第4話 鏡の向こうから、ありがとう
あれから半年が経った。
私は高校3年生になり、大学受験の波に飲まれながらも、毎日を少しだけ丁寧に生きるようになっていた。文芸部では短編小説を書くようになり、文化祭では自分の作品を発表した。友達からは「最近、あかり大人っぽくなったね」と言われる。
私はいつも、心の中で小さく答える。
——あの三日間のおかげだよ。
悠真とは、今も時々メッセージを交わしていた。
匿名アカウントのまま、季節の変わり目や、悩んだときにだけ。
彼は無事に大手企業から内定をもらったらしい。でも、最終的にそれを蹴って、出版社の契約社員になる道を選んだと聞いたときは、私は思わずガッツポーズをした。
ある冬の夜、雪が静かに降る中、私は最後のメッセージを送った。
「もうすぐ受験が終わります。
あなたが勇気を出して出版社の道を選んだこと、私も嬉しかったです。
本当に、鏡の向こうから、ありがとう。」
送信してしばらくすると、返信が来た。
「こちらこそ。
君がいてくれたから、僕は自分の声で生きることを選べた。
もしよかったら……一度だけ、会ってみないか?」
私は息を止めた。
心臓が激しく鳴った。
会うべきではない。
会ったら、この不思議で大切な関係が壊れてしまう気がした。
でも、私は指を動かした。
「場所と時間を教えてください。」
指定されたのは、大学近くの静かな喫茶店だった。
私はマフラーで口元を隠し、緊張しながら店に入った。
窓際の席に、背の高い男性が座っていた。
高橋悠真。
写真で見たより、少し痩せて、でも目が優しかった。
私は彼の向かいの席に座り、小さな声で言った。
「……はじめまして。
私は、佐藤あかりです。」
悠真は一瞬、目を丸くした。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
その笑顔は、あの鏡で見たものと同じだった。
「やっぱり……君だったんだ。」
私たちはお互いの半年間を語った。
私が受験勉強で挫折しそうになったとき、彼の言葉が支えになったこと。
彼が就活で悩んでいたとき、私が書いた小説の続きが、背中を押してくれたこと。
「不思議だよね」
悠真がコーヒーカップを両手で包みながら言った。
「一瞬だけ体が入れ替わって、人生が変わるなんて。」
私は頷いた。
「でも、きっと必要だったんだと思う。
私があなたの人生を見て、あなたが私の人生に触れて……
お互いに、ちょっとだけ優しくなれたから。」
店を出るとき、雪が少し強くなっていた。
別れ際、悠真が静かに言った。
「これからは、鏡の向こうじゃなくて、ちゃんとこの世界で生きていこう。
また、どこかで言葉を交わせたら嬉しいよ。」
私は微笑んで頷いた。
「はい。私も。」
彼の背中が見えなくなるまで見送った後、私は雪空に向かって小さく手を振った。
鏡の向こうにいたもう一人の自分へ。
そして、これからを生きる自分へ。
「ありがとう」
雪が、私の言葉を優しく包み込んだ。




