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第5場 水

問いは、答えを得ぬまま封じられる。声が水に呑まれて消えるとき、第一部は閉じる。

 しばらくは、何も起こらなかった。


 私は約束を守った。誰にも話さなかった。蝋板に正方形を描くこともやめた。

 夜明けには(モノコルド)が鳴り、私は輪の端に座り、生返事をして日を送った。けれど、もう以前の私ではなかった。協和音が鳴っても、私の胸は世界とつながらなかった。澄んだ五度を聞いていても、その音の裏側には、語りえぬ穴が口を開けているのだという思いが拭えなかった。世界は調律された竪琴だと、私はかつて信じていた。けれど今は、その竪琴の胴に、暗い空洞があることを、私だけが知っていた。


 知ってしまった者は、知らなかった頃には、もう戻れない。

 年長の門人たちは、私に何も言わなかった。ただ、彼らの目が、いつも私の上にあった。私が誰と話すか。私が何を描くか。彼らは見ていた。私を罰するためではなく、いつ私から話が漏れ出さないか、見張っていた。私は囚われてはいなかった。が、自由でもなかった。私は、歩く秘密だった。


 ある日、私のもとに、海へ渡る話が来た。

 近くの島の、同志の家へ使いに出よ、と。年長の門人が幾人か、供をする。ごく当たり前の用向きのように語られた。私は従った。逆らう理由も、見つけられなかった。あるいは——見つけたくなかったのかもしれない。この家にいて、毎日あの目に見張られ、一人きりで秘密を抱えて過ごすことに、私は疲れていた。海の風に当たれば、少しは楽になる気がした。

 私たちは小さな舟に乗った。

 岸が遠ざかり、やがて陸が低くかすんで、まわりが水ばかりになった。よく晴れた日だった。波はおだやかで、舟はゆっくりと揺れていた。

 供の門人たちは、櫂を握る者のほかは、黙って座っていた。私も黙っていた。私たちはみな、沈黙の戒律のうちに生きてきた。だから、その沈黙は、いつもの沈黙と変わらないはずだった。

 けれど、変わっていた。

 誰も私を見なかった。それまで、いつも私の上にあったあの目が、その日にかぎって、一度も私を見なかった。みな、海のほうを、あるいは自分の足元を見ていた。私と、目を、合わせなかった。


 私は、理解した。そしてそこにいた全員が、私が理解したことを知った。


 舟が陸からじゅうぶんに遠ざかったとき、いちばん年長の門人が、静かに私の名を呼んだ。私は顔を上げた。彼の目に、憎しみはなかった。怒りもなかった。あったのは、深い悲しみと——そして、揺るがぬ決意だった。彼は私を憎んでいなかった。ただ、塞がねばならぬ穴として、私を見ていた。

 お前は、よき門人だった、と彼は言った。誰よりも熱心で、誰よりも真理を愛していた。それは皆が知っている。お前に罪はない。罪があるとすれば、それはお前が見つけてしまったもののほうだ。けれど、見つけたものを、お前から引き剥がすことは、もうできぬ。お前と、お前の見つけたものは、一つになってしまった。だから――許せ。


 私は、逃げようとはしなかった。いま、これを語っている私自身にも、なぜ逃げなかったのか、うまく言えない。舟は小さく、海は広く、ただ逃げ場などどこにもなかった、というのも本当のことだ。けれど、それだけではなかった。私はたぶん、心のどこかで、これが筋の通った結末だと感じていた。世界に空いた穴を見つけたものは、その穴とともに、世界から取り除かれる。残酷な論理だったが、首尾一貫しているように感じられた。


 ひとつだけ教えてください。私は彼に訊いた。

 あれは——私が見つけたものは、呪いだったのですか。それとも、真理だったのですか。


 彼は、答えなかった。師が答えられなかったことに、誰が答えられよう。彼はただ、静かに首を振った。分からない、というように。あるいは、分かってはならない、というように。

 彼らが私を抱えた。手は、乱暴ではなかった。それが最後の慈悲だったのだ。


 冷たい、と最初に思った。海の水は、晴れた日でも、こんなに冷たいのか、と。それから、世界がひっくり返った。上が下になり、光が足のほうへ行った。

 水は、私の口から言葉を奪った。叫ぼうとし、声の代わりに、水が入ってきた。私はこれまで、声で、言葉で、数で、世界を捉えてきた。けれど水の中には、言葉がなかった。比がなかった。数がなかった。ただ、冷たさと、重さと、遠ざかる光だけがあった。

 沈みながら、私は上を見た。

 水面が、光って、揺れていた。さっきまで私がいた世界が、銀色の膜の向こうで、遠くなっていく。私はもがき、あぶくの中で水をひっかくように手を伸ばし続けた。届かなかった。あれほど近いのに、届かなかった。あと少し、もう少しで、光に触れられる。けれど、その「あと少し」は、決して尽きなかった。私は近づきながら、永遠に、届かなかった。

 ああ、これは、と私は思った。これは、あの対角線と同じだ。

 いちばん近いものに、永遠に届かない。手を伸ばすほど、同じだけ遠ざかる。私は最後に、自分が証明したあの真理の中へ、自分の体ごと、沈んでいくのだった。語りえぬものの中へ。比で結べぬものの中へ。

 胸が、苦しかった。光が、小さくなった。

 まだ、分からない。私は思った。これが呪いなのか、真理なのか。私は世界で最初に、この問いを掘り当てた。


 そして、その答えを知らないまま——

 光が、——

第一部、了。

第二部へ続く。

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