第27話 星を統べる者
四人が足を踏み入れた最深部は、もはや遺跡という言葉では形容しきれない異空間だった。
天井はなく、見上げれば満天の星空が広がっている。壁もまた星々で構成され、床は鏡のように磨かれた星晶石がどこまでも続いていた。空気は澄み切り、呼吸をするたびに身体の隅々まで浄化されていくような心地がする。
「ここが……星の御座……」
エルナの呟きが、静寂の中で思わぬほど大きく響いた。
空間の中心には、巨大な星晶石の結晶が浮かび上がっている。それはゆっくりと自転しながら、虹色の輝きを放っていた。そして、その結晶の真下には――一つの玉座があった。
「……三百年ぶりの来訪者か」
声は、玉座から響いた。
玉座に腰掛けていたのは、一人の老人だった。いいや、老人の姿を模した何か、と言うべきか。その身体は半透明で、星屑を集めて人の形を作ったかのように儚く揺らめいている。長い白髪は無重力のようにふわりと浮き、閉じられた両目は深い皺に埋もれていた。
「私は『星見の賢者』。古代魔法文明が遺した、この遺跡の最後の守護者だ」
「……守護者……?」
ユアンが一歩前に出ると、賢者はゆっくりと目を開いた。その瞳は、この空間と同じ星空そのものだった。
「試練を突破した者たちよ、汝らに問う。何故ここを訪れた」
「俺たちは、三百年前にここを攻略できなかった勇者――テオバルトの意思を継いで来ました。この遺跡の最奥に眠る真実を知るために」
「テオバルト……ああ、あの若き勇者か」
賢者の顔に、かすかな微笑みが浮かんだ。
「彼は強かった。力だけではない。心もまた、強かった。だが――彼はまだ、この真実を受け止める準備ができていなかった。だから私は彼を、あえて最深部へ導かなかったのだ」
「真実って……何のことですか」
ルーチェが尋ねると、賢者はゆっくりと玉座から立ち上がった。
「汝らは、この星の歴史を知っているか。古代魔法文明がなぜ滅びたのか、魔王がなぜ生まれたのか、勇者と魔王の戦いがなぜ三百年の周期で繰り返されるのか――そのすべての根源を」
四人は言葉を失った。賢者の言葉は、彼らが生きる世界の根幹に関わる問いだったのだ。
「……教えてください。俺たちは、真実を知るためにここまで来た」
ユアンの言葉に、賢者は深くうなずいた。しかし、次の瞬間――その顔から表情が消えた。
「ならば示せ。その覚悟とやらを」
賢者が右手を掲げると、星晶石の結晶が一斉に輝きを増し、空間全体が激しく振動し始めた。結晶の輝きが収束し、賢者の背後で巨大な人影を形作っていく。
それは、星をその身に纏った巨人だった。身の丈は蒼穹の騎士の倍はあろうか。全身が星晶石で構成され、その中心には心臓のように脈打つ深紅の核が輝いている。頭部には七つの星が環を描いて回り、両手には銀河の渦そのものを握りしめていた。
「我が名は『星を統べる者』。古代魔法文明の叡智と、滅びの記憶を継ぐ、最後の審判者である」
大気を、空間を、星々そのものを震わせる声。エルナが息を呑み、フィアの尻尾が膨れ上がり、ルーチェが無意識に聖盾を展開する。ユアンは――震える拳を握りしめ、巨人をまっすぐに見上げた。
「――示してみせます。俺たち四人の、覚悟を」
それが、最後の戦いの始まりだった。
「――来るぞ!」
ユアンの叫びと同時に、星を統べる者が右腕を振り上げた。銀河の渦が一条の光槍と化し、四人に向けて放たれる。
「《氷結防壁》!」
エルナが全力で展開した幾重もの氷の壁が光槍を受け止める。しかし、光槍は氷を紙のように貫き、速度を緩めることなく迫る。エルナの顔が強張った――その時。
「――《聖盾結界・全開》!」
ルーチェの聖属性の盾が、光槍の真正面に展開された。今までにない、何層にも重ねられた金色の輝き。修道院で「聖女の再来」と呼ばれた彼女の聖魔力が、限界を超えてほとばしる。
「……っ、持ちません……!」
「――十分だ、ルーチェ!」
ユアンがルーチェの肩に手を触れ、魔力を補充する。ルーチェの聖盾が輝きを取り戻し、光槍を完全に押し留めた。
「先生……!ありがとうございます!」
「礼は後だ。――エルナ、フィア、今度はこっちから仕掛けるぞ」
ユアンは巨人を見上げながら、策を巡らせていた。心臓部の深紅の核。頭部の七つの星の環。全身を覆う星晶石の装甲。攻撃すべき急所はわかっている。だが、それ以前にこの巨人には意思があるはずだ。賢者が姿を変えた、審判者としての意思が。
(審判を下す相手に、一方的に攻撃しても意味がない。蒼穹の騎士の時と同じだ。こいつは、俺たちの何を審判しようとしている……?)
「ユアン、あの巨人、核と星の環が共鳴しているわ。もしかしたら、両方同時に破壊しないと再生するのかも」
エルナが氷の矢を放ちながら叫ぶ。
「だとしたら、手分けして同時攻撃しかないにゃ!」
「でも、核は装甲の奥深くにある。そう簡単には……」
三人の声を聞きながら、ユアンの脳裏に天秤の間で見た女神像の目隠しが蘇った。なぜあの時、天秤を意図的に壊すだけでよかったのか。女神像が告げた言葉の意味は――。
「ユアン、来るにゃ!」
巨人の左腕が、無数の星の矢を放つ。それは豪雨のように四人に降り注ぎ、フィアの頬をかすめ、エルナのマントを裂き、ルーチェの結界に無数のヒビを入れる。ユアンは即座に《完全回復》を発動し、仲間たちの傷を癒しながら、必死に考えを巡らせていた。
(おかしい……なぜ攻撃の余波が、これほど優しい?ただの一撃なら、俺たちはとっくに全滅しているはずだ。それに、巨人は審判者と言った。俺たちを試しているのか。何を?力か?知恵か?真実か?)
数刻前、遺跡の入り口で見た古代文字が脳裏に浮かぶ。『汝が求めるは智慧か、力か、真実か。三つの問いに答えし者のみ、最深部への扉は開かれん』。
「三つの問い、か。力の試練は蒼穹の騎士。知恵の試練は天秤の間。ならば真実の試練は――この巨人自身が、最後の問いなんだ」
「ユアン、何を言ってるにゃ!」
「わかったんだ、フィア。この巨人を倒す必要はない。むしろ――倒してはいけない。そうだ、俺たちはこの巨人を癒やすんだ。あの時と同じだ!」
ユアンは巨人に向かって走り出した。
「みんな、聞いてくれ!こいつは俺たちの力じゃなくて、俺たちが真実を知る覚悟があるかどうかを審判している。だからこそ、全力で戦う必要はない。むしろ、戦わずに真実を求め続ける覚悟を、俺たちは示すんだ」
「戦わない……?どうやって?」
「俺を、あの核のところまで連れて行ってほしい。俺の《完全回復》を、巨人の核に直接叩き込む」
「そんな無茶な……!」
「無茶じゃない!俺の回復魔法は本来、傷ついた者を癒やすための力だ。なら、この巨人が本当に守護者なら、俺の癒やしの力に応えてくれるはずだ!」
ユアンの声には、一片の迷いもなかった。この遺跡に来てからずっと感じていた確信。罠も、守護者も、試練も、すべては自分たちを試すために用意されたものだった。だとしたら、最後の審判者が本当に望んでいるのは、自分たちがそれらをどう乗り越えるかを見届けることのはずだ。
「……わかったわ、ユアン。信じる」
「あたしもにゃ!ユアンのバカみたいな無茶はいつものことだにゃ!」
「私もです、先生!どうすればいいですか!」
「エルナ、巨人の足元を凍らせて動きを止めてくれ!フィアは肩から頭部に飛び移って星の環を撹乱しろ!ルーチェは俺の盾だ!」
「了解!」「まっかせてにゃ!」「はい!」
三人が一斉に動き出す。エルナの全力の氷結魔法が巨人の下半身を凍りつかせ、フィアが弾丸のように跳躍して星の環に取りつく。環が放つ光線を寸前でかわしながら、フィアの爪が環の軌道を狂わせた。巨人の動きが、一瞬だけ鈍る。
「今だ、先生!」
「ああ!――ルーチェ!」
「はい!」
ルーチェの聖盾がユアンの前面を覆い、巨人の反撃を防ぐ。ユアンはエルナが凍らせた足場を駆け上がり、巨人の胸元――深紅の核が脈打つ場所まで這い上がった。
核は、思ったよりも温かかった。手をかざすと、鼓動のような振動が伝わってくる。これは単なる動力源ではない。心臓だ。意思だ。この巨人――星を統べる者の魂そのものだ。
「――あなたは長い間、ここで一人きりだったんですね」
ユアンは静かに語りかけた。巨人の動きが、ぴたりと止まる。
「真実を求める者が現れるのを、三百年前も、そして今回も、ずっと待っていた。でも、あなた自身は誰にも知られず、誰にも顧みられず、ただ審判を下し続けてきた。その孤独と重荷は、俺には想像もできません。――でも、もういいんです。テオバルトは、あなたを置き去りにしたことを後悔していた。でも今、その思いを俺たちが継いでここに来た。だから――もう、終わりにしましょう」
「……ユアン、という名の癒やし手よ。なぜそこまで言える」
「俺はただの回復術師です。戦えも、守れも、壊せもしない。でも、あなたが孤独なのだとわかる。あなたに必要なのは、力を示す相手じゃない。終わりを受け入れ、癒やされることだ」
巨人の核に、ユアンはそっと両手を当てた。星を統べる者は、もはや抵抗しなかった。ユアンは目を閉じ、深く、優しく、魔力を注ぎ込む。
「――《完全回復》。あなたがここで守り続けてきた想いを、俺が癒やします。どうか、あなた自身も救われますように」
純白の光が、核を包み込んだ。それはこれまでユアンが放ってきたどんな回復魔法よりも、優しく、暖かく、そしてどこまでも深い輝きだった。巨人の全身を覆っていた星晶石が、ひび割れ、剥がれ落ち、その下から柔らかな光が溢れ出す。
「――ああ、なんと優しい光だ。やはりそうか。三千年前、古代魔法文明が滅びの間際に遺した最後の予言は、真実だったのだ」
巨人の身体が、星屑となってほどけていく。深紅の核が静かに光を失い、頭部の七つの星の環が一つまた一つと消えていく。やがて、巨人の姿は完全に消え去り、後に残ったのはただ一人の老人の姿をした賢者だけだった。
「星の予言とは、『いつか世界の傷を癒やす者、回復の極致に至りし者が現れる』というものだった。そしてその者は、攻撃の力を持たず、守りの盾も持たず、ただ癒やすことだけを使命とする――」
「……それって」
「ああ、ユアン。その予言は、お前のような存在が現れることを、三千年前から予見していたのだ。予言は成就した。お前は、世界の傷を癒やす力を持っている。戦うためではなく、救うための力だ。――これで、私の役目は終わった」
賢者はユアンの前に歩み寄り、その肩にそっと手を置いた。その手はもう、星屑のように透け始めている。
「ありがとう、ユアン。お前たち四人が、私を救ってくれた」
「賢者様……!」
「さあ、行きなさい。お前たちが求めた真実は、この先の部屋に――星の御座の間にある。私はもう、眠りにつく」
賢者の身体が、さらさらと星屑となってほどけていく。最後に彼は、ユアンだけでなく、エルナ、ルーチェ、フィア一人ひとりの顔を見つめ、深くうなずいて――そうして、星々の海へと溶けていった。
静寂が戻った最深部で、ユアンはゆっくりと立ち上がった。
後ろでは、エルナが膝をつき、ルーチェが涙をぬぐい、フィアが静かに猫耳を垂れている。
「……ありがとうございました、賢者様」
ユアンがそう呟くと、それに応えるように空間の中央の星晶石が輝きを増し、その内部に、一冊の古びた書物が浮かび上がった。星の予言が記された、世界の真実の書。それを目の当たりにした四人は、言葉もなく、ただその光を見つめていた。




