第六七話 Reunion after a long time.(再会)
週末の夕方。
灯は汐恩との約束を果たしに銀座に電車で享に送って貰った。
というのも割烹料亭の個室を取ったと汐恩から連絡があり、灯としても、せめてワンピースくらいは着ないとと言う雰囲気だったからだ。
「帰りはどのくらいか、分からないよね?」
「ううん、お店に六時だから八時にはお店は出る」
「その後、どこかにってならないかな?」
「なっても行かない」
「……そう……じゃ、また、ここに八時に迎えに来るけど、いい?」
「うん、お願いします」
「分かった」
「ごめんね。待たせるけど」
「大丈夫!待つのは慣れてる」
享は笑いながら銀座の街に消えて行った。
ここは銀座七丁目。
銀座中央通りと外堀通りの間にある、少し細い趣のある路地(通称・金平小路などと呼ばれる一角)にひっそりとした佇ずまいの板前割烹の浜作はあった。
暖簾をくぐり、ガラガラと引き戸を開けると、香ばしい出汁の香りと包丁がまな板を叩く心地よい音が迎え入れてくれる。
磨き抜かれた白木のカウンターの向こうで、白衣の板前が滑らかな手つきで包丁を走らせている。ガラスのネタケース越しに視線が合うと、
「いらっしゃいませ。今日はいい寒ブリが入ってますよ」と、短くも好意のこもった声が飛んできた。
「あの、予約をお願いしている者ですが」
女将と思われる上品な雰囲気の女性が声を掛けてくれる。
「いらっしゃいませ。お待ち合わせはどなた様になりますか?」
「あ、長谷部と申します」
「長谷部様のお嬢様ですね?お待ちしておりました。ただ今、ご案内させて頂きます」
灯は靴を脱ぐと揃えて置き直し、オーバーを脱ぐ。
女将は、一人の仲居と目を合わせると案内を引き継いだ。
「いらっしゃいませ。本日、お席のご案内をさせて頂きます、サエキと申します。まずはお召し物をお預かり致します。こちらにどうぞ」
オーバーを預けた後、灯は階段を上がり、仲居の静かな足取りに導かれて奥の座敷に入る。床の間に生けられた椿の花が、行灯のやわらかな光に浮き立っていた。引き戸が締められると、階下の喧騒は嘘のように遠のき、上質な畳の匂いだけが灯を包み込んだ。
掘りごたつ式の座敷。
美しく塗られた漆の座卓に汐恩だけが座椅子に座っていた。
座卓の上には三人用のお膳の用意はされている様だが、父孝一の姿はない。
「お!来たな。今、父さんは緊張してるせいか、三回目のトイレに行ってる。まあ、こっちに座りな」
上座の真ん中が父の長谷部孝一の席。
その対面の手前に汐恩は座っている。
奥の席が灯の席の様だ。
「お父さんは……どんな感じ?」
「会ってみたら分かる」
仲居に誘われて孝一が戻って来た。
静かに引き戸が閉められる。
孝一は灯を見とめて思わず声にならないくらいの驚きの表情を見せた。
「あ……」
まだ、座っていなかった灯は、父の顔を見た瞬間、身体が強張るのを感じた。
手が震える。
それに気づいた汐恩が灯の手を握りながら
「まあまあ二人とも、まずは座ろうか」
と声を掛けた。
その時、孝一が急にその場にへたり込むように膝をつくと、畳に額をすりつけるほどの土下座をした。
「灯、すまなかった!頭に傷が残ってると聞いた、俺のせいだ!本当にすまない!
汐恩は灯の顔を見ている。
灯は、嘘でも大丈夫だよ、お父さんとは言えないほど動揺をしていた。
『やっぱり怖い』
学祭の時のことなどが、また灯の心に影を残し、享が近くて遠く感じる今、言葉が出て来ない。
汐恩がそのことを察知したのか
「父さん、会っていきなりは灯だって驚くだろ。まずは座って、食事始めようよ」
「あぁ、そうだったな。すまない」
孝一が席に着いたのを見計らったかの様に、仲居が「失礼致します」と声をかけて座敷に入る。
灯の前にお茶とおしぼりが出された。
孝一はしきりにおしぼりで顔を拭いている。
それを『やったらダメなやつじゃん』と思いつつ汐恩が場を仕切る。
「料理は鯛めしを入れて貰って、あとはお任せで」
「はい、かしこまりました。お飲み物はいかがされますか?」
「浦霞を冷やで二つ、灯は?」
「……」
「オレンジジュースを一つお願いします」
仲居が立ち去ったあと、座敷は静まりかえった。
汐恩が口を開く。
「まあ、いろいろあったけど、灯は父さんに何か言うことはないのか?」
灯はそう言われて気づいた様に手元のバッグの中から、この前汐恩から渡された通帳と印鑑を座卓の孝一の前に差し出した。
「これは受け取れません」
灯の一言に驚く孝一と汐恩。
「え?」
「灯!おい、こら!何だそれ、父さんの気持ちが分かんないのかよ」
「これは、お兄ちゃんが貴方の為に頑張ったお金です。私に受け取る資格はありません」
「灯!!おい、何だ、その言い方は!父さんに向かって貴方って!」
汐恩が灯に喰ってかかるのを孝一は手で制した。
「そうだった。汐恩が頑張ってくれたお金だったな。俺が稼いだ訳じゃない」
「いや、でも父さんは自分の借金は自分で返して、全く俺の……その渡した金には手を付けずに貯金してくれてたんじゃないか!」
「それでもな……これは俺のおごりだった。こんな事でもしないと許されないことをしたと思っていたからな」
孝一がぎこちなく笑う。
「申し訳ございません」
灯は頭を下げた。
それを見た孝一は嬉しそうに目を細めながら
「灯は真っ直ぐな大人になったんだな」
そう言われた灯は顔を赤らめながら答える。
「そうでもありません」
「だよな!今、享と同棲してんだもんな!」
「ちょっと、お兄ちゃん!同棲じゃなくて、ただの間借り!」
「享って、横溝さんちのか?今、日本にいるのか?」
「失礼致します」と料理が運ばれて来て、日本酒も手元に置かれた時から、話題が出来たとばかりに汐恩が饒舌になり、数ヶ月前から現在に至るまでの灯と享の経緯を話し出した。
「……とまあ、こんなことでさ」
「とりあえず、今は心配なくなったって事なのか?」
「はあ、まあ」
灯はお料理を口に運びながら曖昧に答えながら、
『お兄ちゃんめ!覚えてろ!サッちゃんに言いつけてやるから』と心では、余計なことをと汐恩に頭に来ていた。『でもまあ、全部知ってるのはお兄ちゃんだけだもんな……仕方ないか』とも思う。
「灯は甘鯛の松笠揚げ好きだったよな?
俺の分も食べなさい」
「え?お父さんも好きだったでしょ?……あ、」
「お?ほほぉ、ははははっ!」
孝一は少し涙ぐみ、汐恩はお酒が入って笑いが止まらないらしい。
ずっと灯の心の中に巣くっていた、わだかまりは、いつの間にか少し溶かされて孝一と向き合うことが出来そうな気持ちが芽生えた。
最後の料理、鯛めしが運ばれて来て、それぞれのお椀に仲居が盛り付けをしてくれる。
温かく甘い鯛めしが、この家族のあり方を更に少しほんわかとさせたのは言うまでもない。




