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第17話 晩餐会の夜


日が沈み、王宮の大広間に無数の魔法灯が灯される頃、使節団は正式な晩餐会へと招待された。


広間の中央には、白いクロスのかかった長大なテーブルが設えられ、銀の燭台には蜂蜜色の蝋燭が揺らめいている。壁際では楽士たちが穏やかな弦楽を奏で、正装した騎士や文官たちが杯を手に談笑していた。ガルム騎士王国の新国王は若く、まだ二十代半ばといったところだが、柔和な笑顔で使節団を迎え入れてくれる。


「遠路はるばるのご来访、感謝いたします。魔王軍のベリル参謀長におかれましては、どうぞお寛ぎください」


「お心遣い、感謝する」


ベリルは軍服を正装に着替え、優雅に一礼した。その立ち居振る舞いはまさに外交官そのもので、普段の毒舌家ぶりを知るユアンからすると別人のようだ。大鎌こそ置いてきたが、腰には細身の礼装用長剣を佩いている。これは彼女なりの「平和の場でも警戒は解かない」という意思表示だろう。


ユアンも借り物の礼服に身を包み、ベリルの半歩後ろで控えていた。とはいえ、彼はこうした公式の晩餐会など初めてである。フォークの使い方はこれで合っているか、杯はどのタイミングで口をつければいいのか――頭の中は作法のことでいっぱいだ。


「ユアン、硬くなりすぎだ。もっと自然にしろ」

「ベリルは慣れてるんだな」

「参謀長として外交の場に立つことも多い。だが、お前も魔王軍の代表だ。堂々としていればいい」


そう言われても、とユアンが苦笑いしていると、隣に座ったエルナがそっと耳打ちしてきた。


「大丈夫、ユアンなら大丈夫。それに、ここのスープ、魔王城のより薄味だけど、なかなか上品よ」

「エルナ、お前、そういうのわかるんだな」

「私、こう見えても貴族の出だから。多少はね」

「……そういえば、言われてみれば」


エルナの所作は確かに洗練されている。背筋を伸ばし、スプーンを静かに置き、控えめに杯を傾ける。その姿は、かつてパーティーの後衛でうつむきがちだった彼女とは別人のようだった。こういう場所が、本来の彼女の居場所なのかもしれない。


テーブルの向こう側では、ルーチェが緊張した面持ちで老騎士と話し込んでいる。


「聖女見習いのルーチェと申します。本日はこのような場にお招きいただき、光栄です」

「おお、教会の方でしたか。ガルムにも支部がございますゆえ、何かとご縁がありそうですな」

「はい。私も、いつかこの国で癒やしの奉仕をしたいと願っております」


ルーチェはぎこちなく微笑みながら、緊張でフォークを持つ手がかすかに震えている。それでも、相手の目を見て話そうと懸命だ。つい先日まで、毒沼で泣きじゃくっていた少女が、今は外交の場で自分の意思を伝えている。その成長ぶりに、ユアンは少しだけ目頭が熱くなった。


そして――。


「むしゃむしゃ……にゃー、このローストビーフ、めちゃくちゃ柔らかいにゃ!」

「フィア、お前はもう少し控えめに食べろ」

「だってベリル様、こんなごちそうめったに食べられないにゃ!それにこれは情報収集だにゃ!ガルムの畜産技術を調査してるにゃ!」

「さっきの焼き栗と同じ理屈か」

「そうにゃ!……あ、このソースも美味しいにゃ。ユアン、あとで再現できるかにゃ?」

「……味見くらいなら後でな」

「やったにゃ!」


フィアは周囲の視線などどこ吹く風で、マイペースに肉を頬張り、パンをちぎり、ソースをおかわりしている。彼女の食欲に、ガルム側の文官たちも最初は驚いていたが、その無邪気な様子に次第に笑みがこぼれ始めた。


「いやあ、魔族の方は皆さん、ああも豪快なのですな」

「見ていて気持ちがいい。どうぞ、もっとお召し上がりください」


どうやらフィアの食欲が、かえって場を和ませているらしい。ベリルも小さくため息をつきながら、それ以上は注意しなかった。


しばらくして、新国王が杯を掲げて立ち上がった。


「本日は、魔王軍の皆様とこうして同じ卓を囲めたこと、心より嬉しく思います。我が国と魔王軍の間には、長きにわたる確執がありました。しかし、互いを理解し、尊重し合うことで、新たな未来を築けると信じております」


ベリルも立ち上がり、杯を掲げる。


「魔王リリス様もまた、和平の意思をお持ちです。我々は共に、この調印を歴史の一歩としたい」


二人が杯を合わせると、広間からは温かな拍手が起こった。


――ああ、いい夜だ。


ユアンは心の中でそっと思った。


温かな料理に、和やかな会話。隣ではエルナが微笑み、向かいではルーチェが行儀よくスープを口に運び、フィアは相変わらずデザートのプディングに夢中で、ベリルは国王と真摯に語り合っている。ここに来るまで、これほど平和な時間があるとは思わなかった。魔族と人間の確執も、勇者パーティーの追放劇も、すべてが遠い昔の出来事のように感じられる。


(明日、協定が結ばれれば、また一つ、何かが変わる)


それは、ユアンが追放されてからずっと追い求めてきたものだった。誰かを癒やすこと。誰かの役に立つこと。そして、誰かとわかりあうこと。そのすべてが、この晩餐会の光景の中にあった。


――だからこそ、油断していたのかもしれない。


晩餐会が終わり、使節団は迎賓館へと戻った。


フィアは食べ疲れたのか、自室に戻るなりベッドに倒れ込んで寝息を立て始めた。ルーチェは「明日の調印式の祈りの準備をしてきます」と礼拝室へ向かい、エルナは買ったばかりの魔導書を広げて「少しだけ予習してから寝るわ」と微笑んだ。ベリルは明日の式次第を最終確認すると言って、書類を抱えて自室にこもる。


「それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ、ユアン」


それぞれがそれぞれの夜を過ごし、やがて迎賓館は静寂に包まれた。


ユアンは自室の寝台に横たわり、天蓋を見上げながら、明日の調印式のことを考えていた。協定が結ばれれば、魔王城とガルム騎士王国は正式に不可侵の関係となる。それは、人間と魔族の長い確執に、小さな風穴を開けることになるだろう。


(リリス様に報告したら、どんな顔をするだろうな。「よくやった」くらいは言ってくれるだろうか。いや、たぶん「当然のことをしただけだ」って顔で、でも本当はちょっと嬉しそうで――)


そんな想像をしながら、ユアンはゆっくりと瞼を閉じた。


微かなロウソクの揺らめきが、瞼の裏で静かに消えていく。遠くから聞こえる夜警の騎士の足音だけが、子守唄のように心地よかった。


――沈む。


――意識が、沈んでいく。


……違う。


この眠気は、不自然だ。


ユアンはかすかに違和感を覚えたが、すでに身体は言うことをきかない。手足が鉛のように重く、瞼は糊で貼りつけられたかのように開かない。どこかから、甘ったるい香りが漂っている。ロウソクの火が消えた煙とは、明らかに違う匂い。


(これは……睡眠薬の香り……?)


誰かが、部屋に細工をしたのか。それとも――。


考える間もなく、意識は闇の中へと引きずり込まれていった。


――どれほどの時間が経ったのだろうか。


ユアンはゆっくりと目を開けた。


冷たい空気。硬い床。鼻をつく黴の匂い。天蓋つきの寝台も、金箔の風景画も、甲冑を模した燭台も、どこにもない。


あるのは、湿った石壁と、天井から吊るされた裸の魔法灯だけだった。


「……ここ、は」


ユアンは身を起こそうとして、自分の両手が縛られていることに気づいた。荒縄が手首に食い込み、足首も自由が利かない。身体はだるく、頭の奥に鈍い痛みが残っている。睡眠薬の残滓だ。


見覚えのない部屋だった。


地下室だろうか。窓はなく、壁には古びた棚が並び、ほこりをかぶった空き瓶や錆びた器具が無造作に置かれている。扉は鉄製で、小さな覗き窓からはかすかな灯りが漏れているだけだった。


迎賓館じゃない。王宮でもない。ここは、まったく別の場所だ。


「目が覚めたか、白魔術師」


闇の奥から、しわがれた声が響いた。


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