亀姫と、天使
それから、何日たっただろう。
魔王はそれ以降、ほとんどの時間をその板の間の上で過ごしていた。
何をするではない。
口を開くどころか、身動きさえほとんどしなかった。
時には御簾に対して半身となり、社殿の扉を開け開いたままで外を眺めたままでいたり。
巻書のようなものを読んでいることもある。
時々誰かが魔王を呼びに来て、魔王は静かに部屋を出ていく。
そうしてまた日が暮れた頃に戻ってきて静かに過ごす。
夜がふけ、部屋の中がすっかり暗くなった頃になると魔王はただしばらく御簾の方を見て……そして、眠るのだ。
そんな日を、何日か過ごした。
ある昼、魔王殿の外から女性の声が聞こえた。
魔王が室内にいることにも少しは慣れた。
だから、その声が聞こえてきたとき、天使はつい 潜んでいた御車の陰からひょこりと顔をのぞかせてしまった。
天使はまっさきに扉の方へ視線を向けてしまったため、はっきりとは見れなかったが、その視界の端に映った魔王が、小さく笑ったような気がした。
(…気のせい、でしょうか)
魔王はすっと袂を返して階を降りる。
そして降りた後で、訪ねてきたその女性に声をかけた。
「久しく感じるな、亀姫」
「あら…。魔王様にあられましては、ご機嫌麗しゅうございましてなによりですわ」
「む。…まぁよい、して、何用だ」
「ええ。先程、近衛を見舞いにまいりましたの。
そのことで、魔王様にご相談させていただきたいことがあり、僭越ながらこのように参らせていただきました」
「どうせ屋敷の他のものに伝言を頼もうとして失敗したのだろう?」
「ふふ。お見通しでございますのね。ええ、そのとおりですわ。
『近衛もおらぬ上、魔王陛下は王殿にもめったに殿上なさらぬ。医局も房も人がおらぬ今――誰がいつ、魔王陛下にご進言申し上げることができるか保証はできぬぞ』と。手厳しく断られてしまいましたわ」
「王殿にいなければ王と話ができぬわけでもあるまいに。用事があるならばお前のようにここに来ればいいだけの話だ」
「あら…ふふ。こんな禁制の場所、ましてや魔王様の殿へ赴いてまで伝えるべき用事があると、自信をもって足を運んでこれる度胸のある者は、そうはおりませんわ」
コロコロと亀姫が鈴のように笑う。
魔王は何にそう感心したのか、真面目な顔でふむ、と呟くと、扇を広げて何やら考える仕草をしてみせた。
「それで。――近衛のことで相談とは?」
「……近衛より少し話を伺いましたの。陛下、失礼ながら……少々、おそばに寄らせていただいても?」
魔王が小さく頷くと、亀姫は魔王のそばへとより、扇を顔の横に垂直に立てて内証話を魔王へと伝える。
黙したままそれらを聞き終えた魔王は 亀姫に向かって小さく頷く。
すると亀姫は3歩ほど身を引いてから、辞儀をとる。
魔王はそのまま歩きだそうとし…ふと、自らの殿をかえりみた。
「…………亀姫」
「はい、陛下」
「おそらく、不安がっていよう。良きに計らえ」
「御言葉のままに」
それだけの会話を交わすと、魔王は足早に歩を進め、禁所を出ていく。
その後姿を見送ったあとで、亀姫は魔王殿へとあるき出す。
(誰が、とはおっしゃらないのね。
あの御方が案じるのが誰かなどきまっているようで、やり場がありませんわ)
そうして、亀姫は開け開かれたままの魔王殿へと入り込み…扉を、閉じた。




