第33話 宣戦布告
星の間での協議が始まって、すでに二刻が過ぎようとしていた。
円卓にはユアン、ベリル、エルナ、ルーチェ、フィアの魔王城使節団と、国王アルドリック三世をはじめとするイストリア王国の重臣たちが向かい合っている。
「――では、同盟の条件を整理いたします」
ベリルが羊皮紙を広げ、淡々と読み上げた。
「第一に、イストリア王国は魔王城を正式な国家として承認する。第二に、両国の間に不可侵および相互防衛の条約を締結する。第三に、魔王城が有する『修復術式』を用いた土地浄化の技術提供に対し、王国側は資金および物資の援助を行う。第四に、王国は国内に潜伏する教会過激派の情報を魔王軍と共有し、共同で対処する。――以上が骨子ですが、よろしいですね」
「異存はありません。我が国としては、むしろこれ以上の条件を提示したいくらいです」
国王アルドリック三世が深くうなずく。その隣で財務大臣が「破産しない程度にお願いします」と小声で諫めたが、国王は気にした様子もない。
「……なあ、エルナ。この条件、どう思う」
ユアンが隣のエルナに耳打ちする。彼女は腕を組み、しばらく考え込んでから小さくうなずいた。
「悪くないわ。むしろ、魔王城側に有利すぎるくらいよ。向こうは教会過激派に王都を囲まれる危機感があるから、こちらの技術が喉から手が出るほど欲しいんでしょうね」
「あたし的には、資金援助が一番嬉しいにゃ!魔王城の厨房、そろそろ新しい竈が欲しいってバルザックが言ってたにゃ!」
「フィアさん、それは個人的な要望では……でも、確かに悪い条件じゃないと思います。土地を癒やす力を独占せず、困っている国と共有するのは、先生の理念にも合っています」
「ああ。俺もそう思う」
ユアンは円卓の向こうの国王を見据え、静かに口を開いた。
「国王陛下。我々魔王軍使節団は、この同盟案に前向きです。ただし、最終的な決定は魔王リリス様の承認を得る必要があります」
「もちろんですとも!本日は基本的な合意が得られただけで十分。どうかリリス様にくれぐれもよろしくお伝えください」
国王が破顔一笑し、重臣たちもほっと胸を撫で下ろす。円卓の空気が一気に和やかになった、その時だった。
――ドォォン!
遠くから、腹の底に響くような重低音が轟いた。ついで、王城全体がかすかに揺れる。燭台の火が一斉に揺らめき、壁にかけられた絵画ががたがたと音を立てた。
「な、なんだ!?」
国王が立ち上がるのと同時に、広間の扉が勢いよく開かれた。飛び込んできたのは、血まみれの鎧をまとった伝令兵だ。その顔には拭っても拭いきれない恐怖の色が張りついている。
「――で、伝令!緊急の伝令です!」
「何があった!落ち着いて報告せよ!」
「は、はい!隣国ガレア王国が、つい先ほど国境を越えて侵攻を開始しました!すでに国境の砦は陥落!敵軍は我が国の領内に雪崩れ込んでおります!」
「なに……!?ガレアが……!」
重臣たちの顔色が一瞬で青ざめた。ガレア王国――イストリアの北に位置する小国だが、近年は聖教会の過激派が実権を握っていると噂されていた国だ。
「兵力はどのくらいだ」
「は、はっきりとは……しかし、少なくとも我が国の常備軍を大きく上回る数です!それに、敵軍の中に教会の聖騎士団と思しき部隊も確認されたと……!」
「教会の聖騎士団……!」
エルナが息を呑み、ルーチェが無意識に胸元の聖印を握りしめた。フィアは猫耳を伏せ、警戒心をあらわにして身構えている。教会の過激派は、ガルムでの誘拐事件にも関わっていた連中だ。それが今度は、一国の軍隊を率いて攻め込んできた。つまりこれは、魔王城に対する明確な宣戦布告に他ならない。
「……ベリル」
「ああ。どうやら、我々が同盟を結ぶ前に先手を打ってきたようだな」
ベリルが眼鏡を押し上げ、氷のような声で言った。
「国王陛下。ガレア王国の侵攻経路と、現在の戦況を詳しく教えていただきたい」
「は、はい。すぐに作戦地図を!」
重臣たちが慌ただしく動き出す中、ベリルはユアンの肩を掴み、広間の隅に引き寄せた。
「ユアン。状況は切迫している。ガレアごときの戦力だけならイストリア王国でも対処できるだろうが、相手には聖騎士団がいる。聖属性魔法は魔族に特効だ。つまり、魔王軍が下手に介入すれば逆に被害が拡大する」
「……それじゃあ、どうするんだ」
「決まっている。お前たちだけで戦え」
ユアンは目を見開いた。
「聖属性魔法に耐性があるのは、人間であるお前と、聖女見習いのルーチェだ。エルナも半分は人間の血を引いているから影響は軽微だ。フィアは魔族だから注意が必要だが、星霜の聖域を展開すれば影響を相殺できる。私と護衛の魔族兵は、後方で指揮に専念する。――お前たち四人でイストリアを守れ」
「ベリルは……」
「私は使節団の責任者だ。もし何かあれば、すべての責任は私が取る。魔王城に戻ってリリス様にどう報告するかは考えたくもないがな……」
ベリルはそう言って、ほんの少しだけ口元を歪めた。それは彼女なりの、最大限の激励だった。
「……わかった。やるよ」
ユアンは深く息を吸い込み、それからエルナ、ルーチェ、フィアを順番に見つめた。
「みんな、聞いての通りだ。これは魔王城の戦いじゃない。俺の故郷――イストリアを守る戦いだ。俺は、ここを見捨てられない。でも、危険な戦いになる。無理にとは言わない。それでも――力を貸してほしい」
「当たり前でしょ」
エルナは即答した。その手にはすでに魔導書が握られている。
「私は、あなたを一人で行かせたりしない。今度こそ、あなたの隣で戦うって決めたんだから」
「私もです、先生」
ルーチェは聖印をぎゅっと握りしめ、まっすぐに前を見つめている。
「聖騎士団は、私の力を『聖女の再来』と崇めてきた人たちです。でも、今の私は教会の言いなりじゃない。ユアン先生の弟子として、本当の癒やしを証明してきます」
「にゃーもう、みんなカッコつけすぎにゃ!」
フィアがぴょんと跳びはね、ユアンの背中に抱きついた。
「あたしはただ、ユアンと一緒にいたいだけにゃ!あたしの居場所はユアンの隣だにゃ!だからどこまでもついてくにゃ!」
「……みんな、ありがとう」
ユアンは四人の手をそっと胸の前で重ね合わせた。そこから淡い光が広がり、星霜の聖域の魔法陣が足元に展開される。
「決まりだ。イストリア王国防衛戦――開始する」
円卓の向こうで呆然としていた国王が、慌ててユアンたちに駆け寄ってきた。
「ユ、ユアン殿!なんと、あなたがたが戦ってくださるのですか……!?」
「はい。これはもう、魔王城だけの問題じゃありません。イストリアは俺の故郷です。故郷を守るのに、理由はいりません」
国王は感極まったようにうなずき、それから深く一礼した。
「……感謝の言葉もありません。どうか、どうかこの国を――我が国民を、お救いください」
「任せてください、国王陛下。俺はヒーラーです。傷つく人がいるなら、それを癒やす。敵が誰であろうと、奪わせはしません。俺たち四人で、この国を守り抜きます」
ユアンの声は、もはやかつてのように震えてはいなかった。彼はこの短い数ヶ月で、誰よりも多くの傷と向き合い、自分自身の無力さと対峙し、そして仲間と共に立ち上がることを覚えた。今ここにいるのは、「無能」と罵られた白魔術師ではない。世界の傷を癒やすと予言された、魔王城の専属ヒーラーだった。
王城のバルコニーに出ると、眼下には王都アークラインの全景が広がっていた。その向こう、北の地平線からは無数の狼煙が立ち昇り、黒煙が空を覆い始めている。侵略の足音は、もはや王都の目前にまで迫っていた。
「みんな、準備はいいか」
「いつでも」
「はい」
「まっかせてにゃ!」
四人の胸元で星晶石の欠片が一斉に輝きを放つ。城下を見下ろす彼らの足元で、広場に集まった王国の騎士たちが息を呑んで見上げる中、銀色の光の糸が四人を結び、巨大な魔法陣が展開されていく。これこそが、遺跡で手に入れた古代の力、星霜の聖域だった。
「行くぞ――イストリア防衛戦、開始!」
ユアンの号令と共に、四人は王城のバルコニーから身を躍らせた。戦場は目前。彼らの戦いは、まだ始まったばかりだった。




