第15話 新たな任務
魔王城での朝は早い。
ユアンは夜明けとともに起き出し、厨房で味噌汁の仕込みを始める。ここに来たばかりの頃は、まずゼクスが現れ、次にバルザックが来るという順番だったが、最近は少し事情が違った。
「ユアン先生、おはようございます!今日は私が一番乗りです!」
「……ルーチェ、まだ夜明けだぞ。もう少し寝ててもよかったのに」
「修行中の身ですから!それに、先生の味噌汁が飲みたくて」
ルーチェは眠そうな目をこすりながらも、にこにこと笑っている。その後ろからは、少し遅れてエルナが姿を見せた。
「おはよう、ユアン。ルーチェ、早すぎ。私は二番手でいいかなと思ってたのに」
「エルナさんも早かったじゃないですか」
「……そりゃ、まあ」
三人が顔を見合わせて小さく笑った、その時である。
「――こんな朝早くから揃い踏みか」
冷たいようでどこか温かみのある声とともに、ベリルが厨房の入り口に立っていた。いつもの軍服姿だが、今日はやけに格式ばった肩章をつけている。
「ベリル、今日は早いな」
「お前たちに話がある。いや、命令と言うべきか」
ベリルは丸眼鏡を押し上げ、一枚の羊皮紙を広げた。そこには魔王リリスの印璽が、黒い封蝋で刻まれている。
「ユアン。リリス様より正式な命令だ。これより隣国、ガルム騎士王国へと向かい、魔族との不可侵協定の調印に立ち会え」
「不可侵協定……?それって」
「文字通りだ。魔王軍とガルム騎士王国は、これまで幾度となく小競り合いを繰り返してきたが、先方の新国王が和平を打診してきた。リリス様はこれを受け入れるお考えだ」
ベリルは羊皮紙をユアンに手渡しながら続けた。
「今回の調印式には、魔王軍の代表として私が出席する。そして、そなたにはその補佐官として随行を命じる」
「俺が……補佐官?」
「魔王軍専属ヒーラーであり、人間との橋渡し役として適任だとリリス様が判断された。それに、そなたの《完全回復》は魔族だけのものではない。人間側にもその力を示す好機だ」
ユアンは羊皮紙を見つめながら、じわじわと実感が湧いてくるのを感じた。
つい半月前までは、パーティーの最後尾でうつむきながら歩いていた自分だ。それが今は、魔王軍の代表として外交の場に立つ。あまりにも大きな変化に、手にした羊皮紙が妙に重たく感じられた。
「……わかった。リリス様のご命令なら、謹んでお受けする」
「よし。では、出発は明日の朝だ。支度をしておけ」
ベリルが言い終わるより早く、後ろから二つの声が重なった。
「「待ってください!」」
エルナとルーチェだった。二人は顔を見合わせ、それから同時にベリルに詰め寄る。
「ベリルさん、私も連れて行ってください!氷魔法で護衛もできるし、ユアンの補助だって――」
「わ、私もです!まだ修行中だけど、ユアン先生の助手として役に立てるはずです!それに、ガルム騎士王国には教会の支部があるから、情報収集も――」
「待て、お前たちはまだ――」
「お願いします!」
「どうかお願いします!」
ベリルはこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「……ユアン、お前のところの連中はどうしてこう、話を最後まで聞かないんだ」
「すみません、なんか……面倒見が良すぎたみたいで」
ユアンは苦笑いしながら、エルナとルーチェに向き直った。
「二人とも、気持ちは嬉しい。でも、これは遊びじゃないんだ。外交の場だし、何が起こるかわからない。危険もあるかもしれない」
「だからこそだよ、ユアン」
エルナが一歩前に出た。その青い瞳は、以前のような迷いの色をもう帯びていない。
「私は、あなたを一人で危険な目に遭わせたくない。今度こそ、あなたの隣に立って力になりたい。違うかな、それは」
「……エルナ」
「それに、隣の騎士王国って言ったら、けっこう暑い地域だって聞くし。私の氷魔法で冷やしたりできるから、魔界の食材が傷む前に保存できるよ。役に立つと思うんだけど」
「それは厨房の話であって外交とは――」
「ユアン先生!」
今度はルーチェがユアンの袖を引っ張った。
「私は教会で外交儀礼の基礎を習いました。それに、ガルム騎士王国の国教は私たちと同じ聖教会です。教会関係者として、何かお役に立てるかもしれません!」
「ルーチェ……」
「それに、それに……私、まだユアン先生に教わりたいことがたくさんあるんです。回復魔法の応用も、薬草の見分け方も、それから味噌汁の出汁の取り方も!まだ全然習得できてないのに、先生が遠くに行っちゃったら困ります!」
ルーチェは大きな瞳をうるうるさせながら、必死に訴える。その姿に、ユアンは思わず笑みをこぼした。
「……ベリル」
ユアンは振り返り、参謀長を見た。
「ダメか?」
ベリルはしばらく無言で三人を見つめていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「……リリス様になんと報告すればいいんだ。『ユアンの弟子と元仲間が同行を主張して聞きませんでした』で許されると思うか」
「思わないにゃ!」
厨房の入り口から、ひょっこりと猫耳が現れた。フィアである。彼女は朝のメイド業務中だったらしく、両手にモップとバケツを抱えている。
「あたしも聞いちゃったにゃ!ガルム騎士王国に行くなら、あたしも行くにゃ!」
「フィア、お前は城の業務が――」
「スパイ部隊に休暇届を出してきたにゃ!もう受理されたにゃ!」
「早すぎる……というか偽造するな」
「だってユアンが行っちゃうなんて嫌だにゃ!あたしはユアンの護衛兼お目付け役なんだから!」
フィアはモップを放り出し、ユアンの腕にがっしりとしがみついた。
「……もういい」
ベリルは眼鏡を外し、眉間をもみほぐした。
「ユアン、お前がなんとかしろ。どうせリリス様も『好きにしろ』で終わる案件だ。――ただし条件がある。お前たち全員、私の指示には絶対服従。外交の場で失態を犯したら、問答無用で転移門に放り込む。いいな」
「「「はい!」」」
三人の声が厨房に響き渡った。
バルザックが奥から顔を出し、「朝っぱらからうるせえぞ!」と怒鳴る。ゼクスはすでにカウンター席で味噌汁を飲み終え、無言で立ち去ろうとしていたが、すれ違いざまにユアンの肩をぽんと叩いた。
「――気をつけろ」
それだけ言って、兜の奥で目がわずかに笑ったような気がした。
「さて、それじゃあ決まりだな」
ユアンはエルナ、ルーチェ、フィアの顔を順番に見て、それからベリルに向き直った。
「魔王軍専属ヒーラー、ユアン。ベリル参謀長とともにガルム騎士王国へ向かいます。同行者は、氷の魔導師エルナ、聖女見習いルーチェ、メイド兼スパイのフィア――以上四名」
「……大所帯だな」
ベリルは呆れたように言いつつ、その口元がわずかに緩んでいた。
「明日の朝、城門に集合。遅刻は許さん。ユアン、お前が責任者としてしっかり引き締めろ」
「了解」
ユアンがうなずくと、エルナとルーチェが嬉しそうに顔を見合わせ、フィアは「やったにゃ!初めての人間の国だにゃ!」と飛び跳ねている。
「――あ、でも」
ルーチェがふと首をかしげた。
「ガルム騎士王国って、確か魔界の端にある国ですよね。どうやって行くんですか?」
「転移門を使う。ただし、いきなり城内に開くわけにはいかないからな。国境付近に座標を設定して、そこからは馬車で向かう。――エルナ、お前、馬車の運転はできるか」
「え、あ、はい。実家で少し」
「なら、道中の冷房も任せる。魔界経由とはいえ、ガルムまでは半日かかる。それまでに食材が傷んではバルザックに叱られる」
「りょ、了解です!」
こうして、突如として決まった四人での外交任務。
ユアンは、厨房の窓から差し込む朝日を見つめながら、小さく息を吐いた。
――補佐官、か。
ついこの間までは、ただの回復術師だった。パーティーにすら置いて行かれた男が、今では魔王軍の代表として外交の場に立とうとしている。
「……大丈夫だよな」
「何がだ」
「いや、なんでもない」
ベリルに問われ、ユアンは小さく首を振って笑った。
大丈夫だ。一人じゃない。
今は、隣に立ってくれる仲間がいる。後ろから支えてくれる師匠がいる。そして、この任務を託してくれた魔王がいる。
「――よし、それじゃあ今日の治療室は急いで回して、午後から出発の準備だ。エルナ、ルーチェ、フィア、手伝ってくれるか」
「もちろん」
「喜んで!」
「まっかせてにゃ!」
ベリルは四人のやりとりを横目に見ながら、羊皮紙をくるくると巻きつつ、ぼそりと呟いた。
「……リリス様、これを予想されていたからこそ、ユアンを指名されたんですかね」
答えは誰にもわからない。ただ、玉座の間のリリスがくしゃみをしたという報告が、後ほどフィアからもたらされることになるのだった。
――かくして、魔王軍きっての珍しい顔ぶれによる外交使節団が、ガルム騎士王国へと出発する。
それが後に「魔王城の癒やし手と四人の仲間たち」と歴史に記される、最初の一歩とも知らずに。




