第六十三話 After the kiss...…(キスの後で……)
「ん……」
灯は目を閉じて、享にされるがまま何度も何度も繰り返す優しいキスを受け入れた。
この時間が永遠ならいいのにと灯が思った瞬間、享が唇を離した。
ゆっくりと目を開ける灯。
目の前には揺れる海の色の瞳が、真っ直ぐ灯を見つめていた。
「灯……具合が悪いのに……」
「……トローチが……」
「え?」
「トローチが……邪魔……」
「……?」
目を丸くする享。
「今……なくなった」
「……あかり」
「風邪もらって……」
享は灯を抱き起こして抱きしめ直すとまたキスした。
いつの間に寝てしまったのか灯が目を覚ました時、窓の外は暗くなっていた。
「Tall?」
ベッドルームの少し開いているドアからリビングの灯が漏れている。
慌てて駆け寄る音がして、享がドアから顔を見せた。
「灯?起きた?体調は?」
「ん?あれ?ダルくない」
「喉は?」
「痛くない」
気がつくと加湿器がサイドテーブルで稼働中で、水蒸気がバンバン出ていた。
「これのお陰?……それともTall……?」
「僕はこの通り元気そのもの!むしろ、灯の風邪を吹っ飛ばしてエネルギー注入されたって感じ、かな?」
真っ赤な顔した灯を見ながら、享が照れ笑いした。
「寝汗はかいてたみたいだからお風呂入って汗流す?」
「あ、そうだね。お風呂入ってさっぱりしたいかも」
「今、夕飯作ってるから、入って来たら?」
「有難、そうさせて貰うね」
享がベッドルームとして使っていた部屋は、本当にベッド以外置いていなかった。
享が使っているのはシモンズのクイーンサイズのベッドをリビング側に面した壁からサイドテーブルを置けるくらい離して南を頭にして置かれている。
足元に当たる先にリビングに出るドアと廊下に出るドアが少し間を開けて並んでいる。
その部屋をそのまま灯に使っていいと言われた。
二面窓、一つは南側にベッドから少し離れたところに掃き出し窓、もう一つは西側に腰窓。
その腰窓の前に猫脚の可愛い机と椅子が置いてあり、小さな三面鏡が扉を閉じて乗っていた。
椅子にはいつもの大学に行く時のDバッグが置かれている。
そして、その横に高さ一メートルほどの机と同じような雰囲気のチェストが置かれている。
こちらは上から一段目は二つ引き出し、下四段は横長引き出しになっていた。
その手前に、灯の大きなトランクケースと小物を入れた段ボール箱が一つ置かれていた。
『あ、そか。引越ししたんだっけ……荷物出さないと……この家具使っていいのかな?』
トランクを開けるガタガタ音を聞きつけて、享が戻って来た。
「あ、そうだった。その家具は灯用だから自由に使ってね」
「わざわざ用意してくれたの?」
「可愛いヤツをね」
「有難う。本当可愛い……使うのが勿体無いくらい」
「ちゃんと使って」
享が笑う。
「ジャケットとか、コートは玄関横の扉を開けると掛けられるから、預かるよ」
「あ、うん。じゃ、とりあえず、これ」
「二着?」
「真冬が来る前には、オーバー取りに行こうと思ってた。あぁ今日実家から持って来れば良かった」
「あ、そうだね。早めに取りに……って言うか、僕のダッフル着ない?」
「え?Tallの?大き過ぎるでしょ?」
「今、持って来る!」
「え?」
享は廊下のクローゼットの奥から、丁寧に管理されていたと思われる紺色のダッフルコートを持って来た。
「これ」
「可愛い、裏地がタータンチェック?」
「うん、|Black Watchって言ってね、伝統的なScotlandのタータンチェックなんだよ」
灯はダッフルに腕を通す。
「え?ぴったり?まさか、また買ったんじゃないよね?」
「違う違う!これも、この前の靴下と一緒。ただ違うのは、おじいちゃんの行きつけの仕立て屋さんで、初めての冬の前に仕立てて貰ったダッフル」
「小六のTallと同じくらいなんだ……私。それにしても、新しいみたいなんだけど」
「実はさ、次の年には、ちょっとデカくなり始めてて、もう着られなかったんだよね」
「え?背が伸びたってこと?」
「そうそう、それで1シーズン着たか着ないかで、お蔵入り。でもせっかくおじいちゃんが仕立ててくれた服だから……日本に来る時にお守り代わりに持って来たんだ」
「お守りなのに、私が着ていいの?」
「うん。灯のことを守ってくれると思うから、むしろ着て欲しい」
「有難う。享のおじいちゃんも……有難うございます」
灯がダッフルコートに触れながら言うと享が嬉しそうに笑った。
「とりあえず夏冬の普段着は入れ替え終わってるの?」
「寮の部屋、一人部屋って言っても狭くて、あまり余計なもの置いておけなかったから涼しくなって来た時、すぐに入れ替えた……けど、このチェストだったら私の服全部入るかも……」
「灯、ちっさいから荷物も少ないの?それにしても少な過ぎない?」
「ちっさいは余計なお世話!ちょっと服出すから、出てって」
笑いながら「ごめん」を繰り返す享の背中を押してドアから出すのに、プンプンしてるフリをしながらも楽しいと思う灯。
この後、寒くもないのに享のお下がりのダッフルコートを着たまま、荷物整理をした灯だった。
「お先にお風呂有難う。お湯換える?」
「あ、僕シャワー派だから、灯さえ良ければ、明日、沸かし直しでもう一日使って貰える?」
「うん、もちろん!一人なら二日に一回でも贅沢なくらい。有難う、Tall」
「夕飯の支度はできたけど、先に髪を乾かそう」
「自分でやるよ。ドライヤー貸して下さい」
「ダメ、適当に乾かすから」
「でも、お腹も空いてるんだけど……」
「それでも、はいここ」
またソファに座らされた灯だった。
※Black Watch
特徴: 濃紺、ダークグリーン、黒で構成された伝統的なスコットランドのタータンチェック。




