第36話 決戦の地
決戦の朝、魔王城の門前に集結した魔王軍の威容は、かつてないほど壮麗だった。
銀色の鎧を磨き上げた正規兵が整然と隊列を組み、獣人部隊は戦斧を肩に担いで吠え、魔導士隊は詠唱の準備を整えている。その先頭にはリリスを中心に四天王が揃い、そしてユアン、エルナ、ルーチェ、フィアの四人が並んでいた。
「――これより、我々は決戦の地へ向かう」
リリスの声が、朝靄のたなびく城門に響き渡る。
「恐れることはない。我々には守るべき故郷があり、共に戦う仲間がいる。そして何より、未来を癒やす力がある」
兵士たちが一斉に武器を掲げ、雄叫びを上げる。
「ほう、今日は一段と気合が入っておるな」
テオバルトが白い外套を翻しながら、老勇者らしからぬ軽やかな足取りで歩み寄ってきた。彼の腰には、かつてリリスと相打った聖剣が携えられている。聖教会との交渉役でありながら、いざとなれば最前線に立つ覚悟なのだろう。
「テオバルトさん、交渉は……」
「無論、続ける。だが、戦場でものを言うのは言葉だけではない。かつての聖剣の勇者がこの城の側に立っているという事実そのものが、敵の動揺を誘う。そういうこともあろう」
テオバルトは静かに微笑んだ。
「テオバルト、無理はするな。お前の身体は、まだ本調子ではなかろう」
ゼクスが兜の奥から低く声をかける。テオバルトは「お前こそ、朝の味噌汁を飲み損ねるなよ」と笑って返した。ゼクスは無言で兜を縦に振る。
出発の時が近づく中、魔王軍の兵士の一人が、ユアンの隣で不安げに呟いた。
「……ユアン様。俺、正直、怖いです。敵は五万だって。俺らはその半分もいない。それに、聖騎士団の聖魔法は魔族に効くって聞きます。俺、聖魔法を食らったら……」
「名前は」
「へ……あ、カイルと言います。獣人の歩兵で、まだ入隊して半年で……」
「カイル。お前の故郷はどこだ」
「西の草原の、小さな村です。家族も、恋人もいます。みんな、俺が魔王軍に入ったのを誇りに思ってくれてて……だから、余計に、死ぬのが怖くて」
「そうか」
ユアンはカイルの肩に手を置いた。
「怖いのは、生きたいからだ。家族を想い、恋人を想い、故郷を想うからだ。それは決して恥ずかしいことじゃない。――それに、お前は俺が守る」
「ユアン様が……?」
「ああ。俺はこの戦いで、仲間を一人も死なせるつもりはない。傷つけば俺が癒やし、毒を受けても呪われても俺が治す。お前が倒れても、必ず俺が起こす。だから、思い切り戦ってこい」
「……っ、ありがとうございます、ユアン様!」
カイルは涙をぬぐい、力強くうなずいた。そのやりとりを聞いていた周囲の兵士たちの表情も、みるみる明るくなっていく。ユアンの言葉は、増幅された癒やしの光となって、兵士たちの心の傷までも温かく包み込んでいた。
「――全軍、出撃!」
ベリルの号令が響き、魔王軍はついに動き出した。騎兵が先駆け、歩兵が続き、魔導士隊がその後方で詠唱を開始する。ユアンたち四人は、騎乗のベリルと歩調を合わせるようにして軍の先頭を歩いた。
空は朝焼けから青空へと移ろい、行軍の足音が大地を規則正しく打ち鳴らす。その中で、エルナが小声でつぶやいた。
「……この道を、逆に歩いた日があったわね」
「ああ。俺が追放された日。雨の中を、一人で、反対向きに歩いてた」
「ごめんなさい」
「謝るな。あの日があったから、今ここにいる。……隣に、お前がいる」
エルナは微笑み、ルーチェが「私もここにいますよ!」と元気よく手を挙げ、フィアが「あたしも忘れないでほしいにゃ!」と耳をピンと立てた。後方の兵士からは「ユアン様たちが先頭だぞ!俺たちも続くぞ!」という歓声が上がっている。
しばらく進むうちに、周囲の景色が変わってきた。見渡す限りの荒野から、切り立った岩山が迫る隘路へと差し掛かる。ここが魔界の入口、すなわち決戦の地だった。先発の工兵が張り巡らせた罠と、ゲンマが潜伏させた間者たちからの報告により、この場所で敵を迎え撃つことが決定していた。
岩山を越えた先、魔王軍が最終布陣を整え終わったまさにその時だった。
「――敵影!」
見張りの斥候が叫んだ。
全員の視線の先、遥か地平線の彼方から、黒々とした影の帯がゆっくりと迫ってくる。無数の旗が翻り、鎧の鉄音が地響きのように伝わってくる。それは、数万を超える人間の軍勢だった。聖騎士団の白銀の軍装と、連合王国の色とりどりの軍旗が、見渡す限りの平野を埋め尽くしている。
「……想像以上だな」
ゲンマが仮面の奥で静かに言った。ドルガが低く唸る。
「あれが全部、敵か。まったく、人間ってのは数を頼みにしやがる」
「魔王軍に恐れをなして、数を集めないと戦えないのさ。所詮は烏合の衆だ」
ベリルが冷たく言い放つが、その眼鏡の奥には激しい闘志が燃えている。リリスはただ静かに、地の果てまで広がる敵軍を見渡した。
「ユアン」
リリスが隣に立つ青年を見た。
「これが、世界の選択だ。剣で未来を切り開くか、癒やしで世界を変えるか。――最後の戦いが、始まる」
ユアンは拳を握りしめた。震えはなかった。隣には、同じ覚悟を胸に立つ仲間たちがいる。エルナ、ルーチェ、フィア。三人が、静かにうなずく。
「……ああ。始めよう、リリス様。――みんな、行くぞ!」
「「「おう!」」」
四人は横一列に並び、敵軍の目前まで歩を進める。後方からは魔王軍の咆哮が巻き起こり、大地が揺れた。敵陣の聖騎士たちが、白銀の盾を構えて祈りを捧げ始める。
その時、ユアンの胸元で星晶石の欠片がまばゆく輝き、銀色の光の糸がエルナ、ルーチェ、フィアの胸元を結んだ。巨大な魔法陣が四人の足元に展開され、星霜の聖域が周囲に聖なる光を満たしていく。
彼らは、もはやただの白魔術師と魔法使いと聖女見習いと猫耳メイドではない。古代の予言が告げた、世界を変える力を携えた四人だった。
――決戦の時が、来た。




