表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
37/49

第37話 聖骸の軍勢


戦場は、音と光と怒号に満ちていた。


魔王軍の先陣が敵の前衛と激突し、剣戟の音が大地を叩く。魔導士隊の詠唱が空気を震わせ、火球が弧を描いて敵陣に落ちる。聖騎士団の聖魔法が白銀の盾となって魔族の攻撃を弾き、獣人戦士の戦斧が兜を砕く。血と悲鳴と雄叫び。戦場はまさに混沌の坩堝と化していた。


だが、その戦場の中心で――最も異質な光景が広がっていた。


「――《修復術式拡張・領域修復》!」


ユアンの声とともに、銀色の光が戦場の一角を丸ごと包み込む。聖騎士団の聖魔法による火傷を負った魔族兵も、敵の剣で深く切られた王国兵も、光に触れた瞬間から傷が塞がっていく。敵味方を問わない、戦場の真ん中での広域治癒。その光は、殺伐とした戦場に一瞬の静寂をもたらすほど神々しかった。


「な、なんだあれは……!敵の兵士まで治している……!」

「人間の、まだ少年じゃないか。それが、こんな真似を……!」

「あれが、噂の『世界を癒やす者』……!」


連合軍の兵士たちは、自分たちの周囲で次々と敵兵が回復していく光景に、戦意を大きく揺るがされた。攻撃を続けるどころか、武器を構えたまま呆然と立ち尽くす者もいる。彼らの常識では、回復魔法は味方にだけかけるもの。ましてや戦場のど真ん中で、敵味方の区別なく癒やしの光を放つなど、前代未聞だった。


「――《状態異常解除・拡張》!」


ユアンが再び右手を振るうと、聖騎士団が自らにかけていた筋力増強、防御力向上、聖属性の加護――それらすべてが消え去った。祝福を失った聖騎士たちの動きが一瞬で鈍り、そこにフィアの影が滑り込む。


「にゃはは!楽勝にゃ!――《影牢》!」


フィアが戦場の地面に無数の影の触手を走らせる。影は足元から這い上がり、次々と聖騎士たちを地面に縫い止めていった。身動きの取れなくなった聖騎士に、エルナの氷の矢が正確に突き刺さる。鎧の間のわずかな隙間を狙った、致命を避けた動きを止めるための一撃だった。


「よくやった、フィア!エルナは左翼を!ルーチェ、聖騎士の前に防壁を!」

「――わかりました!《慈愛の聖光》!」


ルーチェが放ったのは、もはやかつての聖盾結界ではなかった。聖女としての力を完全に開花させた彼女は、敵の聖騎士たちの心に直接語りかけるように、金色の光を全方位に広げていく。それは、敵の闘争心をすっと穏やかにほどいていく光。怒りや憎しみを、優しく包み込む力だった。


「私、聖騎士団の皆さんに呼びかけているんです。どうか、もう戦わないでください。私たちはあなたたちの敵ではありません。剣を置いてください。――お願いです」


聖騎士の何人かは、泣きながら剣を落とした。神に仕えるはずの自分たちが、何をしているのかわからなくなった。敵を殺すために戦場に立つのが聖騎士なら、戦場で敵味方問わず癒やしを撒くあの少女は、むしろ本物の聖女ではないのか。


「いやだ、俺は……俺はただ、家族を守りたかっただけなのに……」

「俺たちは、何のために戦ってるんだ……?」

「やめろ、剣を捨てるな!あれは悪魔の手先だ!惑わされるんじゃない!」


しかし、聖騎士団長の怒号も空しく、戦場のあちこちで武器を捨てる者が相次いでいた。ユアンの無双は、戦局を完全に魔王軍側へ傾けつつあった。


――だが。


戦場の北側、連合軍の後方で、異様な気配が広がっていた。


初めは、単なる後詰めの増援に見えた。戦場に駆けつけてきた一団は、黒い旗を掲げている。聖教会の象徴でも、三王国の紋章でもない。どくろをあしらった漆黒の旗――。


「……なんだ、あれは」


ベリルが真っ先に気づいた。彼女の鋭い瞳が、北の地平線に現れた集団を捉える。その数は多くない。わずか数百。だが、彼らが放つ異様な魔力の圧は、五万の兵士よりもはるかに濃厚だった。


「――ゲンマ!あれは何だ!情報になかったぞ!」

「……こちらで把握していない部隊だと?ありえん。これほどの魔力を持つ一団が、どうして今まで――」


ゲンマが仮面の奥の目を細めた。彼の間者が、これほどの戦力を報告し忘れるはずがない。つまり、この一団はつい先ほど、何らかの方法で戦場に直接出現したのだ。


「……まさか、転移門か?それも、これほどの数を一瞬で……!?」


ゼクスが大剣を構え、ドルガが獣人の戦士たちを結集させる。リリスは玉座の間から戦況を見守っていたが、彼女もまた、黒い旗の集団から発せられる異様な気配に眉をひそめていた。


「――あれは……」


テオバルトが、聖剣を抜き放ち、青ざめた顔で黒旗の集団を指さした。


「止めろ、誰も近づくな!あれは、教会の禁忌――『聖骸騎士団』だ」

「聖骸……?」


「ああ。教会が聖戦の切り札として、極秘に作り上げた悪夢の騎士団だ。戦死者の遺体に聖遺物を埋め込み、死体のまま戦わせる――。聖属性の力で動く、不死の騎士団。あれは、もはや人間ではない。正気も、命も、心もない。ただ命令のままに動く、生ける屍の軍勢だ……!」


テオバルトの言葉に、ルーチェが両手を口に当てて震えた。


「そ、そんな……!教会が、そんな非道なことを……!」

「だからこそ、知られてはいけなかったのだ。聖教会の闇――あれこそが、隠された禁忌の一つだ」


黒い旗を掲げた聖骸騎士団は、戦場に足を踏み入れると同時に、連合軍の兵士たちすらも蹴散らしながら進軍を始めた。味方の兵士を巻き添えにしつつも、彼らはひたすら真っ直ぐに、魔王軍の中心――いや、ユアンのもとへと向かっている。


「……こいつら、ユアンを狙っている……!」


ベリルが叫んだ。


「全軍、防戦態勢!ユアンたちを守れ!」


聖骸騎士団の騎士たちが、一斉に抜剣した。その剣は漆黒の闇をまとい、ユアンの放つ癒やしの光を、あろうことか刀身で吸い込んでいく。回復魔法が通用しない。いや、そもそも彼らに「傷」という概念が存在しないのだ。死者に回復魔法は効かない。ユアンの最も得意とする癒やしの力が、初めて完全に無力化される相手だった。


「――効かない……!」


ユアンが放った《状態異常解除》も、聖骸騎士団には通用しなかった。死体を動かしているのは呪いや病ではなく、神聖な聖遺物の力だからだ。癒やしではなく、むしろ聖属性の力に近い。ユアンの修復術式をもってしても、死者を蘇らせることはできない。彼らは、ユアンの力を恐れる必要のない、正真正銘の対・癒やし手の切り札だった。


「にゃ……!こいつら、気配がないにゃ!あたしの影牢も、全然効いてないにゃ!」

「私の氷魔法が……身体を貫いても、構わず進んでくる……!」

「ユアン先生!どうすれば……!」


聖骸騎士団は、無言のまま四人を包囲しようとしていた。その無機質な兜の奥で、青白い光がぎらりと光る。生前の意思など欠片もない。彼らはただ、教会の命じるままに、ユアンを――世界を癒やす者を――排除するために動いていた。


「……ユアン」


リリスの念話が、リンクを通してユアンの脳裏に直接響いた。


「この戦場は、お前の力だけでは勝てない。今こそ、我が城の総力で当たる時だ。――お前は仲間を、そして敵味方なく救え。聖骸騎士団は、我らに任せろ。いいな」


「……リリス様。でも、彼らも――」


ユアンは言いかけて、唇を噛んだ。自分には「死人を癒やす」ことはできない。だって、彼らの命はもう失われている。ユアンの力は万物の傷を修復するが、既に存在しないものまでは修復できない。テオバルトから教わった「因果遡行」ならあるいは、何かできるのかもしれないが、戦場の混乱の中では試すことすら難しい。


「……わかりました。リリス様、お願いします。――みんな、聖骸騎士団からは一旦離れるぞ!俺たちは、生きている兵士たちを助ける!」


「「「了解!」」」


ユアンたち四人は、迫りくる聖骸騎士団の包囲をかいくぐり、戦場の後方へと回り込んだ。入れ替わるように、魔王軍の精鋭たちが聖骸騎士団の前に立ちはだかる。


「魔王軍四天王、筆頭護衛隊長ゼクス。――我が大剣、死者に安らぎを与えるために振るう」


ゼクスが大剣を抜き放ち、先陣の聖骸騎士に切りかかった。大剣が聖骸騎士の兜を打ち砕き、中から青白い光が溢れ出す。死者は倒れたが、後ろからさらに次々と聖骸騎士が押し寄せる。その間にも、ベリルの大鎌が舞い、ドルガの鉄拳が聖骸騎士を打ち砕き、ゲンマの影の魔法が聖骸騎士の足を絡め取っていく。


「――はあああっ!」


ベリルの大鎌が、聖骸騎士の首を刎ね飛ばした。鎧が崩れ落ち、中の聖遺物が露出する。その聖遺物を見た瞬間、ベリルの顔色が変わった。


「……こいつは、教会の聖遺物だ。間違いない。――テオバルト!こいつらを止める方法はないのか!」

「聖遺物を破壊すれば、死体は動きを止める。だが数が多い……!それに、あれを見ろ!」


テオバルトが指さした先、聖骸騎士団のさらに後方から、黒いローブをまとった数人の聖職者が現れた。彼らが死体の山に手をかざすと、倒れたはずの聖骸騎士が、またゆっくりと起き上がり始める。


「死人を、その場で再生している……!まさか、ネクロマンシーまで……!これは、もう教会の所業とは思えぬ……!」

「禁術に手を染めているのか!よほど世界を我々に渡したくないと見えるわね!」


リリスが戦場の中央に降り立ち、両手に魔力を集める。魔王としての威圧が、周囲の聖骸騎士を一瞬で吹き飛ばした。


「ユアン!聞け!聖骸騎士団は、教会が世界の傷を利用して作り出した忌むべき兵士たちだ。ならば――その傷は、いずれ世界を食い尽くす。お前の力で、聖骸騎士ごと、その根源を癒やすことはできるか!」


「――やってみます!」


ユアンの声が戦場に響いた。彼の胸元の星晶石が、これまでにないほど眩しく輝き始める。エルナ、ルーチェ、フィアが、光の糸を通してユアンの魔力に呼応し、その出力を際限なく高めていく。


「エルナ、ルーチェ、フィア!俺に、お前たちの力を貸してほしい!星霜の聖域をこれまでにない規模で展開する!」

「やってやろうじゃない!」

「はい、先生!」

「どこまでも一緒ににゃ!」


四人の足元に、超巨大な魔法陣が展開された。それは戦場全体を覆い尽くすほどの光の円。銀色と金色が混ざり合い、まるで星々が地上に降り立ったかのような、壮観極まる聖域だった。


「《星霜の聖域・絶》――!」


ユアンの叫びと共に、光が戦場のすべてを包み込んでいく。癒やしの波動が、敵味方を問わず、生きとし生けるものすべてに降り注ぐ。その力は、もはや単なる回復魔法の域を超えていた。


聖骸騎士団の動きが、止まった。


いや、止まったのではない。


――彼らの中の、何かが、静かに癒やされていく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ