはそっと目を閉じ、小さく微笑んだ。




