第24話 星の御座
テオバルトが魔王城に住み着いてから、早くも一週間が過ぎた。
彼は朝早く起き、ゼクスと並んでカウンターに座り、ユアンの味噌汁を静かにすするのが日課になっている。最初は互いに無言だった老勇者と無口な護衛隊長だが、三日目あたりから「味噌汁の具は昨日の方が良かった」「いや、今日の豆腐の方が好きだ」という極めて限定的な会話を交わすようになっていた。厨房でそれを見たフィアが「ゼクスに友達ができたにゃ……!」と涙ぐんだのは、また別の話である。
そんな朝、テオバルトは味噌汁の椀を置き、隣でパンを捏ねるユアンに声をかけた。
「ユアン、少し頼みがある」
「どうしました、テオバルトさん。味噌汁の味が濃かったですか」
「いや、味噌汁はいつも通り美味い。そうではなくて――」
テオバルトは懐から、古びた羊皮紙を取り出した。何度も折り畳まれた跡があり、端は擦り切れ、インクも褪せている。それでも描かれた地図と古代文字は、かろうじて判読できる状態だった。
「これは?」
「私が若い頃、攻略できなかった古代遺跡の地図だ」
「攻略できなかった……テオバルトさんがですか?」
「ああ。300年前、私はこの遺跡の最奥に何があるのかを確かめる前に、魔王との戦いに駆り出されてな。結局、封印されるまで一度も戻れなかった。……いや、戻ろうとしなかった、というのが正しいか」
テオバルトは遠い目をして、窓の外の庭園を見つめた。
「あの頃の私は、遺跡の謎を解くより、魔族を倒すことだけが正義だと思い込んでいた。だが今は違う。この遺跡には、世界の成り立ちに関わる何かが眠っている。それを確かめたい。――しかし」
彼は自分の両手を見下ろした。皺だらけで、かすかに震えている。
「この身体だ。300年の封印で、筋力も反射神経も若い頃の半分以下だ。聖剣は持てても、ダンジョン踏破は無理だろう。情けない話だがな」
「……それで、俺たちに?」
テオバルトは深くうなずいた。
「ユアン。お前と、エルナ、ルーチェ、フィアの四人で、この遺跡を攻略してほしい」
「四人で……パーティを組めと?」
「ああ。ベリルは軍務がある。ゼクスは城の守りを離れられない。リリスは言うまでもない。だが、お前たち四人なら、きっとできる」
ユアンは羊皮紙の地図を見つめ、それから顔を上げた。
「わかりました。テオバルトさんの無念を晴らすためにも――何より、その遺跡に何があるのか、俺も気になります」
「ありがとう、ユアン」
「それに――俺、仲間と一緒にダンジョンを攻略するの、ちょっと楽しみなんです」
「……そうか」
テオバルトは皺だらけの顔で笑った。それは、勇者でも聖剣の使い手でもない、ただの好々爺の笑顔だった。
その日の昼下がり、ユアンはエルナ、ルーチェ、フィアを中庭の東屋に集めた。
つい先日、何でもない休日を四人で過ごした場所だ。テーブルの上には、テオバルトから預かった羊皮紙の地図が広げられている。
「古代遺跡の攻略……!」
「にゃー!久しぶりの冒険だにゃ!」
「ユアン先生と一緒にダンジョンに行けるなんて、緊張します……!」
三者三様の反応を見せながらも、誰一人として乗り気でない者はいなかった。
「遺跡の名は『星の御座』。場所は魔界と人間界の境界線上、誰も立ち入らない峡谷の奥地だ。テオバルトさんの話だと、内部には古代の魔法文明が仕掛けた罠や、ゴーレムが今もうろついているらしい」
「古代魔法文明……私の魔導書にも、断片的にしか記述がない分野だわ。これは研究のしがいがある」
エルナが目を輝かせる。氷の魔導師として、未知の魔法知識に触れられるのは純粋に嬉しいらしい。
「私は、遺跡の聖属性反応が気になります。古代魔法文明は、今の教会の源流だと言われていますから」
「あたしは罠の探知と隠し扉の発見を担当するにゃ!スパイ部隊で鍛えた鼻がうなるにゃ!」
「よし、決まりだな」
ユアンは地図を丸め、立ち上がった。
「俺が回復と料理。エルナが攻撃魔法と知識。ルーチェが防御と聖属性感知。フィアが偵察と罠解除。――パーティとして、穴はないはずだ」
「……ユアン、パーティを組むの、久しぶりね」
「ああ。でも今回は、追放される心配はない。何せ俺がリーダーだからな」
「にゃはは!ユアンがリーダーって、なんか面白いにゃ!」
「先生、私、精一杯がんばります!」
こうして、魔王城の四人による新たな冒険が始まった。
翌朝、四人は魔王城の正門前に集合した。
ユアンは白魔術師のローブの上に、バルザック特製の保存食を詰め込んだリュックを背負っている。エルナは魔導師の外套の下に氷の魔導書を携え、ルーチェは修道服の裾を実用的に短くまとめ、腰には解毒薬のポーチを下げている。フィアは相変わらずのメイド服姿だが、両手には鋭い爪を仕込んだグローブ、背中には投げナイフのベルトを斜め掛けにしていた。
「準備はいいか」
「もちろん」「大丈夫です」「まっかせてにゃ!」
そこへ、リリスとベリル、ゼクス、バルザック、そしてテオバルトが見送りにやってきた。
「ユアン。これを貸す」
リリスが手渡したのは、ガルム騎士王国の遠征でも使った転移門の魔石だった。
「緊急時は迷わず使え。遺跡内部でもおそらく作動するはずだ」
「ありがとうございます、リリス様」
「それから、帰ったらふわとろオムライスだ。忘れるな」
「……はい。約束します」
ベリルは眼鏡を押し上げ、いつもの調子で言った。
「無理はするな。遺跡の攻略は重要だが、お前たち四人の安全が最優先だ。何かあれば即座に撤退しろ」
「了解。ベリル、城の留守は頼む」
「任された」
バルザックはユアンの肩をばしんと叩いた。
「弁当は五食分だ。足りなかったら現地調達しろ。毒味はフィアに任せた」
「なんであたしなのにゃ!」
「お前が一番、毒に強そうだからだ」
「……それは褒めてるにゃ?」
テオバルトはユアンの前に歩み寄り、そっと手を差し出した。
「ユアン。これを」
「これは……ペンダント?」
「ああ。かつて私が遺跡の入口から持ち帰ったお守りだ。これがあれば、遺跡の守護者たちが敵対反応を示さないかもしれない。――幸運を祈る」
「ありがとうございます、テオバルトさん。必ず最奥まで辿り着いてきます」
ゼクスは無言で兜を外した。その素顔はまだ若く、しかし鋭い目つきの戦士の顔だった。彼は一度だけユアンにうなずき、また兜を被り直す。
「――行ってくる」
「いってきます!」
四人は城門をくぐり、荒野へと歩き出した。魔王城の尖塔が朝日に照らされて輝いている。
フィアが先頭を歩き、猫耳をピンと立てて周囲の気配を探る。エルナは地図を確認しながら、最適なルートを計算する。ルーチェは聖属性の感知魔法をほのかに展開し、邪気や呪いの反応を警戒する。そしてユアンは――
(パーティの一番後ろを歩くのは、もうやめた)
今回は、自分が先頭に立つ。仲間の安全を守り、傷つけば癒やす。かつて追放された男が、今度は自分の意思でパーティを組んで冒険に出る。
「みんな、最初の休憩地点までもう少しだ。頑張ろう」
「「「おー!」」」
ユアンを先頭に、エルナとルーチェが左右に並び、最後尾をフィアが固める。魔王城仕込みの四人は、荒野を横切り、峡谷の奥地を目指して進み始めた。その足取りに迷いはない。
三日後。四人は峡谷の最深部に立っていた。
切り立った岩壁が両側から迫り、空は細く裂けたようにしか見えない。昼間だというのに薄暗く、風が不気味な唸り声を上げて岩肌を撫でていく。足元には枯れた苔が張りつき、長い間誰も足を踏み入れていないことを物語っていた。
「すごい……あれが『星の御座』……」
ルーチェが息を呑んで見上げた先には、岩壁に埋もれるようにして建つ、巨大な石造りの建造物があった。
高さは魔王城の尖塔に匹敵するだろうか。黒ずんだ石柱が左右に並び、中央には重厚な鉄扉が口を開けている。壁面には無数の古代文字が刻まれ、それがかすかに青白く発光していた。
「この文字、古代魔法文明の神代文字だわ。『星の御座へようこそ。汝が求めるは智慧か、力か、真実か。三つの問いに答えし者のみ、最深部への扉は開かれん』――ですって」
「三つの問い……遺跡自体が試練を課してくるタイプか。リオンと行ったダンジョンでも、似たようなのがあったな」
「ユアンはそういうの得意だったのかにゃ?」
「得意というか……リオンは戦闘で頭がいっぱいで、謎解きは俺とエルナの担当だった。だから、今回は心強い」
ユアンがちらりとエルナを見ると、彼女は少し照れくさそうに微笑んだ。
「今回は私だけじゃない。ルーチェも古代文字は読めるし、フィアは罠の感知ができる。みんなで解けばいい」
「はい!私、頑張ります!」
ユアンはうなずき、鉄扉の前に立った。扉には取っ手も鍵穴もない。ただ、中央に人の手をかたどった窪みがあるだけだ。
「これが最初の仕掛けか。――テオバルトさんのペンダントを試してみる」
「待ってユアン、罠かもしれな――」
エルナの制止より早く、ユアンはペンダントを窪みにかざした。
瞬間、鉄扉全体が青白い光に包まれ、壁面の古代文字が一斉に輝き出す。低い地鳴りとともに、扉がゆっくりと左右に開いていった。
「……罠じゃなかったみたいだな」
「ユアン、次からはちゃんと確認してからにしてほしいんだけど」
「すまん、つい」
扉の向こうは、深い闇だった。だが、四人が一歩足を踏み入れると同時に、壁面の燭台に青白い炎が次々と灯り、奥へと続く長い通路を照らし出していく。
天井は高く、壁にはびっしりと古代文字と壁画が描かれている。空気はひんやりと冷たく、かすかに甘い香りが漂っていた。
「これが……300年前、テオバルトさんが挑んだ遺跡……」
ユアンは通路の先を見据えた。そこに何があるのかはわからない。罠か、ゴーレムか、それとももっと別の何かか。
「みんな、気を引き締めていこう。これより先は、何が起きてもおかしくない」
「「「了解!」」」
四人は横一列に並び、ゆっくりと通路を進み始める。背後で鉄扉が、再び地鳴りとともに閉じていく音がした。
行く手に広がるのは、暗く長い通路と、古代の魔法文明が遺した無数の謎。かつて最強の勇者が挑み、そして諦めた遺跡の最奥に、今、新たなパーティが挑もうとしていた。




