天使という者
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天使は、その声のやり取りだけを聞いて不安に押しつぶされそうになっていた。眼の前に落ちる天。そして、この地で唯一信頼できると思った近衛の容態。
自分はこの後、どうなるのか――
天使はそんな不安の中で必死に外の声に耳を傾けて気配を探っていた。
魔王がパチリと扇を閉じる音。そして奥の方……天使の知る由ではないが、舎房のある方へと魔王が声をかける。
しばらくすると屋敷のものがパタパタと走り寄ってくる足音。魔王はどうやらそれに指示を与え、近衛を奥間へと連れて行って治療に当たらせるようだった。
亀姫と呼ばれていた女性も、どうやらそれに追随したようだ。天使は、近衛が離れていってしまう不安と、治療の機会を与えられた安心で深い息を漏らす。
(近衛様…どうぞ、ご無事でいてください)
天使が小さく祈ったとき、魔王殿へとゆっくりと近づく足音が聞こえた。
ゴクリ、と喉が鳴る。とっさに天使は、御簾の中に置かれた御車に身体を寄せて小さくなった。
階を登る音、魔王殿の立派な床板を踏む音。小さな衣擦れ。
それらで気配が近づくのを感じながら、天使は恐ろしさにぎゅっと目をつぶったまま、開くこともできない。
だが、その気配は御簾の前あたりで止まったまま、まるで消えてしまったかのように動かない。薄く目を開き、顔をうつむけたまま、視線だけをそっとそちらへ向ける。
魔王の、足先が見えた。
(やっぱり…魔王、様…っ)
再びギュッと目をつむるが、その気配は動かないままだ。
(………?)
魔王は、御簾の奥で怯えた魚のように御車の端に隠れる天使を見つめていた。
ただ、それだけ。
天界は落とした。
もう、天使の帰る場所はなくなった。
それでも決して、魔王のもとに来るわけではない存在。
それを、見つめていた。
どれほどそうしていただろう。
魔王はそのまま、その場に座り込んだ。
ゆっくりと、物音も立てないように。天使を驚かせてしまわぬように。
見ていなければ、魔王が座ったことなど気づかないほどに丁寧に、その場に腰を下ろした。
天使がそれに気づけたのは、怯えながら薄い目で魔王の足元を見ていたからだ。
魔王のしたいことがわからず、天使もわずかに心臓が落ち着いてきた。
魔王は、天使を見つめたまま動いていない。
それは、天使にとってはとても勇気のいることだった。
天使はゆっくりと、ゆっくりと。
そっと視線を上げて、魔王の様子を覗き見る――
「……っ」
そして、目が合った。
(……え?)
天使は、思わず声を漏らしそうになった。
驚きのあまり、目があってしまったと言うのに逸らすのを忘れてしまうほど。
はじめてだった。
魔王の顔を――その瞳を見るのは。
初めて見るその瞳は、ただ、孤独だけを映していた。
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