亀姫の推測4
亀姫はそんな近衛の手を取り、怪我をしているわけでもない近衛に治癒呪文を与えた。
暖かな魔力が流れ込む様子そのものに、近衛は僅かに冷静さを取り戻す。
そうして、気づいた。
亀姫の手が、か細く震えていることに。指先が血の気を失い、冷え切っていることに。
「…! 亀姫様………」
「ふふ。おぞましい。考えが及ばないほどに、根深いおぞましさですの…。ですが私は亀姫。どれほどおぞましいものを見せ付けられようと、血の道で倒れるような弱さは決して見せませんわ」
「……………」
血の道で倒れる…つまり、貧血を起こして失神しそうなのをこらえているということだ。
それだけの恐怖の中で、冷静に頭をめぐらせて考えていた亀姫。
近衛はみっともなく感情に流されて激昂してしまった自分を諌め
亀姫の手を握り返すようにして覆った。
「……陛下がこの戦争を始めたのは“次の手として差し出される、まだ見ぬ憐れなもの”のため…というのも、あるかもしれませんわね」
亀姫は愛し子の優しさを褒めるように微笑んで、静かに会話を続けた。
その微笑が、近衛に向けられているのか魔王に向けられているのかわからない。
だけれど近衛は黙ってそれを見つめ、亀姫の手を温めながら耳を傾ける。
「いくらこちらが守り続けても、憐れな弾は撃たれ続けるのに変わらない…。
憐れな近衛は、陛下に救われて忠実な家臣になった。――本当ならば自由に生きていたのに。
憐れな天使は、陛下に救われながらも永遠に怯え暮らす羽目になった。――そんな必要はどこにもなかったのに」
「あ………まさか、陛下は……」
「神がそんな状況を作る元々の理由は……魔王陛下に起因しますわ。陛下が魔王であるというそれだけで、全ての惨事は生み出されますのよ」
「!!! ………陛下がご自身の責を感じる必要などありませぬ…ッ!」
思わずまた昂ぶってしまいそうな感情をどうにか押さえ込みながら、
近衛は苦々しく魔王を擁護した。
「『悪を悪と思わず、善を善と思わず』。この魔王の心得……貴方もお聞きになったでしょう?」
「…ええ…。 ですが今、それが何か…?」
「あの状況で、そんな事を口にされたのですもの。陛下ご自身がその心得を誰よりも意識していたのは明白ですわね」
「あれは…… どういう意味なのでしょうね…」
「ふふ。そのままの意味ですわ。『悪い者や悪い行い』をするものが“悪”だと思ってはいけない。逆もまた然り。……それだけの言葉」
「……?」
「鈍い子ねぇ。・・・つまり、悪事が悪で善行が善になるだなんて思うな、ということ。『何をしようと魔王が悪で、神が善になるのだと思っておけ』って話ですわ」
「なっ」
「それを心得ておかないと、魔王なんてやっていけない。だからこその魔王の心得」
「陛下が魔王である以上、陛下ご自身がいかような存在であっても『他者から悪と思われる』覚悟をしていなくてはいけない…」
「今回のように策略に落とされても、いちいち弁明など出来ると思ってたらやっていけない。出来ると思うな、っていう心得ですわ」
「そんな……そんな不健康な物の考え方をしていては、まともに生きてなどいけません」
「だけれど事実なのよ。だからこそあらかじめ心得ておくことがとても重要なの…。今回も、きっと陛下はそれを何度もご自身に言い聞かせていたんだわ」
「くっ…」
「陛下は…とてもお優しくて思慮深い方よ。だからこそそれを表には出さない」
「誰かにとって、優しくされていた相手が悪なのだと思い知らされたら……負う傷の深さが増すだけですものね」
「最初から乱暴で傲慢な相手なら… 乱暴で傲慢な扱いをされたと感じた時でも、それ以上に傷つかなくて済む、と…?」
「……信頼や忠誠をした相手に裏切られたら…悲しみという傷が増えるでしょう?」
「………だからこそ…陛下はこの戦争の前に、忠誠を棄てろだなんて仰っていたのか…?」
「この戦争、予め神が望んで陛下に仕掛けさせたものだったとしたら……神は陛下を全力で悪に仕立て上げるでしょうからね」
「………陛下……」
全ては推測に過ぎない。
だけれど、二人はそれぞれ確かに強い思いをもって魔王を慕っている。
推測に過ぎなかったとしても、その可能性があるというだけで充分なのだ。
充分すぎるほどに胸は苦しく、苦々しい思いを噛み締めてしまう。
発するべき言葉もみつからないまま、二人は黙り込んでしまった。
それから少しの間をおいて… 亀姫がスっと姿勢をただし、顔を上げた。
「……神は弱いわ。必ずや弱さを補うための姑息な手段を用意しているはずよ」
「!」
「行きましょう、近衛。私達は臣下として……陛下を穢そうとする策謀から、陛下をお守りしなくてはならないはずよ」
近衛も姿勢を正し、深く頷いた。
その時に、近衛の目がテーブルの上におかれた本を捕らえた。
「……『王に、穢れあるべからず』。陛下の心が穢れなきものだからといって……穢そうとしていい道理などはない!!!」
バシュ……ッ!
本は一閃の元に切り破かれ、紙吹雪となって舞い上がる。
皮肉なほどに美しいそれは
既に見る者も駆け去り居なくなった部屋で 静かに散り落ちていった。




