第十四話 忘れられた誕生日
列車の扉が閉まる。
音はなかった。
揺れもほとんどない。
まるで夢の中を進んでいるようだった。
車内には数人の乗客がいた。
誰も話さない。
老人。
若い女性。
小学生くらいの男の子。
全員が窓の外を見つめている。
その目はどこか寂しかった。
「管理人さん」
声がした。
振り向く。
車掌の死神だった。
「最初のお客様です」
そう言って一枚の紙を差し出す。
名前が書かれていた。
――田中美咲
享年二十五歳
未練・不明
「不明?」
俺が聞く。
死神は頷く。
「だから調べてください」
相変わらず説明不足だった。
列車が止まる。
扉が開く。
見慣れた夕凪荘があった。
だが以前とは違う。
建物は少し新しくなっている。
まるで時代に合わせて姿を変えたようだった。
玄関には表札がある。
『夕凪荘』
その文字を見た瞬間。
胸が熱くなった。
帰ってきた。
そんな気がした。
談話室へ入る。
一人の女性が座っていた。
二十代半ば。
黒髪。
優しそうな顔立ち。
だが表情が暗い。
ずっと机を見つめている。
「田中さん?」
声を掛ける。
女性は顔を上げた。
少し驚いたようだった。
「あなた……」
「管理人です」
女性は苦笑した。
「本当にいるんだ」
「何がです?」
「管理人」
どこか投げやりだった。
「死んだ人間の面倒を見る人」
その言葉に引っ掛かる。
彼女は自分が死んだことを知っている。
だが悲しんでいない。
むしろ――
諦めている。
数日間話を聞いた。
美咲は独身だった。
会社員。
家族とも仲が良かった。
恋人もいた。
大きな後悔は見当たらない。
なのに成仏できない。
理由が分からない。
「誕生日なんです」
ある日。
彼女がぽつりと言った。
「明日」
俺は頷く。
「そうなんですね」
「二十六歳になるはずでした」
少し笑う。
寂しそうに。
「変ですよね」
「何が?」
「死んでるのに誕生日を気にしてるなんて」
俺は返事ができなかった。
翌日。
美咲の誕生日だった。
しかし彼女は朝から元気がない。
ずっと窓の外を見ている。
夕方。
俺はふと思った。
「ちょっと来てください」
談話室へ連れて行く。
扉を開く。
その瞬間――
パンッ!
クラッカーの音が鳴った。
「お誕生日おめでとう!」
住人たちが拍手する。
首だけの老人も。
腕が取れる鈴木さんも。
みんな笑っていた。
テーブルにはケーキが置かれている。
美咲は呆然と立ち尽くした。
「なんで……」
目に涙が浮かぶ。
「なんで知ってるの」
「管理人ですから」
俺が笑う。
すると美咲は突然泣き出した。
子供みたいに。
肩を震わせながら。
夜。
中庭のブランコで話を聞いた。
「私」
涙を拭きながら言う。
「毎年、一人だったんです」
風が吹く。
月が優しい。
「家族は仕事」
「友達も忙しい」
「恋人も忘れてた」
彼女は笑った。
悲しい笑顔だった。
「だから」
声が震える。
「一度だけでいいから」
「誰かに祝ってほしかった」
俺は何も言えなかった。
そんなことだった。
そんな小さな願いだった。
でも本人にとっては。
人生で一番大きな願いだった。
*
その時だった。
ふわり、と光が舞う。
美咲の身体が淡く輝き始める。
彼女も気付いた。
「そっか」
涙を流しながら笑う。
「これだったんだ」
未練。
成仏できなかった理由。
たった一度。
誰かに誕生日を祝ってほしかった。
それだけ。
それだけだった。
「ありがとう」
美咲は深く頭を下げた。
住人たちを見る。
そして俺を見る。
「嬉しかった」
その笑顔は美しかった。
本当に。
心から。
「生まれてきて良かった」
光が強くなる。
住人たちが手を振る。
「元気でねー!」
「向こうで幸せになりなさい!」
美咲は泣きながら笑う。
そして最後に俺へ言った。
「管理人さん」
「はい」
「あなたもちゃんと幸せになってください」
胸が熱くなった。
言葉が出なかった。
美咲は微笑む。
「待ってる人がいるでしょう?」
風が吹く。
桜の花びらが舞う。
そして――
彼女は光の中へ消えていった。
静寂が戻る。
住人たちはそれぞれ部屋へ戻っていく。
俺だけが中庭に残った。
空を見上げる。
星が綺麗だった。
その時。
背後で誰かが笑った気がした。
振り向く。
誰もいない。
だがブランコが揺れている。
そして座面には一枚の紙が置かれていた。
見覚えのある字。
震える手で拾う。
そこにはこう書かれていた。
『管理人さん、合格です』
そしてその下に――
『でもまだ三点くらい足りません』
雨宮結衣
俺は思わず笑ってしまった。
本当に。
どこにいても結衣らしい。
夜風が優しく吹き抜ける。




