臣下と、その愛
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本殿・最奥の間
「……」
ちらちらと蜀台の炎が揺れていた
その灯火が自らの影を映し出すのを気にして、そっと掌で覆い隠す。
「近衛様…? あの、如何なされましたか…?」
「……」
近衛と天使の、二人だけの密会。
それは月日と共に頻度を増し、既に毎夜の事になっている。
魔王が神界との戦争を口にしてから先は、滞在時間も長くなっていた。
「近衛様…。戦争の事を、自責していらっしゃるのですね…?」
「天使殿を逃がすことも叶わず、それどころかその故郷を無くそうというのです。
魔王陛下をお止めすることも出来ない自分の無力さを、ただ恥じるばかりしかない」
「神様と戦争だなんて…私には、どうなるかの考えにすら及びません」
「陛下は、本当に強い方です。神界を堕とすというのもただの酔狂ではなく、本気で可能だとお考えでいらっしゃる」
「そう、なのですか…」
「…天使殿は、凄いですね。最初に出会ったときは、僅かな事にも混乱していらっしゃったのに。今は取り乱す事なく話を聞いておられる」
「芯の強さを、お持ちなのだとおもいます。自分は見習わなくてはなりませんね」
少しの間、近衛の瞳をみつめた天使は
悲しげに視線を落とすと小さく首を横に振った。
「…違うんです。私はただ、本当に考えが及ばないだけ…。きっと、何も理解しようとしていないだけなのです」
「理解しようとしていない…?」
「現実味がないのです。私はそこで生まれて…神様の守護の下、生きて参りました」
「争いなどとは無縁の理想郷。そこが戦場になるなど、想像ができないのです。考える事すらも恐ろしくて、出来ないだけなのです…」
「…申し訳ない、浅慮な発言でした。気丈でいられる訳などありもしないのに…」
「近衛様。 私は…神界は、どうなると思われますか?」
「それは――」
「教えてくださいませ。自らで考えられないのであれば、私はせめて知る努力をしなければなりません」
しばしの沈黙
悩んだ末に、近衛は小さく呟いた。
「神は、陛下の事を侮っておられる。だけれど自分には、あの魔王陛下が負ける未来を想像することが出来ない」
「え…?」
「神界は堕とされる。目立った者は殺され、一部の運のよい者は捕虜のように扱われるだろう。天地はなくなり、球のごとくに閉ざされた世界が創られる…」
「え…? お、お待ちください近衛様。一体何故、近衛様はそのような…」
「……申し訳ない。分かりづらいとは思いますが、それが自分の予想する行く末なのです」
「そ、そうではなく――」
神妙な顔つきをしていた近衛が、眉はひそめたまま、ふと口元だけで微笑んだ。
苦悩のなかで、せめて天使が少しでも心安らぐようにと振り絞った笑顔。
「自分が傍にいます。例えどのようになっても…災厄を祓うことなど出来ずとも。天使殿の傍に、必ず居ます」
「近衛様……」
天使は、このまま近衛が泣き出してしまうのではないかと思った。
『辛い、苦しい、だけれど仕方ないのだ』と、諦めたような表情で微笑み、泣くのではないかと。
だから、心もとなく胸元で握られていたその掌を
近衛に向かって差し出さずにはいられなかった。
だけれど、その掌は届かない。
結界に阻まれて、御簾の手前で止まってしまった小さな掌。
それを見て、近衛は愛しく思った。深く一呼吸し、感情を整える事が出来た。
「最善は尽くします。今の自分にお約束できるのはそれだけ。…どうかお許し願いたい」
近衛はそのまま拳を床に付き、頭を下げた。
「……」
天使には、最善が何かも、近衛の約束をどう受け取ればいいのかもわからない。
わかるのは、目の前の人物が優しくひたむきであるという事と
そんな彼を愛しく思う、自分の不謹慎な想いの確かさだけだった。
「でしたら私も許しを乞い、願ってよいでしょうか」
「…何をでしょうか」
「私が近衛様のご無事をお祈りすることを」
「天使殿……」
「魔王の右腕であると知っていて、それでも――」
どうか、貴方にも無事で居てほしい。
そんな願いを掛けることを、神様は許してくださるでしょうか。
胸が痛んで、最後まで言葉にする事が出来なかった。
必死に微笑んで、ぽろぽろと零れる涙を その唇の端で受け止めるのが精一杯で。
「天使殿――」
「近衛様… 近衛様、近衛様……っ」
結界の御簾越しに、掌を重ね合わせる二人。
ちらちらと揺れる蜀台の灯火が、壁に二人の影を映し出している。
「…………」
その影は、まるで本人達に代わって手を重ねているようで。
叶わない口づけを交わし、抱きしめあっているようにも見えて――
ふたつの影が離れるまで、
魔王は息を殺したまま、その影の揺らめきから目を離せずにいた。




