第百十五話 Easier to lose than to find.(見つからない)
洸平がドアをトントトンと叩く。
灯が中から、ドアチェーン越しにドアをそろりと開けて一度閉めてチェーンを外すとドアを開けた。
玄関に靴も脱がすに座っている灯の隣に洸平が座る。
「灯ちゃん、とにかく一度享と話しなよ」
「すみません、無理です」
「明日、立っちゃうんだよ。分かってる?また、しばらく会えないのに」
「それでも……享との約束は守れないし……何の話も出来ないから」
灯は、あの踊り場で享と別れた後、洸平さんの部屋に身を寄せていた。
頭が切れるからこそ享は、むしろ普通に考えて灯の友人関係か、家族のところに身を寄せると考えるはずと灯は思った。
ものの見事に灯の灯台下暗し作戦は的中、しかも男性である洸平には享はコンタクトを取らなかった。
「洸平さん、本当に申し訳ないですけど、後半日だけ、ここにいさせて下さい」
「ここって玄関に?」
「あ、おトイレはお借りしちゃってますが、他は入ってないんで」
「遠慮しないで中に入っていいのに……それに俺が持って来てる食べ物も、ほとんど食べてないよね?何か食べなよ」
「すみません。お気遣い有難うございます。でも食欲が……」
「そんなに享のこと好きって事なんだろ?」
「……」
「自分の気持ちをきちんと吐き出した方がいいって」
「私は……確かにTallのこと、ずっとずっと忘れられなかったし、これからも忘れられないと思います。でも、だからと言って一緒にアメリカに行くほどの勇気がないんです」
「それって何で?」
「え?」
「言葉の壁とか、考え方の違いとか?人種差別とか?」
「……それもありますけど……家族と離れるのが一番辛いです」
「もし、辛いからって享との事、諦めたら、むしろ家族の方が辛いんじゃない?」
「……え?」
「家族ってのはさ、遠くにいてもお互い思いやれるのが家族なんじゃない?多分、灯ちゃんの幸せを一番願ってるのも家族。灯ちゃんが一番嬉しいとか楽しいとか思っている事をしてるのを一番嬉しいと思うのが家族だと思うよ」
その時、灯の頭に浮かんだのは、"元町でクロスをくれた天使のママ"の言葉。
“あなたの思う様にしていい。家族はあなたの幸せを願ってるから"
そして千紗子の言葉。
"あなたの願いが、私達の願い"
『あぁ、そう言う事か……お母さんもそう言ってた。天使のママも、そのご家族もそう思っていたからアメリカの人と結婚したんだ』
「それに享は今すぐ一緒に行こうとは言ってないよね?二年後に迎えに来るって言ったんでしょ?その間に、灯ちゃんも出来ることあるはず。英会話教室に通うとか、ネイティブの友達作るとか」
「洸平さん有難うございます。それは……私も考えなかった訳じゃないんです。でも今は本当に享と会いたくないんです。会ったら一緒にいたいと思ってしまうから……」
「ん、分かった。じゃ、まあ、とにかく何か食べなよ」
「はい」
「帰る時、鍵はドアポストに入れて貰えば、いいからね。じゃ、俺は仕事に戻るね」
立ち上がった洸平がドアを開けた時、灯が言った。
「このお礼はいずれ……寛大な彼女さんにも宜しくお伝え下さい」
「うん、お礼はともかく……まあ彼女は大丈夫。むしろ心配して、灯ちゃんのこと預かろうか?って言ってるくらいだから」
灯も立ち上がってお辞儀をしながら
「本当にすみません」
と、洸平を送り出した。
仕事場に戻った洸平の目の前に、何日も眠ってないかの様な灯と同じ顔をした享が立っていた。
何事もない様に洸平の方から声を掛けた。
「よぅ!」
「洸平、灯に会ってない?」
『今頃来るとは本当に灯台下暗し』と、洸平は思いつつ享に聞く。
「なんだよ、いきなり。アメリカに帰る直前にケンカか?」
「ケンカじゃない。拒否だ」
「拒否?」
「子供の頃の約束を思い出してくれたら、改めて結婚を申し込もうと思って……SEXも我慢したのに」
「え?一体いつの時代の話なんだ?とにかく、だから早く話せって言っただろーが」
「とにかく灯に嫌われない様に必死だったのに、ここに来て、話す前に先に情報を流された」
「そうか」
「……洸平?」
「ん?」
「何か知ってるよな!?」
「いや知らないって」
洸平は享と目を合わせられなかった。
「ごめん……俺の部屋の玄関にずっと座ってる」
「何で教えてくれなかったんだ!探してるの知ってただろ!」
「灯ちゃんの気持ち優先だ」
「まさか一緒の部屋に……」
「まさか違う!俺は彼女んちに泊まってる」
享の血走った目には差し迫るものを感じさせて、今にも殴られるのかと洸平は怯えた。
美容院のオーナーが声を掛ける。
「洸平、もう上がっていいから、話の続きは外でしてくれる?」
「あ、はい。すんません!」
享もオーナーに謝ると二人で外に出た。
店の隣の階段を上がった左側が洸平の部屋だ。
この上に灯がいると思うだけで享の気持ちは騒がしい。
「俺としては話し合った方がいいって灯ちゃんにずっと言ってたんだけどな。家族と離れたくないって言うからさ」
「それは言ってた」
「でも家族は、きっと灯ちゃんの幸せを願ってるはずだから、灯ちゃんが我慢することはないんじゃない?とも話したら……元町の天使がどうとか呟いてた」
「あ!」
享が階段を駆け上る。
「おい!いきなり大丈夫なのかよ!……知らねーぞ、どうなっても」
洸平の部屋の前。
享は小さくトントントンと三回ノックした。
灯はその音に享だと気づく。
「洸平?いる?」
「……」
『洸平さんは仕事中だから、分かってて私に話してる』
「寝てるんのかな?明日の飛行機のこと、教えておきたくて……メモをポストに入れておくから見送りに来て欲しい。洸平だけにしか教えないから絶対に来て」
『ドアの外にTallがいる……もう、会えないかもしれない……開けたらTallがいる……』
そう思いつつも灯にはドアを開ける勇気はなかった。
立ち去る音がした。
階段をゆっくり降りて行く。
今なら、今ならまだ……追いかければ、享のマンションに行けば会える。
灯は享がドアポストに入れて行ったメモを取り出す。
"成田第一ターミナル、北ウイング11番ゲート
パンナム※ 002便 17時発"
「夕方だ……でも見送りも二時間くらい前には着かないと……いやいや、行かない。でも部屋の鍵預かったままだし……私の荷物はどうしたかな?そうだった……あの時の貨物保険って、享の荷物の保険だったんだ」
とりあえず、明日の朝には一度享のマンションに話し合う為に戻ろうと思った灯だった。




