第3場 証明
測定は疑える。だが、証明は疑えない。彼は自らの理性によって、自らの世界の終わりを論証する。
測り続けるのを、私はやめた。いくら物差しを当てても、終わりは来なかった。
けれど、終わりが来ないことは、終わりが来ないことの証明にはならない。自分の不器用さのせいかもしれない。私の手が下手なだけである可能性、目が粗いだけである可能性――もちろん、そうに違いないと思っていた。私はまだ、夜明けの弦の側にいられた。
逃げ道を塞いだのは、私自身だった。数日後、私は気づいてしまった。測るのをやめて、ただ考えればいいのだと。手ではなく、頭で。
もし一辺と対角線が比で結ばれているなら——師の言う通り、二つの数で表せるなら——その二つの数がどんなものになるか、確かめてみればいい。実際に測らなくても、そうだと仮定して、そこから何が出てくるかを追えばいい。
私は蝋板に向かい、仮定を置いた。
対角線と一辺の比は、ある二つの数で表せる。かりにそれを、これ以上は約せない、いちばん簡単な形まで約しておく。二つの数が両方とも偶数なら、まだ二で割れるはずだから、もう割れないところまで割っておく。だから少なくとも一方は、奇数だ。ここまでは、誰も文句のつけようがない。当たり前のことだ。
そこから先は、ほとんど坂を転がるようだった。
正方形の性質——対角線の上に立てた正方形は、一辺の上に立てた正方形のちょうど二つぶんになる。これは私たちが幼い頃から知っている、美しい定理だ。それを、いま置いた二つの数の言葉に翻訳する。すると、対角線をあらわす数を二乗したものが、一辺をあらわす数を二乗したものの、ちょうど二倍になる。
二倍ということは、偶数だ。だから対角線の数の二乗は偶数。そして——ある数の二乗が偶数なら、その数自身も偶数でなければならない。奇数を二乗しても、奇数にしかならないのだから。つまり、対角線をあらわす数は偶数だ。
偶数なら、二で割れる。割った半分を、別の文字で呼ぶ。それをもとの式に戻して、丁寧にほどいていく。指が震えはじめていた。ほどき終えたとき、こう出た——今度は、一辺をあらわす数の二乗が、偶数になる。ということは、一辺をあらわす数も、偶数だ。
私は蝋板を見つめた。
対角線の数は偶数。一辺の数も偶数。両方とも、偶数。
だが私は、いちばんはじめに、二つとも偶数ということはない、少なくとも一方は奇数だ、と置いたのだった。これ以上は約せないように、約しておいたのだった。なのに、両方が偶数だと出た。
ある数が、奇数であり、同時に偶数である。
そんな数は、ない。世界のどこにもない。奇数は奇数であり、偶数は偶数だ。私たちはその区別の上に、すべてを築いてきた。奇と偶、限りあるものと限りなきもの、それが世界の最初の分かれ目だった。その分かれ目が、いま、私の蝋板の上で溶けていた。
矛盾だ。仮定が、間違っていたのだ。
では、何を仮定したのか。私はただ一つ、こう仮定しただけだった——対角線と一辺は、二つの数の比で表せる、と。師がそう説き、世界がそうできていると、誰もが信じていること。それだけを置いた。そして、そこから矛盾が出た。
ということは。
対角線と一辺は、比で表せない。二つの数では、決して表せない。物差しが粗いからではない。永遠に細かくしても、見つからない。はじめから、存在しないのだ。語りえぬのだ。
これは、もう、覆らなかった。
測定なら、まだ自分を疑えた。けれど証明は疑えない。これは私の手の話ではない。私がいちばん信じてきたもの——順を追って考えれば必ず真にたどり着けるという、あの理性そのものが、世界には比で表せない長さがあると、私に告げていた。私を世界とつないでいた橋が、その橋自身の足で、向こう岸などないと証明してみせた。
私は声を上げなかった。手も叩かなかった。発見した、とは思わなかった。
目の前の蝋板に、小さな正方形が一つ、対角線を引かれて残っていた。あの、指がいつも何気なく描いていた図形。ほんの手なぐさみだったもの。それが今、こちらを見返していた。聖なる正方形の、その隅から隅へ引かれたたった一本の線の中に、世界の語りえぬものが、ずっと前から息をひそめて棲んでいた。私はそれを、自分の理性で、引きずり出してしまった。
手が震えた。
私はその震える手で、蝋板の正方形をぬぐった。対角線を、消した。指の腹で、何度も、跡が残らなくなるまで。
けれど、消えたのは蝋の上の線だけだった。一度開いた穴は、もう塞がらなかった。
ヒッパソスが用いたのは、背理法という論法です。
ある仮定のもとで正しく推論し、既知の事実と矛盾する結論が得られたのだとしたら、その仮定が誤っているのだというものです。彼はそれにより、正方形の辺と対角線の長さが、自然数の比で表しえないことを発見してしまいました。
歴史的大発見ですが、それは単なる数学的な発見というにとどまりませんでした。ピタゴラス教団の教義の根幹を揺さぶる、重大な疑義であったのです。
続く




