第34話 戦場の癒やし手
王都アークラインの北門を抜けると、そこはすでに戦場だった。
イストリア王国軍の前線は押し込まれ、地響きと悲鳴が入り混じる混沌とした光景が広がっている。ガレア王国軍は予想をはるかに上回る兵力で、しかも教会の聖騎士団が混ざっているために士気が異常に高かった。対するイストリア軍は、突然の奇襲に対応しきれず、負傷兵の数はすでに数百を超えている。
「ユアン、前方に聖騎士団の部隊を確認!数は約三十、すべて重装備の聖騎士よ!」
「こっちには負傷兵が山ほどいるにゃ!イストリアの騎士団、もう持ちこたえられそうにないにゃ!」
「先生、私、聖属性の感知で敵の動きを予測できます!今ならまだ間に合います!」
四人を結ぶ銀色の光の糸が、戦場のど真ん中でひときわ強く輝いた。
「――星霜の聖域、全開。みんな、俺の指示に従ってくれ」
ユアンの声は静かだったが、その一言で三人の動きがぴたりと揃った。リンクで共有された意識が、戦場全体を俯瞰する。ユアンはまず、最も被害が大きい左翼の負傷兵収容所へと駆け出した。エルナとルーチェが左右を固め、フィアが前方の敵を警戒する。
「うっ……ぐ……もう、だめだ……」
「しっかりしろ!衛生兵!衛生兵はまだか!」
「――待たせたな」
ユアンは収容所の中央に立ち、両手を広げた。
「《修復術式拡張・領域修復》――治癒範囲、この場にいる全負傷者。発動」
純白の光が収容所全体を包み込む。それはもはや一人ひとりに手をかざす必要すらない、広域同時治癒だった。真実の書で学んだ「領域修復」の術式を、人間の身体に応用したものだ。深い裂傷が塞がり、折れた骨が繋がり、毒にやられた肌が元の色を取り戻していく。
「な……傷が……治ってる……?」
「俺の足が、動く……!さっきまで折れてたのに……!」
「あんたは……まさか、噂の……!」
負傷兵たちが次々と起き上がり、自分の身体を信じられないものを見るように触れる。その数、優に五十人を超える。ユアンは一人ひとりを治す手間を省略し、領域ごと回復させることで、驚異的な速度で戦線を立て直しつつあった。
「まだ終わっていません!先生、前方の聖騎士団が突撃の構えです!」
「ああ、わかっている。――エルナ」
「了解!」
エルナが魔導書を翻し、詠唱を開始する。通常なら数十秒かかる高等魔法の詠唱だが、ユアンのリンクを通じて最適化された魔力回路が、彼女の詠唱速度を限界まで引き上げていた。
「氷の精霊よ、我が敵の進路を閉ざせ――《絶対零壁》!」
戦場の中央に、高さ十メートルを超える氷の壁が出現する。聖騎士団の突撃はその壁に阻まれ、彼らの聖属性魔法もルーチェの《聖盾結界》が完全に遮断した。さらにリンクで共有されたルーチェの聖属性が氷壁に付与され、聖騎士たちの攻撃は金色に輝く結晶の壁に吸収されていく。
「な、なんだこの壁は……!聖魔法が効かん……!」
「それだけじゃない……!負傷兵が、さっきまで倒れていた兵士が、全員立ち上がっているだと……!?」
「ありえん……!これが、魔王城の力だというのか……!」
聖騎士団の指揮官が動揺し、部隊の足並みが乱れた。その隙を突いて、フィアが単身で敵陣に飛び込む。
「――《影王爪》!」
フィアの右腕が漆黒のオーラを纏い、聖騎士団の指揮官の影を貫いた。物理的なダメージはない。しかし、指揮官の意識は一瞬で刈り取られ、彼は声を上げる間もなく気絶する。これもまた、星霜の聖域で強化されたフィアの新たな力――影を介して対象の意識に直接干渉する、非殺傷の制圧術だった。
「指揮官がやられた……!」
「ひるむな!数では我々が――」
「――《状態異常解除・拡張》」
ユアンが右手をかざすと、聖騎士団の全身を包んでいた強化魔法――筋力増強、防御力向上、聖属性の加護――それらすべてが一瞬で消え去った。彼らが自らにかけていたはずの祝福が、一人残らず解除されていく。自らの肉体に驕っていた聖騎士たちの動きが、にわかに鈍り、悲鳴にも似た驚愕が上がる。真実の書が教えてくれた「外部干渉遮断」の術式を、戦場の敵全体に拡張したのだ。
「な、なぜだ……聖教会の加護が……!」
「き、効いていないだと……!?ありえん……!」
恐慌に陥った聖騎士団は、もはや統率を失い、蜘蛛の子を散らすように敗走を始めた。その向こうでは、ガレア王国の歩兵たちが呆然と立ち尽くしている。聖騎士団が敗れるのを目の当たりにして、彼らの戦意は急速に萎えつつあった。
「……なあ、これ、本当に戦争なのか」
イストリアの古参騎士が、呆然と呟いた。
「奴らは四人だぞ。たった四人で、聖騎士団を壊滅させて、負傷兵を五十人以上も完治させて、おまけに敵の強化魔法まで全部消しちまった……これが、魔王城の癒やし手……ユアン様の力なのか……」
ユアンは一息つき、額の汗を拭いながらエルナに言った。
「敵の第一波は退けた。でも、まだ残存兵力が二倍はいる。どうする」
「決まってるでしょ。全部、追い返すわよ」
「にゃはは!あたし、まだまだ動けるにゃ!むしろ体があったまってきたにゃ!」
「先生、私もまだ戦えます。みんなと一緒なら、どこまでも」
ユアンは笑った。こんな心強い仲間がいることを、かつての自分は知らなかった。パーティの最後尾でうつむき、誰にも認められず、ただ回復だけを続けていたあの頃の自分に、教えてやりたい。お前は、これから世界を救うんだと。
「――よし、行くぞ、みんな。ここは俺の故郷だ。絶対に、守り抜く」
前哨戦から二刻が過ぎた頃、ガレア王国軍と聖騎士団の連合軍は、戦場のあちこちでユアンたちに翻弄され、混乱の極みにあった。ある場所では負傷したはずの敵兵が瞬時に回復して反撃に転じ、別の場所では聖騎士団の聖属性魔法が何者かによって無効化され、指揮官は次々と昏倒させられていく。もはや戦況は完全にイストリア側に傾いていた。
だがそれだけではない。ユアンは、敵味方の区別なく、傷ついた者すべてに癒やしの手を差し伸べていた。敗走するガレア兵の中にも、深手を負って動けなくなっている者は少なくなかった。ユアンはそんな敵兵の一人ひとりに歩み寄り、静かに回復魔法をかけていく。
「な、なぜだ……なぜ俺を助ける……俺は、お前の敵だぞ……」
うずくまるガレア兵の前で、ユアンは淡々と答えた。
「敵とか味方とか、関係ないんだ。俺はヒーラーだ。目の前で苦しんでいる人がいれば、癒やす。それだけだ」
「……あんた、本気で言ってるのか」
「ああ。だからもう、無駄な戦いはやめてくれ。命を粗末にするな。お前にも、守るべき人がいるんだろう」
ガレア兵は唇を噛みしめ、それ以上何も言えずにうつむいた。彼の目からは静かに涙がこぼれ、その心に深く刻まれた何かが、確かに変わり始めていた。
やがて、イストリア王国の騎士団長がユアンのもとに駆け寄り、深く頭を下げた。
「ユアン様……感謝の言葉もございません。あなたがたのおかげで、王都は救われました」
「まだ終わっていません。敵の残存兵力はまだ多い。でも――戦意は削げたはずです。ここからは、イストリア王国の出番です。彼らに降伏を呼びかけてください。無駄な血を流す必要はない」
「はっ!ただちに!」
こうして、ユアンたち四人は戦場を駆け抜け、星霜の聖域の力で戦局を完全に覆した。魔王城の専属ヒーラーとして、故郷の防衛に全力を尽くした彼らの名は、この日、大陸中に轟くことになる。
夕暮れが戦場を茜色に染める頃、ガレア王国軍と聖騎士団の連合軍は正式に降伏した。死者は驚くほど少なかった。ユアンが敵味方問わず治療を施し、殺さずして勝つことを貫いた結果だった。
王城に戻ったユアンたちは、国王アルドリック三世の深々とした謝辞と、割れんばかりの拍手で迎えられた。エルナは照れくさそうに魔導書を抱え、ルーチェは泣き笑いの表情で聖印を握りしめ、フィアは「腹減ったにゃー!」と叫んで重臣たちの笑いを誘っている。そしてユアンは――静かに、この戦いの意味を噛みしめていた。
自分は戦えない。攻撃の力も、敵を倒す力もない。しかし、仲間を癒やし、戦場そのものを修復し、敵の戦意すらも解きほぐすことができた。これは復讐の連鎖を断ち切る新しい戦い方だった。傷を癒やすだけじゃない、世界の傷を癒やす――その予言の一端を、今日この戦場で示すことができた。
「――ユアン」
そこへベリルが駆け寄り、声を潜めて耳打ちした。
「ガレア王国の捕虜から情報を引き出した。この侵攻、やはり教会中枢が糸を引いている。しかも――さらに北の大国が、次の戦力を整えつつあるらしい」
「次の戦力……?」
「規模が違う。今度の相手は、王国連合軍だ。聖教会が総力を挙げて、魔王城とイストリアを潰しに来る。これは前哨戦に過ぎなかった」
ユアンは拳を握りしめた。戦いは、まだ始まったばかりだった。
「――わかった。でも、俺たちは逃げない。魔王城に戻って、リリス様に報告しよう。そして次の戦いに備えるんだ」
「ああ。そのつもりで、すでに転移門の準備はできている。全員、魔王城へ帰還するぞ」
ユアンは静かにうなずき、王都の夜空を見上げた。星々が、かつてないほど輝いて見える。予言が示す「世界の傷」――その正体が、今、少しずつ明らかになろうとしていた。
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