第六十話 Two awkward people.(ドギマギする二人)
リビングダイニングのテーブルの椅子に腰掛けてボンヤリしている頬杖をついていた灯。
ベッドルームのドアをちょっと開けると享が話しかけて来た。
「灯、いい?」
「え、あ。あ、うん」
享が灯の対面に座ると二人とも同時に声を発した。
「「さっきはごめん!」」
灯の方が先に言う。
「ノックもしなかったから……」
「いや、言い訳じゃないけど……ちょっと力が出なくてモタモタして……恥ずかしい姿、見せてごめん」
「恥ずかしい?」
『あんなカッコいい身体してると思わなかったんだけどっ!!』灯の方が身長も高い方ではなく、華奢な身体つき、むしろ子供体型で恥ずかしいと思っていた。享は鍛えているのが丸わかりの筋肉質だ。
「女の子に見せちゃダメでしょ?」
「あ、うん……ちょっと、びっくりした」
「ごめん」
頬杖を外して、そのままテーブルの上に前に下ろしていた灯の両手を、享が両手を伸ばして、その上に重ね合わせ、握りしめた。
享は俯いたまま
「でもね、さっきの……」
「さっき?」
「……キスはどう言う意味?」
灯は固まった。
『そうだった!弱って、いつものTallじゃなかったから、つい……母性本能みたいな?ワタシが風邪貰ったら……ううん、違う……したかった……キスしたくて……』
「本当に風邪移ってもいいなら、もっと欲しいんだけど」
「え?」
思わず享の顔を見つめる灯。
享が立ち上がって、灯の横に膝まづくと享を少し見下ろす感じになった。
握りしめたままの灯の右手に、優しくキスする、
「……お腹空いてるんだよね?」
「後で」
「でも……」
享は片足だけ膝立になる。
右手を灯の座っている椅子の背もたれに右手を掛けると、灯の頬に左手を添えて、端正な顔を傾けて近づけて来た。
その時。
いきなりドアホンが鳴った。
享は内心『Goddamn』と思いながら、立ち上がり、このマンションの入り口に通じるドアホンの受話器を取った。
「どちら様ですか?……あ、はい、どうぞ!」
灯がおずおずと享に尋ねる、
「誰?私いてもいいの?」
「もちろん、誰が来ても大丈夫なんだけど……汐恩さんだから」
享はニコリと笑った。
灯は玉子粥を温め直しながら、対面キッチンから汐恩の顔をガン見していた。
「悪かったよ。享が具合が悪いと思わなかったから……でも、早く知らせたいことがあって」
心なしか、汐恩の口調がいつもより穏やかに聞こえる。
そこに灯が、享のために小さな土鍋のまま玉子粥を持って来て、お椀に盛りつけ、レンゲを添えて享の前に差し出した。
汐恩の前には湯呑みで緑茶を置く。
灯は享に向かって言う。
「食べて」
しかし享は汐恩に向かい、申し訳なさそうに尋ねた。
「すみません。さっき目が覚めて、お腹が空いてて食べながらでも大丈夫ですか?」
「もちろんだよ。こっちこそ、ごめんな、前触れもなく押しかけて。本当申し訳ない」
「あ、いえ。こちらこそ。では、すみませんが失礼します」
享は熱々の玉子粥を少しずつ食べ始めた。
「熱いから気をつけてね」
横から灯が声を掛けた。
「じゃ、勝手に話すから耳だけ貸してくれ」
「あ、はい」
「俺、ホスト辞めることにした。大学受験する」
「「え!!?」」
二人同時に驚く。
「幸子と付き合うには、真っ当な人間にならないと
ご両親に許して貰えないから。まずは大学受験して勉強し直すことにした」
まともな話をしている汐恩を不思議な気持ちで聞いているも、急に灯が大声を出した。
「え!!サッちゃんとお付き合いするの?」
「この前、お前達がお膳立てしてくれて、改めて幸子と話が出来て本当に良かった。有難う」
「僕はお二人はお似合いだと思ってました」
「本当、享には敵わないな。幸子も驚いてたよ」
灯は口を挟む様に声を発した。
「ちなみに何、勉強するの?」
「医者になる」
「え!?」
「確かに難しいかもしれないけど、高校時代、実は授業は理系で単位を取ってた。当時付き合ってた幸子んち病院だから真面目に考えてた時期もあって……まあ、進学する金がなかったし、国立目指せるほどの成績でもなかったから無理だったんだけどな」
「そうすると……失礼ながら授業料はどうされるんですか?もし、何かお手伝いして宜しければ父に相談しますが」
享が提案する。
「いやいや、あのさ、俺を何だと思ってんの?」
「何って?」
「新宿のNo.1ですよね」
「そうそう、それ!で、まずはこれ」
汐恩が灯に通帳と印鑑を差し出した。
「何?これ」
「父さんから、灯に」
「何で?」
「家売った金は借金と事務員さんへの退職金でなくなったらしいけど、当時、実はまだ借金が残ってて生活自体は結構しんどかったんだよな。だから俺なりに考えて、世の中で一番簡単に稼ぐことが出来る仕事について、少しでも借金を返す手伝いをしたかった」
「そうだったの。何も知らなくて、ごめんなさい」
「いやいや、灯はまだ小学生だし、俺だって高校卒業する時に考えついたことだし……」
「でも、どうして私名義の通帳なんて」
「父さんはお前の養育費を母さんの口座に送金してたんだけど、必ず返金されて、そのうち口座を解約されて送金自体出来なくなった」
「知らなかった」
「母さんはさ、それを借金返済に当てて欲しかったらしい。灯のことは自分で何とかするって思ってたって、この前聞いた」
「お母さんもお父さんのこと心配はしてたもの」
「そこでだ!俺が稼いで父さんに借金返済の為に渡してた金を使わずに、何と父さんは俺ら名義で貯金してたらしい。何だか、今、仕事も順調なんだと、だから、お前達が使えって」
「それがこれなの?」
「そう言うこと。俺がホスト辞めて大学受験するって言ったら、渡された」
「じゃ、お兄ちゃんが使えばいいじゃない」
「いやいや、これは父さんに灯と最近会う様になったって言ったら託されてお前に渡しにきたんだから受け取ってくれないと困るって」
「お兄ちゃんこそ医大ってお金かかるでしょ?」
「俺は、今、ちょっと贅沢な暮らししてるから、それを整理するつもりだし、自分でも貯金もしてたから、父さんが貯めててくれた分がなくても医大に行ってもオツリが来るくらいはある」
「え?まさかぁ」
「マジだ」
「……ホストって……年収いくらなわけ?」
「お前の通帳の金額は、最初の頃はそこまで渡せなかったから一年分あるかないか?くらいかな。それでも伊達に二年目からNo.1を名乗ってたわけじゃじゃないんだよ。これでもさ」
灯はちょっと通帳を覗いてみた。
毎月小まめに入金されており、その額もさることながら、最後の記帳の金額は口に出せないほどの金額だった。
「何だ?これ?どうやって使えって言うの?」
「崇さんに学費返せば?」
「あぁ、そうだね。たっちゃんのこともまだまだかかるもんね……それでも、貰いすぎじゃない?」
「まあ、とにかく、父さんはさ、お前に悪いことしたって思ってるから、そのうち気が向いたらでいいから会ってやってくれないか?」
「……考えておく」
「その時は俺がセッティングして立ち会うから、心配すること何もないからな」
「分かった、有難う。お兄ちゃん」
「じゃ、俺、帰るな。享、本当にごめんな、体調悪い時に来ちゃって」
「いえいえ、嬉しいご報告を聞かせて頂いて、むしろ家にいたんで良かったです」
「あ、そうか!大学行ってる時間ってこともあったのか!俺、やっぱりズレてんな。そう言うの気をつけないとだな!」
汐恩が帰る時、享がわざわざ上着を着てまでマンションの出口まで送って行くというのを、灯は不服そうにしていたが、まだ何か男同士の話でもあるのだろうと止めはしなかった。
エレベーターの中で享が口を開く。
「汐恩さん、そう言えばこの前、上客がついたって話ありましたよね?」
「あー、うん。まあお客様の話しはしちゃいけないんだけど、ワガママなお嬢様って感じかな」
「お若い方も来るんですね」
「たまに本当の金持ち娘がな」
「へぇ……今日はわざわざご報告有難うございました!もし、また何が出来ることがあったら、言って下さい!」
「有難うな、じゃ、享も大事にな!灯を泣かせんなよ」
そう笑って汐恩はマンションのドアから出て行った。




