第7場 パドヴァ
法を修めた青年の心を捉えたのは、無限だった。なぜ惹かれるのか、彼自身にも分からない。
少年は、川を離れた。
学びの才は、船着き場の町には収まらなかった。彼は北の学校へやられた。そして共同生活兄弟団のもとで、つましい敬虔と、文字と、祈りを身につけた。
そこでは、神に近づくのは華やかな儀式によってではなく、静かな内省によってだと教えられた。魂を、日ごとに、整えていくこと。少年は、その教えを、なぜか深く懐かしく感じた。来る日も来る日も自分を整えるという、その営みを、ここに来る、ずっと昔から知っていたような気がした。
やがて彼は、南へ、アルプスを越えた-——パドヴァの大学へ。
イタリアの陽光の下、若いニコラウスは教会法を修めた。条文を、判例を、教会の定めを。彼の聡明さは、むつかしいそれらを苦もなくこなした。そしてやがて教会法博士の位を得た。誰もが、彼を有能な法律家として見た。彼の前には、教会の階梯を上っていく道が、まっすぐ開けていた。
けれど、彼の心を本当に捉えたのは、法ではなかった。
パドヴァには、法学のほかに、数と星を学ぶ者たちがいた。ニコラウスは、夜ごと、彼らのもとに通った。法律やら条文やらの本をひととき脇におき、天球の図を開いた。そこで彼は、生涯の友となる一人の男と出会う。トスカネリ。医者であり、数学者。地図を描き、星の動きを測る男だった。二人は、夜が更けるのも忘れて語り合った。
トスカネリは、後年、奇妙そうに振り返ったものである。ニコラウスは、優れた法律家だった。神学にも明るかった。けれど、彼が本当に取り憑かれていたのは、ただ一つの問いだった、と。
無限、という問いだ。
ニコラウスは、際限なく続くもの、決して到達できないもの、人の理性がその端をつかめないもの——そういうものの前に立つと、我を忘れて没頭した。数を、どこまでも大きくしていったら、どうなるのか。線を、どこまでも細かく分けていったら、どうなるのか。そして彼が、幾度となく、紙の上に描いては見入っていた図形が、一つあった。
円と、その内側の多角形だった。
彼は多角形の角を増やしていく。辺を倍にし、また倍にする。多角形は円に近づいていく。けれど、決して、重ならない。トスカネリが、それがどうした、と笑っても、ニコラウスは紙から目を上げなかった。見たまえ、と彼は言った。どれだけ角を増やしても、この多角形は、円には、ならない。近づくことは、できる。いくらでも近づける。けれど、届くことは、永遠に、できない。近さと、到達とは、別のものなのだ。
なぜ、そんなことに、これほどこだわるのか。トスカネリには分からなかった。ニコラウス自身にも、分からなかった。
彼は、自分がなぜこの図形に引き寄せられるのか、説明できなかった。ただ、この円と多角形を見ていると、胸の奥が、苦しいように締め付けられ、ざわざわと騒いだ。恐れに似た、けれど恐れだけではない。決して届かない哀しみと、同時に、届かないからこそ何かが守られているような、奇妙な安堵のような——彼はその感覚に、名前をつけられなかった。
彼は知らない。二千年前、別の海のほとりで、別の名を持っていた一つの魂が、やはり図形を前に、立ち尽くしたことを。そのときその魂が感じたのは、安堵ではなく、純粋な恐怖だったことを。いくら近づこうとしても決して届かないものが、かつて一人の人間を、世界もろとも沈めたことを。
だが今、魂は、ことなる印象を見いだそうとしていた。
ニコラウスは、ただ、図形に見入っていた。彼にとって、それはまだ、答えの出ない、心地よい謎にすぎなかった。彼はまだ若く、世界は彼の前に開けていた。
それに、教会は彼を必要としていた。届かない円のことは、夜が明ければ、いったん紙の隅に追いやられた。彼はやがて、教会の大きな務めへと呼ばれていく。その務めは、彼を、思いもよらぬ方角へ——東の、海の向こうへと、連れていくことになる。彼自身は、知らず——その海が、自分の運ばれてきた波であることを。
続く




