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第32話 英雄の帰還


イストリア王国の王都アークラインは、大陸でも五指に入る大都市だった。


白亜の城壁が朝日に輝き、中央にそびえる王城の尖塔は雲を突くように高い。


かつてユアンがここを訪れたのは、勇者パーティーの候補生として召喚されたたった一度きりだ。


その時は裏門からこっそりと通され、貴族たちに値踏みするような目で見られたのを覚えている。


だが、今回は違った。


「――お出迎えご苦労である。魔王軍使節団、ただいま到着した」


ベリルが馬車の窓を開け、門衛たちにそう告げる。すると、鎧を着込んだ門衛隊長が、信じられないものを見たような顔で直立し、深々と最敬礼をした。


「は、ははっ!魔王軍使節団の皆様、ようこそイストリア王国へ!本日は国王陛下直々のご命令により、皆様を心より歓迎いたします!どうぞ、どうぞそのままお通りください!」


門衛たちが一斉に平伏する。城門は完全に開け放たれ、通常ならば厳重な荷物検査も、身分確認も、一切が省略された。


さらに門の向こうには、赤い絨毯がまっすぐに王城まで敷かれている。これにはさすがのユアンたちも困惑を隠せなかった。


「……なあ、エルナ。イストリア王国って、魔族に対してこんなに友好的だったか?」

「そんなわけないわ。数年前までは魔王軍と小競り合いを繰り返していた国よ。それが突然この歓迎ぶり――正直、気味が悪いくらいだわ」

「あたし、こういうの嫌いじゃないにゃ!みんながあたしを見て頭を下げるの、ちょっと気持ちいいにゃ!」

「フィアさん、それじゃあまるで悪役です……でも、確かにこれは異常ですね」


ルーチェが不安げに周囲を見回す。彼女の言う通り、異常なまでの歓待だった。


王都の大通りには、さらに大勢の市民が詰めかけ、馬車の行列に歓声を上げている。沿道の窓からは花びらが撒かれ、誰かが「ユアン様!」と叫ぶ声まで聞こえた。


「……俺の名前、知られてるのか」

「例の予言が広まっているんでしょう。『世界の傷を癒やす者が現れる』って話、商人たちが各地に広めたみたいよ」

「そういえばガルム騎士王国からの帰り道、隊商に話した覚えがあるにゃ。噂って怖いにゃ……」


ユアンは馬車の窓から外の歓声を眺めながら、複雑な心境だった。


つい数ヶ月前まで、この国の冒険者ギルドで「無能」と呼ばれていた男が、今や「世界を救う癒やし手」として歓待されている。その落差は、素直に喜べるものではなかった。


王城に到着すると、さらに信じられない光景が一行を待っていた。


通常、外交使節団をもてなすのは謁見の間か、せいぜい大広間である。


しかし、使節団が案内されたのは王族専用の「星の間」――この国で最も格式高い賓客だけが通される特別な広間だった。天井には星座を模した宝石が散りばめられ、壁面には建国以来の歴史を描いた壁画が広がる。


中央の円卓には金の燭台が並び、用意された椅子は王族が座るものと同等の豪華さだった。


「……これはまた、ずいぶんと気合の入った歓待だな」


ユアンがぽつりと呟くと、ベリルが眼鏡を押し上げながら小さく警告を発した。


「気をつけろ、ユアン。ここまでの歓待には必ず裏がある。お前の力を利用しようとしているのか、あるいは何か致命的な弱みを握っていて、それを隠すための過剰接待か――」

「ああ、わかってる。でも、まずは話を聞こう。相手が何を求めているのか、それを見極めないと」


やがて広間の奥の扉が開き、イストリア王国の重臣たちが次々と入室してくる。財務大臣、外務大臣、騎士団長、そして――最後に現れたのは、この国の現国王、アルドリック三世だった。


「おお、これが噂のユアン殿か!遠路はるばるのご来访、心より感謝いたす!」


国王はユアンの手を両手で握りしめ、感激した様子でぶんぶんと振り回した。年の頃は五十代半ば、立派な白髭を蓄えた威厳ある姿だが、その目は少年のように輝いている。


「さあさあ、まずはお掛けくだされ。本日はそちらの好物と伺ったオムライスを、王室料理長が腕によりをかけて用意いたしましたぞ!」

「……俺の好物まで調べてあるのか」


「もちろんですとも!そちらの情報は、ガルム騎士王国の大使から事細かに伺っております。なにせ、我が国はあなたのような救世主を、ずっとお待ちしておりましたのでな!」


ユアンはエルナと顔を見合わせ、ルーチェは不安げにベリルの袖を引っ張り、フィアはすでに出された前菜に手を伸ばしかけてベリルに睳まれていた。


やがて円卓を囲んで全員が着席し、和やかな歓談の後、国王は表情を改め、居住まいを正した。


「――さて、ユアン殿。今日お集まりいただいたのは、他でもありません。我がイストリア王国は、魔王軍との正式な同盟を強く希望しております」


ユアンは静かにうなずき、国王の目を見つめ返した。


「その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「もちろんです。理由は明白。あなたがたは『呪詛の森』を浄化し、ガルム騎士王国との不可侵協定を成立させた。これは、この数百年誰も成し遂げられなかった偉業。我が国は、あなたがたと手を結ぶことで、国内に残るいくつもの呪われた土地を浄化し、さらには教会の過激派から国民を守りたいのです」


国王の声には、打算だけでなく切実な響きが混じっていた。


「教会の過激派……ですか」

「はい。実はここ数年、教会内部で過激派の勢力が急速に拡大しており、我が国のような穏健派の王国は目の敵にされております。このままでは遠からず、聖戦の名の下に攻め込まれかねない。我々は、その前にあなたがたと同盟を結び、自衛の力を得たいのです」


ベリルが冷ややかに口を挟んだ。


「つまり、魔王軍の力を盾にしたい、と?」

「お言葉を返すようですが、盾というよりは、共に未来を築く盟友として。無論、それに見合うだけの対価は提示いたします。資金援助、物資の提供、そして何より――魔王城を正式な国家として国際的に承認いたします。すでにガルム騎士王国は協定を結んでおられる。次に我が国が続けば、他の国々も雪崩を打って追従するでしょう」


ユアンは心臓が高鳴るのを感じた。魔王城が国際的に承認される。


それはリリスが長年追い求めてきた悲願であり、ユアン自身もまた、この城を本当の意味で「故郷」と呼べるようになるための、大きな一歩だった。


しかし――それほどまでに魅力的な提案の裏に、何か恐ろしい罠が潜んでいるのでは、という懸念も消えない。


「――ところで、ユアン殿」


国王が急に声を潜め、わずかに身を乗り出した。


「先日お渡しした予言の書、あれはもうお読みになられましたか?実は我が国の王立図書館にも、星の予言に関連すると思われる古文書が所蔵されておりましてな。もしよろしければ、後ほどご覧いただければと――」


ユアンの背筋に冷たいものが走った。ガルム騎士王国の大使から情報を仕入れたというだけではない。


星の予言――「世界の傷を癒やす者」のことを、この国王は知っている。だとしたら、この同盟の申し出も、王国の防衛などより、もっと深い目的があるのかもしれない。


「――ありがたく拝見させていただきます」


ユアンは平静を装い、国王の申し出を受けた。


隣では、エルナとルーチェが緊張した面持ちで互いの手を握り、フィアの猫耳は警戒を示すようにぴくりと動いている。


そしてベリルは、テーブルの下で短剣の柄をそっと握りしめていた。


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