第4場 沈黙の命令
師は、無知ゆえに隠したのではない。
誰より深く理解したがゆえに、埋めようとした。
これは隠蔽ではない。これは防壁である。
私は、抱えていられなかった。
いま思えば、そこが私の過ちだった。
けれど当時の私には、それが過ちだとは思えなかった。私は真理を見つけたのだ——いや、真理のほうが私に手招きし、その扉を開けたのかもしれない。世界が数の比でできているのではないと、理性が告げている。
それは恐ろしいことだった。しかし同時に、私たちが誰も知らなかった世界の深い姿でもあった。そうだ、私たちは真理を愛する者の集まりではなかったか。ならば、これも分かち合うべきではないのか。私はそう信じようとした。たぶん、半分は、ただ独りで抱えているのが怖かったのだ。
私は師のもとへ行った。
師は一人でいた。私は蝋板を差し出し、震える声で、たどってきた道を話した。対角線と一辺は比で表せると仮定したこと。そこから、ある数が奇でも偶でもなければならないという、ありえない結論が出たこと。だから、その仮定が間違っていること。つまり——対角線と一辺は、二つの数では、決して表せないこと。
師ははじめ、やさしく微笑んだ。あの夕と同じ、やわらかな微笑みだった。お前は疲れているのだ、と師は言った。どこかで数えそこねたにちがいない。どれ、一緒に見てやろう。師の声には、まだ何の翳りもなかった。私の混乱を、若い弟子のありがちなつまずきとして、包んでくれようとしていた。
師は蝋板を取り、私のたどった道を、一歩ずつ追いはじめた。
私は師の顔を見ていた。
はじめのうち、師の指は軽やかだった。なるほど、ここはこうだな、と確かめるように、節をたどっていく。仮定を置く。約しきる。少なくとも一方は奇数。正方形の定理を当てはめる。対角線の数の二乗は偶数——だからその数も偶数。おや、と、師の指が、そこで一度、止まった。
それでも師は進んだ。偶数なら半分にできる。戻して、ほどく。一辺の数の二乗も、偶数になる。だから一辺の数も偶数。
両方が、偶数。
最初に、両方が偶数ということはないと約しておいたのに。
今度こそ、師の指が、止まった。
私は、師の顔から血の気が引いていくのを見た。
それは、ゆっくりだった。怒りではなかった。叱責でもなかった。師は蝋板から目を上げなかった。長いあいだ、ただ見つめていた。私がたどったのと同じ道を、もう一度、頭の中で歩き直しているのが分かった。逃げ道を探していた。私が何日も探して、どこにも見つからなかった逃げ道を。師ほどの人なら、見つけられるかもしれない。私は祈るような気持ちで、師の沈黙を見つめた。どうか、どこか間違いを見つけてください。私を叱ってください。お前は下手だと、笑ってください。
師は、間違いを見つけられなかった。
師ほどの人が見つけられないなら、それは、ないのだ。私はそのとき、自分の証明が本物だと、いちばん残酷な形で確かめてしまった。師の沈黙が、その何よりの証明だった。
師がようやく口を開いたとき、その最初の言葉は、私の予想したどれでもなかった。叱責でも、嘆きでも、議論でもなかった。
師は、低い声で、こう訊いた。これを、ほかに話したか、と。
私は、いいえ、と答えた。あなたが、はじめてです。
師の肩から、わずかに力が抜けたように見えた。その仕草を見て、私は初めて、本当に怖くなった。師が安堵したのは、真理が美しいからでも、私がよくやったからでもなかった。まだ広まっていない、ということに、安堵したのだ。
それから師は、私に説いた。あの夕と同じ、やさしい声で。けれど語っている中身は、正反対だった。
よいか、と師は言った。お前が見つけたものは、本物かもしれぬ。だが、本物であればあるほど、これは口にしてはならぬ。考えてもみよ。この家には何百という魂がいる。みな、世界が数の調和であると信じて、その信仰に生涯を賭けている。肉を断ち、財を分かち、来る日も来る日も自分を調律して、それで魂が浄められると信じている。その信仰の土台に、語りえぬ穴が一つあると知れたら——調和が完全でないと知れたら——彼らは何にすがって生きればよい。お前一人の真理のために、何百の魂の救いを崩すのか。
私は何も言えなかった。師の言うことは、正しかった。それがいちばん恐ろしかった。師は無知ゆえに真理を隠そうとしたのではない。師は、私よりも深く、私の見つけたものの恐ろしさを理解していた。だからこそ、埋めようとした。これは隠蔽ではなく、防壁だった。
では、と私はようやく声を絞り出した。これは、何なのですか。私が見つけたものは——呪いなのですか。それとも、世界のもっと深い真理なのですか。
師は、答えなかった。
長い沈黙のあとで、師はただ、こう言った。それは、まだ誰にも分からぬ。だからこそ、今はしまっておくのだ、と。
私はうなずくしかなかった。私自身、それが救いなのか破滅なのか、分からなかったのだから。
私は世界に穴を見つけた。
けれどその穴が、奈落へ通じているのか、それとも、もっと広い空へ通じているのか——それを見きわめる言葉を、私は持っていなかった。誰も持っていなかった。私は、答えのない問いを、世界で最初に掘り当てた人間だった。そして、その問いごと、口を塞がれた。
その夜、私は約束した。誰にも話さない、と。
けれど、部屋を出るとき、私は気づいてしまった。師の背後の暗がりに、いつのまにか、年長の門人たちが幾人か、立っていたことに。彼らがどこから聞いていたのか、私には分からない。師は彼らを呼んでいない。けれど、彼らはそこにいた。
師が私を見る目には、悲しみがあった。そして彼らが私を見る目には、それとは別の、もっと冷たいものがあった。師は問うていた——これをどう埋めようか、と。彼らはもう、別の問いに移っていた。この穴を、どうすれば確実に、永遠に塞げるか、と。
私はそのとき、考えもしなかった。
穴を塞げないなら、穴を見つけた者を、塞げばよい――そんな考えがある、ということを。
続く




