第三話 雨宮結衣は自分の死を知らない
翌朝。
目を覚ました俺は、自分がどこにいるのか一瞬分からなかった。
見慣れない天井。
古い畳の匂い。
そして昨夜の出来事。
住人全員が幽霊。
死神。
住人名簿。
思い出した瞬間、頭を抱えた。
夢であってほしかった。
だが現実は残酷だった。
コンコン。
扉が叩かれる。
「おはようございます!」
聞き覚えのある明るい声。
雨宮結衣だった。
「朝ですよー!」
勝手に入ってくる。
「鍵くらいノックしてから開けろ」
「しましたよ?」
「意味が違う」
結衣は笑いながら部屋を見回した。
「管理人さんの部屋、殺風景ですね」
「昨日引っ越したばかりだからな」
「なるほど」
彼女は窓際へ歩く。
朝日に照らされた横顔は、本当に普通の女子高生だった。
幽霊だと言われなければ信じないだろう。
「そういえば」
俺は聞いてみた。
「結衣はいつ死んだんだ?」
その瞬間。
彼女の表情が止まった。
笑顔が消える。
数秒の沈黙。
「覚えてないんです」
小さな声だった。
「え?」
「私、自分がどうやって死んだのか知らないんです」
結衣は窓の外を見る。
風が黒髪を揺らした。
「気付いたら夕凪荘にいました」
「家族は?」
「それも……」
言葉が途切れる。
「顔が思い出せないんです」
俺は何も言えなかった。
彼女はいつも明るい。
だから気付かなかった。
笑顔の裏に、そんな苦しみを抱えていたなんて。
「怖いんです」
結衣はぽつりと言った。
「みんな覚えてるんですよ」
「……」
「最後に伝えたかったこととか」
「会いたかった人とか」
「謝りたかったこととか」
声が震えていた。
「でも私だけ何もない」
彼女は笑おうとした。
だけど上手く笑えなかった。
「自分が誰だったのかも分からないんです」
その時だった。
部屋の入口に立つ影があった。
佐伯さんだった。
大家は静かに言う。
「管理人の仕事だよ」
「え?」
「結衣ちゃんの未練を見つけてあげなさい」
俺は眉をひそめた。
「未練があるから成仏できないんじゃないのか」
「そうだよ」
「でも本人が覚えてない」
「だから探すんだ」
佐伯さんは意味深な笑みを浮かべた。
「それが管理人の役目だからね」
その日の午後。
俺と結衣は町へ出た。
「懐かしい場所とかないか?」
「うーん」
結衣は首を傾げる。
商店街。
駅前。
公園。
どこへ行っても反応はない。
「何も思い出せないなあ」
彼女は苦笑する。
俺もため息をついた。
手掛かりがなさすぎる。
その時だった。
結衣が急に立ち止まる。
「どうした?」
「……あれ」
彼女は道路の向こうを見ていた。
古びた花屋だった。
小さな店。
店先には色とりどりの花が並んでいる。
結衣の顔色が変わった。
「ここ……」
震える声。
「知ってる気がする」
俺たちは花屋へ向かった。
店内に入る。
年配の女性店主が顔を上げた。
そして――
手に持っていたハサミを落とした。
カラン、と音が響く。
店主は青ざめていた。
信じられないものを見る目。
「結衣……ちゃん?」
結衣も固まっている。
「え?」
店主の目に涙が浮かぶ。
震える唇から言葉がこぼれた。
「そんな……」
俺の心臓が跳ねた。
知り合いだ。
間違いない。
結衣の過去を知る人物。
だが次の瞬間。
店主はその場に崩れ落ちた。
泣きながら。
「ごめんね……」
その言葉だけを繰り返して。
「ごめんね、結衣ちゃん」
結衣は呆然と立ち尽くしていた。
そして俺は気付かなかった。
花屋の奥に飾られた一枚の写真に。
制服姿の結衣が写っていることに。
その写真の横に置かれた小さな白い花に。
そして、その写真が――
遺影であることに。




