第百十六話 My heart belongs to you, now and forever.(愛してる)
朝、享の部屋の前。
灯は一度大きく深呼吸をすると、ドアに鍵を差し込み静かに回して鍵を開けた。
中に入ると、享の靴がない。
慌てて中に入る灯。
「Tall?」
名前を呼びながら、あちこちのドアを開けるもどこにも享の姿はなかった。
玄関に近い享が使っていた部屋のものは何もない。
食器棚には、享が必ず使っていてというものは紺色のマグカップしか残されていなかった。
ソファの前のテーブルに封筒が一つ。
そして多分大学の講義分のノートや資料の山。
封筒の宛名はもちろん"灯"。
ソファに座ると灯は封筒を開いて便箋を出す。
そこには享の想いが綴られていた。
灯へ
いつ、これを読んでくれてるのだろう。
出来れば、朝なら嬉しい。
昨日のメモ見てくれたんだね。
まさか洸平のところに行ってるなんて、してやられたな。
自分のこと、灯に対してだけは策士だと思ってたけど、本当の策士は灯だった。
僕のことを一番分かってくれてるのも灯だ。
これから先も本当に心から一緒にいたいのも灯しかいない。
でもこの後のStageの為に僕は一度帰国しない訳には行かない。
Granmaの具合が悪くて一時帰国した時、日本の大学を卒業するまでの二年で何が出来るのか考えた。
今までの二年間と、次の二年間、多分あまり変わり映えはしないとしか思えなかった。
灯探しを諦めかけてた僕は、その時Law schoolの試験を受けた。
Dadと同じ様に弁護士になりたかった。
なのに日本に戻って来たら、灯がすぐ目の前にいた。
灯をどうしても振り向かせたかったけれど、灯自身の気持ちが優先だと言うことも分かっていた。だから、見守った。
その時、Law schoolの入校期限を先延ばしにした。
それでも時間は有限だ。
僕は欲深い人間だと言うことが、灯と一緒にいてよく分かったよ。
子供の頃の気持ちが変わらないままと思い込んでいたけど、そうではなく灯に、また恋をした。
初めての気持ちは痛かった。
灯が僕と同じ熱を持ってくれるのを待つ間に、僕のせいで怖い目に何度も合わせてしまった。
ごめん。
今までのことは謝って済むことじゃない。
それも分かってる。
でも、今回は僕は謝らない。
灯の意思は尊重する。
だけど僕の気持ちも知って欲しい。
この後の人生を共にしたいのは灯だけ。
灯以外考えられない。
その為にも僕はLaw schoolで法律を学んで、灯を迎える準備をしたい。
灯が僕の祖国に来るのが怖い気持ちは、よく分かる。実際、僕もそうだったから。
見た目はAmericanでも、日本名を名乗るとJap※1と呼ばれることもあった。
でも、その時に思い出すのは、いつも君の事だった。
「Tall、辛い時や悲しい時はIce creamだよ」
どれだけIceを食べたか分からないよ。
灯を思い出してもIce、Japと呼ばれてもIce、でも僕にはまた灯に会うという希望もあった。
そこからはむしろ、その気持ちを勉強する事に打ち込む事に切り替えた。
Granpa元々Harvardの大学教授をしてた人で、様々な考えを教えることが上手な人だった。
英語はGranpaとGranmaが会話の中から教えてくれて興味のあることを伸ばしてくれた。
むしろ日本の大学受験の為に、日本語の家庭教師に日本の言葉を覚え直しさせられた時の方が厳しかった。
日本語の漢字、平仮名、カタカナ表記は複雑だと思えた。
漢文・古文も何が何だか分からないし、歴史については覚えていても、それを日本語でと言われると、どう表記、表現するかが課題に。
現国に及んでは、日本の代表的な作家の持つ言葉の意味にまで言及され、その表現力をどう自分の言葉で現すものか。
とにかく、自分の中のQuarterの日本人に期待するしかなかった。
それでもDadの卒業校を選んでくれたDadと灯には感謝しかない。
同じ時を過ごせるって本当に幸せなんだと心から思った。
僕は寝るのも惜しくて、一晩中、灯の寝顔を見ていたこともあった。
二年後、今度は必ず本当に迎え来る。
もう、どこにも行かないで、その時まで、この部屋を使って欲しい。
国家レベルの対策をする人達に恩を売っておいたから、Securityも万全だ。
大学への行き帰りは必ず相棒を使うこと!
但し、安全運転でね、
そうじゃないと、何の為に免許を取らせたか分からないから。
出来たら他の人を見ないで欲しい。
出来たらで。
いや、やっぱり僕だけを信じて想って待ってて欲しい。
まずは今日の午後5時、成田の11番Gateで待ってる。
必ず来てくれると信じてるよ。
Tall
灯は涙が止まらなかった。
享は何故今ここにいないの?
どうして会って話ができないの?
成田にはどうやって行けばいいの?
分からないことばかり……
しばらくそのままソファに埋まって泣いていた灯。
すごすごと立ち上がると、三日間の汚れを落とす為にお風呂に入る事にした。
考えよう。後半日以上ある。
とにかく成田に行けば何とかなるはず。
ところがお風呂でゆっくりした灯は、ほとんど洸平の部屋では寝ておらず疲れが出たのか、タオルを巻いて出て来て、そのまま髪も乾かさずにベッドに倒れ込み眠ってしまった。
最大のピンチ!
時間は刻々と過ぎて行く。
午後に差し掛かってしまうも、まだ灯は目が覚めなかった。
搭乗手続き二時間前には見送りの人も成田空港には辿り着いていないと、駅でも検問、空港でも検問と、出発便に間に合わない可能性もあるのだ。
午後一時、インターホンが鳴る。
何回も何回も鳴っている。
灯は「え?」と思いつつ、ベッドから這い上がるとインターホンに話しかける。
「はい?」
「あ!灯!ちょっと何してんだ!まだいたのか!何度も電話したのに!来てみて良かったぜ」
「え?、あ!もうこんな時間!」
「今すぐ降りて来い!成田行くぞ!」
声の主は汐恩だった。
灯は慌てて着替えて、支度をしてエントランスまで降りて行った。
「身分証明書はある?」
「学生証と免許持った」
「三日も雲隠れしておいて寝ちゃったのかよ」
「久しぶりにお風呂入ったら、ぐったりしちゃって」
「とにかく乗れ!」
汐恩の本当は売却していなかった真っ赤なポルシェが、この時ばかりはマッハGoGoGoのマッハ号※2 に見えた。
車の中で灯は享の本心を知る。
部屋で灯に会ってしまったら自国に帰国すると言う気持ちが揺らぎかねないから、会わないと言う決断をしたと汐恩から聞かされた。
マッハ号でも渋滞には勝てない。
都内を抜けるまでに時間がかかり、成田空港の検問にも時間を取られ焦らされる。
とにかく辿り着いた時、時刻は搭乗手続きが始まる時刻になっていた。
「おい、俺はここまで」
「え?」
「恋人同士の別れに付き合うほど、野暮なヤツじゃない。ここで待ってるから行って、思いの丈を吐き出してこい」
「有難う、お兄ちゃん!行ってくる」
「おう、享にヨロシクな」
灯は北ウイングを11番ゲートを目指して走り出した。
灯が息を切らして11番ゲートに辿り着いた時には、既に搭乗手続きは終わっていた。
地上旅客係申し訳なさそうにそう告げる。
『……灯のバカ、意地を張ったばっかりに』
灯が泣き始めた時、地上旅客係が、
「お探しは横溝享様でございますよね?」
と確認して来た。
灯が答える。
「はい」
「もしかしたらではありますが、こちらに!」
どうやら席順リストを確認してくれての誘導だったらしい。
ロビーの全面ガラス張りの窓に誘導される。
「有難うございます」
「お顔だけでもお見えになる様にお祈り申し上げます」
と、親切な地上旅客係は立ち去った。
真横に享が乗っている機体はゲートに横付けされていたが、ランウェイに移動するために少しずつ向きを変え始めた時だった。
小さい丸窓が一つだけ閉まったり開いたりしている。
窓をお閉め下さいと言う客室乗務員との抗争中か?
「Tall?」
そして、次に開いた時に窓から享の顔が見えた。
享は灯と目が合った事を確信したのか、元々用意してあったと思われる紙いっぱいに書いてある文字を見せた。
"灯 愛してる"
「私もだよ、Tall!」
泣きながら、頷く灯の顔を見て満足気な顔の享。
灯は機体と一緒に移動し、二人は見つめ合うも、少しずつ離れて享の顔は見えなくなった。
※1 Jap
1970年代、戦後の傷痕を残しつつも「日本の経済的台頭」と「サブカルチャーのカウンター精神」が交差し、「Jap」という言葉が持つ毒性とインパクトが多角的に表面化した時代だが、ここでは差別用語。
※2 マッハGoGoGo
タツノコプロが制作し、1967年(昭和42年)に放送された金字塔的レーシングアニメ作品。
マッハ号は真っ赤な車ではなく白いボディに赤でフロントにMの文字、シートが赤。




