第13話 それぞれの明日
魔王城に逗留すること三日目。
ユアンの治療とバルザックの滋養食、そしてフィアのさりげない世話のおかげで、勇者パーティーの面々は見違えるほど回復していた。
戦士は再生した右脚で違和感なく歩けるようになり、盗賊は塞がった傷を何度も撫でては「すげえ」と呟き、弓使いは久しぶりに笑顔を取り戻している。ルーチェも顔色が良くなり、ユアンの治療室を手伝いたいと申し出るまでになっていた。
しかし――体が癒えるほどに、彼らの心には別の重みがのしかかってくる。
「……ユアン、ちょっといいか」
その日の午後、治療室で薬草の整理をしていたユアンのもとに、リオンがやってきた。後ろには戦士と盗賊、弓使いも控えている。
リオンの顔からは、かつての傲岸不遜な態度がすっかり消えていた。代わりに浮かんでいるのは、照れと後悔と、ほんの少しの期待が入り混じった複雑な表情だ。
「なんだ、リオン」
ユアンは薬草を棚に戻しながら、平静を装って尋ねた。
「……その、なんだ」
リオンはちらりと後ろの仲間たちを見て、それから意を決したようにユアンに向き直った。
「すまなかった」
深々と、頭を下げる。
勇者リオンが、他人に頭を下げる。それだけで、彼がどれほどの覚悟でここに来たのかがわかった。
「お前を無能呼ばわりして追放したのは、俺の過ちだった。お前の《完全回復》がどれほどの力か、身に染みてわかった。……いや、力の問題じゃない。お前がパーティーをどれだけ支えてくれていたか、俺は何もわかっていなかった」
「リオン……」
「今さら許してほしいとは言わない。だが、これだけは言わせてくれ」
リオンは顔を上げ、ユアンの目をまっすぐに見た。
「もう一度、俺たちの仲間になってくれないか。今度は対等なパートナーとしてだ。回復だけじゃない、お前の知識も、料理の腕も、何もかも含めて、お前が必要なんだ」
戦士も、盗賊も、弓使いも、ユアンの方をじっと見つめている。誰もがリオンの言葉にうなずき、ユアンの返事を待っていた。
ユアンはしばらく沈黙し、それから静かに首を振った。
「……悪いが、それはできない」
リオンの顔が、かすかに歪んだ。
「どうしてだ。まだ俺たちのことを許せないのか。それならそれで――」
「違う」
ユアンはきっぱりと言った。
「リオン、お前の謝罪は受け取った。あの日、雨の中で『なんで一言もありがとうって言ってくれなかったんだ』ってずっと思ってた。でも今は違う。俺は俺の価値を、ここで見つけたんだ」
「ここで……?」
「魔王城で、俺は専属ヒーラーとして雇われている。俺の回復を必要としてくれる兵士がいて、『先生』と呼んでくれる人たちがいる。それに――」
ユアンは少しだけ口元を緩めた。
「厨房では料理長のバルザックが『弟子』として俺を鍛えてくれる。フィアは毎日つまみ食いに来る。ベリルは毒舌だけど気にかけてくれる。ゼクスは毎朝俺の味噌汁を飲みに来る。そしてリリス様は、俺のことを『必要だ』と、そう言ってくれた」
リオンは何も言えずに立ち尽くしている。
「俺はもう、お前たちの後ろを歩くだけのユアンじゃない。だから、戻れない。戻るつもりもない」
ユアンの声には、もはや一片の迷いもなかった。
「俺の居場所はここだ」
治療室に、静かな沈黙が落ちた。
戦士がうつむき、盗賊が天井を仰ぎ、弓使いが小さく「そうか」と呟いた。リオンはしばらくユアンを見つめていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「……わかった。お前の決断を尊重する。俺たちは、お前を失って初めて、お前の本当の価値を知った。遅すぎたが――お前は、俺たちが思っていたよりずっと、強い奴だったんだな」
「強くなんてないさ。ただ、自分の居場所を見つけただけだ」
ユアンはそう言って、そっと笑った。
その日の夕刻、玉座の間に勇者パーティー一同が集められた。
リリスが玉座から短く宣言する。
「勇者リオン、およびその一行よ。そなたたちの治療は完了した。本日をもって、この城から出て行くことを許可する」
「……世話になった」
リオンが代表して頭を下げる。彼の声には、以前の驕りは欠片もなかった。
「転移門を開く。ただし、今度は一方通行だ。もう二度と訪れるなと言っているわけではない。――もし正規の手続きを踏んで来訪するなら、その時は客人として迎えよう」
リリスの言葉に、ベリルが「魔王城医療特区法ですね」と真顔でつぶやき、フィアが「だからそれ、まだ存在しないにゃ!」とツッコミを入れる。
リリスが指を鳴らすと、玉座の間の中央に転移門が開かれた。向こう側には、見慣れた草原と街道が見える。
「行くぞ、みんな」
リオンが先頭に立って門へと歩き出す。戦士、盗賊、弓使い、ルーチェがそれに続いた。
しかし――。
「エルナ?」
リオンが振り返った。エルナだけが、その場に立ち尽くしている。
「……エルナ、どうした」
「私……」
エルナは、両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、うつむいたまま動かない。その視線はちらちらとユアンの方へと向けられ、またすぐに床へと落ちる。
「エルナ、行かないのか」
ユアンの静かな問いに、エルナの肩がびくりと震えた。
「……私、まだ……ユアンに、ちゃんと謝れてない」
「謝罪なら聞いた。それで十分だ」
「十分じゃない!」
エルナは顔を上げ、声を張り上げた。その目には涙がたまっている。
「私は、リオンに逆らえなかっただけじゃない。あなたがどれだけパーティーを支えてくれてたか、気づいてたのに、何もしなかった。あなたのごはんが美味しいのも、野営の準備が誰より丁寧なのも、ぜんぶ知ってた。なのに、私は――」
「エルナ……」
「私は、あなたに優しくされる資格なんてない。なのに、それなのに……!」
エルナはそこまで言うと、唇を噛んでうつむいた。肩が小刻みに震えている。
リオンは複雑そうな顔でそれを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……エルナ。お前は、自分の気持ちに正直になれ。俺たちは先に戻っている」
「リオン……」
「お前がいないと氷魔法が使えなくて困るが……まあ、それだけだ。俺はもう、仲間を縛るような真似はしない」
リオンはそう言うと、他の仲間たちを連れて転移門をくぐっていった。ルーチェだけが振り返り、エルナに小さく手を振る。
「エルナさん……私、教会に戻って、もっと勉強します。いつか、ユアン様みたいな癒やし手になりたいから」
「ルーチェ……」
「エルナさんも、頑張ってください」
ルーチェはにっこりと笑い、門の向こうへ消えた。転移門がゆっくりと閉じていく。
玉座の間には、ユアンとエルナ、それからリリス、ベリル、フィアだけが残された。
「……どうする、ユアン」
リリスが玉座から尋ねる。
「あ、あの、私……!」
エルナは何かを言いかけて、しかし言葉にならない。ただもじもじとユアンを見つめ、かと思えばうつむき、また顔を上げては視線を彷徨わせる。
フィアが猫耳をピンと立て、ぼそりとベリルに耳打ちした。
「……ベリル様、あれって」
「言うな。言わせるな」
「でも、どう見ても――」
「だから言うな」
ユアンは、そんなエルナの姿をじっと見つめていた。そして、小さく笑った。
「エルナ」
「……はい」
「お前、さっき『優しくされる資格がない』って言ったよな」
「……うん」
「資格なんて、誰が決めるんだ」
ユアンは一歩、エルナに近づいた。
「俺はここに来て、わかったことがある。誰かの役に立ちたいと思う気持ちに、資格も何もない。ただ、必要な時に必要な誰かのために手を差し伸べる。それだけでいいんだ」
「ユアン……」
「だから――」
ユアンが言いかけたその時、リリスが玉座から声をかけた。
「――エルナとやら」
「は、はいっ!」
「そなた、氷属性の魔法が使えると聞いた。魔王城には冷蔵庫が足りなくてな。厨房でユアンの手伝いをするなら、置いてやらぬでもない」
「リリス様、それ建前すぎるにゃ」
「フィア、余計なことを言うな」
「だって冷蔵庫なら地下の氷室があるにゃ!」
ベリルは眼鏡を押し上げ、深いため息をついた。
「……魔王城はいつから人材派遣業を始めたんだ」
ユアンは笑いながら、エルナに手を差し伸べた。
「エルナ。お前が本当にここに残りたいなら――歓迎する。治療室も厨房も、人手はいくらあっても足りないんだ」
エルナは、その手をじっと見つめた。
あの雨の日、自分が差し伸べられなかった手。追放されるユアンに、掴むこともできなかった手。それが今、自分の目の前に差し出されている。
震える指で、エルナはそっとユアンの手に触れた。
「……私、ここに……いていいの?」
「もちろん」
ユアンはしっかりとエルナの手を握った。
エルナの目から、また一粒、涙がこぼれ落ちる。けれど今度は――それは後悔の涙ではなかった。
「ありがとう……ありがとう、ユアン……!」
「どういたしまして」
フィアが「ライバルが増えたにゃ!」と叫び、ベリルが「お前はライバルという立場をはき違えている」と冷静に指摘し、リリスが「ユアン、今夜はふわとろオムライスだ。我は甘いものが食べたい」と全然関係ない要求をした。
ユアンは笑いながら、「わかりました、リリス様」と答え、エルナの手を引いて玉座の間を後にした。
――こうして、魔王城にはまた一つ、新しい風が吹き始める。
かつてユアンを追放した勇者パーティーは、ユアンを失ったことで一度は壊滅したが、その経験を通じて少しだけ変わることができた。
リオンは教会に戻り、真実を探る旅に出るという。ルーチェは改めて癒やしの道を志し、いつかユアンに追いつきたいと願っている。戦士も盗賊も弓使いも、それぞれのやり方でユアンへの借りを返す日を待っている。
そしてエルナは――魔王城で、ユアンの隣に立つことを選んだ。
それがどんな未来につながるのか、まだ誰にもわからない。けれど、ユアンには確信があった。
(俺は、ここでやっていける。俺を必要としてくれる人たちと、俺が必要としたい人たちと、一緒に)
魔王城の厨房から、今夜も美味しそうな匂いが漂ってくる。
夕日に染まる廊下を歩きながら、ユアンは静かに笑った。




