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第35話 決戦前夜


イストリア王国からの帰還と同時に、魔王城には重々しい警鐘が鳴り響いていた。


ガレア王国の捕虜から引き出した情報は、想像以上に深刻だった。聖教会中枢が「聖戦」と称して大規模な十字軍を組織し、すでに三つの王国がこれに同調。軍勢は総勢五万。魔王城と、これに与するイストリア王国、ガルム騎士王国をまとめて殲滅する構えを見せているという。


玉座の間に、魔王城の全戦力が集結していた。


玉座にはリリス。その左右に四天王――ベリル、ゼクス、ゲンマ、ドルガが勢揃いし、さらにユアン、エルナ、ルーチェ、フィア、バルザック、テオバルトまでが顔を揃えている。魔界全土から召集された将軍たちも壁際にひしめき、かすかな緊張が場を支配していた。


「――全員、よく集まった」


リリスが口を開くと、静まりかえっていた玉座の間に凛とした声が響く。


「すでに報告を受けている者も多いだろう。聖教会がついに動いた。我々を『世界の敵』と断じ、三王国の連合軍と聖騎士団、総勢五万が魔王城へ向かっている。もはや小競り合いではない。これは300年ぶりの大戦だ」


重臣たちの間にどよめきが走る。五万という数字は、魔王軍の常備兵力を大きく上回っていた。


「まずは、ゲンマ。お前の情報を」


「はい。連合軍の構成ですが、正規兵三万、聖騎士団五千、傭兵と民兵が一万五千。さらに、北の大国が動員令を出しており、予備兵力がさらに二万はあると見ています。総数では我々の四倍以上。正面からぶつかれば、いかに魔王軍の精鋭といえども押し切られましょう」


ゲンマの声は淡々としていたが、その言葉の重みは計り知れない。


「ですが、敵にも弱点はあります。寄せ集めの連合軍であること。指揮系統が教会中枢に一本化されておらず、王族と聖騎士団の間で主導権争いが起きている。ここを突けば、十分に崩せます。特に、聖騎士団の中には熱狂的な信徒だけでなく、徴兵されただけの傭兵も多く、彼らの士気は脆い。ガレア王国軍の捕虜も、ユアン殿の話を聞いて動揺していました。――殺されず、癒やされ、敵ながら命を救われた。その事実が、彼らの戦意を確実に蝕んでいます」


「つまり、攻めるなら今なのね」


ベリルが短く言う。


「時間をかけて教会が兵を集め切る前に、魔界の入口で会敵して分断する。これが最も死傷者を減らせる作戦です。――ドルガ、どう見る」


「打つ手はある。我々の正規兵は少ないが、魔界の地の利はこちらにある。毒沼も呪詛の森も、すべて味方だ。狭い隘路に敵を誘い込んで、聖騎士団の重装備が活きない地形で叩く。ただし、聖属性魔法への対抗策は必須だ。ルーチェ殿の聖盾と、ユアンの状態異常解除がどれだけ広範囲に効くかで、戦況は大きく変わる」


ドルガは太い腕を組み、真剣な表情でユアンを見た。


「ユアンの坊主。お前たちの『星霜の聖域』は、敵の聖属性魔法を完全に相殺できるのか」

「やってみなければわからない。でも、今の俺たちなら、かなり広い範囲をカバーできるはずだ。――それに俺は、できれば戦いたくない」


ユアンの言葉に、玉座の間の空気が一瞬だけ揺らいだ。だが彼は、臆することなく続ける。


「俺はヒーラーです。この戦いで、敵の兵士を殺すことはできません。いや、殺したくない。彼らは聖教会に煽られただけの、普通の人間たちだ。故郷を守りたい、家族を守りたい、そう思って槍を取っただけの者もいる。そんな人たちの命を、無駄に奪いたくない」

「……甘い。だが、お前らしい」


ベリルが口元を緩めた。ユアンは真っ直ぐに彼女を見返した。


「ガレア王国の前哨戦で、確信したことがあります。俺の《完全回復》は、傷を癒やすだけじゃない。敵の戦意や憎しみ――心の傷すらも、癒やすことができる。そして何より、俺が戦場で敵味方の区別なく人を救う姿は、連合軍の兵士たちの心を確実に揺さぶる。聖教会の大義名分は、『魔王軍は悪』という恐怖の上に成り立っている。でも、その恐怖を癒やしで上書きすれば、戦争そのものが成り立たなくなる」

「ユアン様……」


ルーチェが感極まったように聖印を握りしめる。エルナもうなずき、フィアは満面の笑みを浮かべている。


「ならば、この戦いは二正面で行う」


リリスが静かに宣言した。


「第一正面、四天王と魔王軍主力。魔界の入口で敵を迎え撃ち、これ以上領内に踏み込ませない。第二正面、ユアン、エルナ、ルーチェ、フィアの四人による遊撃隊。お前たちは、敵陣深くに潜入し、敵の指揮官を無力化し、可能な限り敵兵を戦わずして無力化せよ。殺さず、癒やし、立ち去らせる。――できるな」

「御意」

「やれるにゃ!」

「はい、リリス様」


「それから、テオバルト」

「……何か」

「お前には、聖教会との交渉窓口となってもらいたい。かつての『聖剣の勇者』として、お前の言葉は教会内部にも重く響くはずだ。戦いながら、話し合いの糸口を探る。――よいな」

「……承知した。私に残された役割があるなら、全力で果たそう」


玉座の間の空気が、静かな決意で満ちていく。リリスは最後に、一人ひとりの顔を見渡してから告げた。


「三百年前、私は勇者と戦い、世界は壊れかけた。だが、今度は違う。我々にはユアンがいる。星の予言が示す『世界を癒やす者』が、今この城にいる。――諸君、これは守りの戦いではない。未来を選び取る戦いだ。我々の手で、憎しみの連鎖を断ち切ろう」


「「「――御意にございます!」」」


一同の声が、魔王城の石壁を震わせた。


こうして、魔王城を挙げた大戦準備が始まった。


ドルガは魔界全土から兵をかき集め、隘路に罠を張り巡らせる。ゲンマは敵将の首脳部に潜伏させた間者から続々と情報を引き出し、ベリルがそれを基に作戦を微修正していく。ゼクスは城の防衛結界を幾重にも強化し、テオバルトは聖教会との和平工作に動き始めた。


ユアンたち四人は、決戦に備えてさらに「星霜の聖域」の精度を高めるべく、最後の連携訓練に明け暮れていた。エルナは新たな広域氷結魔法を編み出し、ルーチェは聖属性の盾を多重展開する術を磨き、フィアは影を介して敵の集団を同時に昏倒させる「影牢」の技を完成させつつある。そしてユアンは――戦場で仲間を癒やし、敵の心をも解きほぐす、新しい癒やしの形を模索していた。


夜、魔王城のバルコニーで月明かりを浴びながら、ユアンは一人、遠い地平線を見つめていた。


(戦争が、始まる。でも、俺はこの戦いで、誰も殺さない。傷ついた者は癒やし、憎しみに囚われた者は解き放つ。俺の回復は、もはや人を癒やすだけじゃない。世界の傷を癒やす力になるはずだ)


そこへ、そっと近づいてくる気配があった。


「眠れないのか、ユアン」


エルナだった。彼女もまた、戦いを前にして落ち着かない様子で、バルコニーの欄干に寄りかかる。


「ああ。考えても仕方ないことばかり考えてしまう。エルナは?」

「私も。……でも、昔と違う」

「何がだ」

「昔の私は、戦いの前になると自分の無力さばかり考えてた。でも今は、隣にあなたがいて、仲間がいて、守りたいものがはっきりしている。だから、怖さよりも、覚悟のほうが大きいの」

「……ありがとう」

「ふふ、礼を言われるようなことは何も。――さ、戻りましょう。明日は早いし、バルザックが夜食の握り飯を用意してくれてるわ」

「そりゃ行かなきゃな」


二人は笑い合い、静かにバルコニーを後にした。魔王城の夜は、深い静寂に包まれながらも、確かな温もりを孕んでいた。決戦は、目前まで迫っている。


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