最上階:天守閣2
「戦略的撤退も時には必要だ。列を離れる一団の指揮を取る役割を与えよう、退がるがよい」
「ガル……」
獣王は一声唸ると、僅かに頭を垂れた。
それから猫さながらのしなやかな仕草で、背後にいた一回り小さい銀色の獣に並ぶ。
獣王がその首に自らの首を沿わせると、
銀色の獣も同じように獣王の首にすりあわせる
ぺたりと座り込んだ銀色の獣の周囲を、身体を擦り付けながら一周。
それからもう一度首を絡めあわせると…今度は、獣王が座った。
直後、銀色の獣は大きく吼え―― 他の獣も揃い、吠え出した。
ァオーーーーン…
ワオー… ワオーーーン…!!
「……?」
獣王が、座ったままで短く吼える。
すると銀色の獣を筆頭として、獣達は吼えながら跳ね飛んで階下へと消えていった。
数匹の体躯の大きな獣だけが残り、黙したまま扉を見据えている。
「…一体、何をした?」
「族長ノ位を譲っタ。あのままでハ、戦えなかっタ」
「ふむ…? ここまでの間、どいつも命令に忠実で勇猛に戦っていた。……お前の足手まといになるとも思わなかったが」
「あア。ならなイだろウ」
「では、“戦えなかった”というのはどういう意味だ?」
「……ここを開けれバ、それだけデ死ぬ仲間がでル…。手を出せないどころか、足手まといにもなれズ、戦えないまま死ヌ…」
「その無念ヲ見届けながらでハ、オレが冷静に戦えなイ」
「……なるほど。ではここに残ったのは、扉を開けても生きられる者たちか」
「ここに残ったのハ…“例え死を前にしても、強さを示せる者”ダ」
獣達は、身体を低くして唸り続けている。
例え即死しても、それを誇りに代えられる者。
――臆して逃げ帰る姿を見せるより、最期まで強さに生きた姿を見せる者。
濁りも迷いもない瞳は、確かに自らの生き方に ―死に方に― 疑念を持つことはないのだろう。
「……先ほどの、銀色のは何者だ?」
「妻。ここに残れない者ヲ鍛えなおす為ニ。魔国に残る仔らに強さを教える為ニ、離れタ」
「……族長を譲ったのは、おまえも死を覚悟したからか? 最初から死ぬつもりのやつなど、この先には――」
「違ウ」
「…?」
「『我等は集団で生きル。いかなるときも強く導かねば、混乱が起きル。統率の乱れこそヲ、何よりも愚と考えル』…前ニも、言っタ」
「…ああ、なるほど。 神の間の目前で、かざした意思を違えたお前では示しがつかぬ、と」
「“全員で魔王サマの盾になる”と言ったからナ」
「……しかし解せないな。もともと、お前たち獣は不利な状況で深追いなどしないだろう? その判断は過ちではない。本当に生きて帰るつもりならば、族長を譲る必要など――」
「……あいつらがここから逃げ出す為ニ、“族長命令”の強制力は必要だっタ。先頭に立ち率いなけれバ、一匹として逃げ出せないだろウ」
「……死に怯んだからとて、“統率を乱す愚”を冒すほどの者は居ないということか。……よい一族ではないか、獣王」
遠くからいまだ微かに聞こえる、獣の遠吠え。
そろそろ宮殿の外にまで出ただろうか。
「それにしてもよく吼える…。あれは何を意味しているのだ」
「……ただノ遠吠えダ。仲間ヲ呼び集メ、一箇所ニまとめル合図。他の後続種モ共に下げるのだろウ」
「そうか。……では、そろそろ開けるが構わないな?」
「あア」
魔王は手元に魔力弾を練りだしていく。
魔素で扉を打ち破ることで、噴出するであろう浄気を抑えるためだ。
だんだんと大きくなる魔力弾を皆が見つめていると、魔王がふとつまらなさげに呟いた。
「おい……獣王、そしてそこの獣達。戦の前に、ひとつだけ命令しよう」
「……?」
「新族長が仲間を呼び集めているのなら、あとで必ず行け。…あれは『皆を呼んでいる』のだろう? 長の命令に従えぬものばかり従えているなどと、魔王の沽券に関わる」
魔王は遠くから聞こえたその張り詰めた響きを思い出しながら、小さくつぶやく。
「……そうだナ。了承しタ」
獣王は、そんな主をうまく見つめることができず、なぜか少し頬が緩むのを感じた。生きて帰れ、と。そう言われた気がした。そしてそれを聞き、自分もまた『帰らねばな』と、当たり前のように思えたからだ。
死地を前にして、軽く返事をできるようなことではないというのに。
「では―――」
ドォォォォォォ………ン……ッ…!
重厚な扉の下部を抉り取る魔力弾。
扉と、中に埋め込まれていたであろう蝶番は自重に耐え切れず、崩れ落ちる。
巻き上がる石埃と魔素。そして扉の奥から吹き上げてくる浄気――
一瞬でその場は白い靄に包まれ、一同は嵐のような気の奔流に巻き込まれた。
…………
……………ガラン…ゴトッ
靄が晴れるころには
扉だけではなく入り口付近の壁も圧によって瓦解していた。
その部屋の中央に、まっすぐに立つ影がある。
「お前が神か」
「―――ああ。待っていたぞ、魔王」
光のように、透ける白髪。
色素をもたない端整な顔立ち。
石膏よりもなお“鮮やかに白い”、豊かに広げられた翼……
「まさか、女性神だとは。……神族の兵が手ぬるいのはそのせいか?」
「この神界に兵など居ない。皆、本来は何かを守り慈しむために存在していた」
「ほう。……では、お前も同じように手ぬるいのだろうか」
「確かめてみるがよい。……神の持つ、守る力の強さを」
滑らかな白絹を纏った細腕が、ゆるやかに伸び上がった。
差し出し、相手の手を求めるように。そっと包み込むような握手をするような仕草だった。
「――そして、我が剣の前に降伏するがいい」
気がついたときには、魔王の心臓位置をめざして正眼に構えられていた。
剣を持っていることすら見落とすほどに、刃の見えない透明な剣が握られていた。
「……クク。確かに予想外のこともあったが…」
「この戦は仕掛けられている…というのは、予想通りだったようだ」クク
シャッ…――
一瞬の抜刀。
魔王はそれと同時、低く跳ねて剣先から逃れる。
獣達も、床を強く踏みしめて飛び掛かっていく。
カ ィーーーン…ッ……
鉱物を金属で打つ、特有の音程。
剣と刀を合わせるたびに空気を振動させるその音は、
部屋中に波紋のように響き渡っていった―――




