第八話 雨の日の真実
事故当日の搬送者。
相沢悠人。
雨宮結衣。
同乗。
その文字を見た瞬間。
頭の奥で何かが弾けた。
激しい頭痛。
呼吸が苦しい。
視界が揺れる。
「悠人くん!」
結衣の声が聞こえた。
だが遠い。
意識が深い闇へ沈んでいく。
そして――思い出した。
雨だった。
激しい雨。
フロントガラスを叩く無数の雨粒。
高校卒業から十年。
俺は約束の場所へ向かっていた。
あの桜の木の下。
結衣との約束を果たすために。
十年前。
卒業式の日。
俺たちは指切りをした。
『十年後も友達だったら』
結衣が笑った。
『ここで会おう』
『友達かよ』
『じゃあ恋人?』
真っ赤になりながら笑う結衣。
俺も笑った。
そして言えなかった。
本当はずっと好きだったと。
十年後。
桜の木の下で再会した結衣は、大人になっていた。
それでも笑顔は変わらなかった。
懐かしくて。
嬉しくて。
二人で何時間も話した。
仕事のこと。
家族のこと。
失敗した恋愛のこと。
そして帰り際。
結衣が言った。
『ねえ』
『ん?』
『私ね』
少し照れながら。
でも真っ直ぐ俺を見る。
『ずっと好きだった』
世界が止まった。
十年間。
心のどこかで願い続けた言葉だった。
『悠人は?』
雨が降り始める。
俺は笑った。
『俺もだよ』
その瞬間。
結衣が泣いた。
嬉しそうに。
本当に嬉しそうに。
記憶はそこで終わらなかった。
帰り道。
車の中。
雨はさらに強くなっていた。
結衣は助手席で笑っていた。
未来の話をしていた。
旅行。
結婚。
子供。
そんな他愛もない夢。
だが。
交差点に差しかかった瞬間。
結衣が叫んだ。
『悠人!!』
横から大型トラックが突っ込んできた。
信号無視。
猛スピード。
避けられない。
その瞬間。
結衣が俺を突き飛ばした。
記憶はそこで途切れた。
「――っ!!」
俺は床に倒れ込んでいた。
全身が震える。
思い出してしまった。
全部。
事故の真実を。
「結衣……」
彼女を見る。
結衣も泣いていた。
静かに。
止めどなく。
「そうだったんですね」
小さく笑う。
涙を流しながら。
「私」
震える声。
「思い出しました」
俺の胸が苦しくなる。
結衣は知ってしまった。
自分がなぜ死んだのか。
なぜここにいるのか。
「私」
泣きながら笑う。
「幸せだった」
その言葉が痛かった。
幸せだったから。
失ったものが大きすぎる。
その夜。
結衣は中庭のブランコにいた。
俺も隣に座る。
しばらく二人とも何も言わなかった。
月だけが静かに輝いている。
やがて結衣が口を開く。
「ねえ」
「うん」
「私、消えると思います」
胸が締め付けられた。
言葉にできない。
結衣は微笑む。
「未練、なくなっちゃいましたから」
管理人として分かっていた。
成仏。
それは救いだ。
だが。
俺は少しも嬉しくなかった。
「嫌だ」
気付けば口にしていた。
結衣が驚く。
「悠人くん」
「嫌だ」
自分でも子供みたいだと思った。
でも止まらなかった。
「せっかく会えたのに」
「やっと思い出したのに」
「またいなくなるなんて」
結衣は静かに聞いていた。
そして。
そっと俺の肩にもたれた。
温かくはない。
でも確かにそこにいる。
「ありがとう」
小さな声だった。
「私を思い出してくれて」
月明かりが二人を照らす。
その時だった。
どこからか鐘の音が響いた。
ゴーン――
ゴーン――
夕凪荘中に広がる音。
住人たちが窓を開ける。
佐伯さんも外へ出てくる。
そして誰もが黙った。
中庭の入口に。
黒いコートの男が立っていた。
死神だった。
「時が来た」
低い声が響く。
結衣は立ち上がる。
死神を見る。
そして静かに微笑んだ。
だが。
死神は首を横に振った。
「迎えに来たのは雨宮結衣ではない」
その言葉に空気が凍った。
俺は眉をひそめる。
「どういう意味だ」
死神はゆっくりとこちらを見た。
そして告げた。
「迎えに来たのは――相沢悠人だ」
世界が静止した。
結衣の顔から血の気が引く。
佐伯さんも目を見開いていた。
そして死神は続ける。
「病院の君の身体は、今夜、命の灯を失う」
その瞬間。
俺は初めて理解した。
消えるのは結衣ではない。
俺なのだと。




