第百九話 True lovebirds.(本当の恋人同士)
享は灯の頬に優しく口づけをした。
灯はそっと目を閉じる。
少し戸惑う様な気配の後、灯の唇を享が塞ぐ様なキスをする。
お互いを確かめ合う様な口づけ。
どれほどの時間が経ったのか……長い様な短い様な……様々な想いが二人の脳裏を駆け巡る。
いつの間にか灯は享の首に腕を絡ませていた。
享は少し痩せた灯の身体を抱き寄せる。
享の口づけが少しずつ下がり、首筋、鎖骨を移動していく。
灯は自分の鼓動がうるさいことが、何故なのか分からない。
「ん……」
声にならない声に騒ぐ気持ちが恥ずかしい。
享の大きな手が灯の胸元を探る。
灯が身体を遠慮がちによじったところで、享が彼女を抱き上げるとベッドに、キスを続けたまま運んだ。
お互い何も喋らないまま、繰り返す甘くも激しい口づけ。
灯が目覚めなかった二週間、歩けずリハビリに励んだ、もどかしい二ヶ月近くの入院生活の中では、近くにいても、ただただ距離を感じる時間だった。
享は自問自答を繰り返す。
『灯は約束を思い出していないのに……いいのか?僕は灯をどうしたいんだ?愛していると言うだけで、今のこのタイミングで抱いていいのか?』
だが、抑えられない衝動が身体中を駆け巡る。
灯は享にされるがままになっていた。
灯の服のボタンを一つ一つ外しながら、享の頭の中は、まだ自問自答を繰り返していた。
享は身体を起こす。
「やっぱり出来ない……ごめん、灯……僕は最低な奴だ」
と、呟いた。
ところが灯からは何の反応も無かった。
「……」
「……病み上がりなのに……本当にごめん」
享は灯のあどけない寝顔に謝った。
翌日、灯は、何かに驚いた様に飛び起きた。
『あれ……あの後、どうしたんだっけ……って言うか……え!?……え!?』
享がリビング側のドアの横にもたれるように立っていた。
「Tall……あの……私……」
「ん?」
「昨日……」
「おはよう」
「え?」
「昨日は本当に疲れてたんだね。ずっと寝たままだったから夕飯も起こせなかったんだけど、もういい加減お腹空いたでしょ?朝ごはんにしない?」
「あ……うん」
「じゃ、はい」
享が立ち上がりの手伝いをしてくれ様として、腕を差し出す。
灯は享の首に抱きついた。
「ごめんなさい」
「どうしたの?何で謝るの?」
「昨日、Tallのこと放って置いて……私寝ちゃったよね?」
「え?……まあ、帰って来てから、ずっと寝てたけど……病み上がりだもん。久しぶり外に出たんだし疲れが出たんだよね」
「え?違う、そうじゃなくて……」
「え?そうじゃないの?」
「え?あの……えっと」
「あ、パーティーなんかして、それも疲れさせちゃったよなぁ。こっちこそごめん」
『夕べのこと』を灯は聞き返さずにいられなかった。
「だって昨日の夜、私達、その……本当の恋人同士がすることしようとしたよね?」
「え?」
「でも私が寝ちゃって……」
「灯、夢でも見たんじゃない」
「?」
「欲求不満?」
笑いながら享が灯を立たせて囁く。
その言葉に灯は一気に動揺して、
「そんな訳ない!だって……」
灯の身体が覚えてる享の優しくも激しい口づけ。
だが、その当の本人は、それをかわす様に否定する。
「いくら何でも、病み上がりの体力のない子に、そんなことしないよ」
「え?……」
『ごめん、灯。昨日の僕は本当に最低だった……病み上がりで心が弱っているのにつけ込むような事をした。謝るのは僕の方だ。だけど、今回だけは……夢の中の出来事にさせて欲しい』
「さあ、ご飯にしよう」
灯は明るく振る舞う享に壁を感じて一抹の不安を覚えた。
その日一日だけは、部屋でゆっくりして明日から大学に復帰する!が灯の立てた予定だった。
十分、拘束のない時間を過ごした二人。
ただ時間が経つのは早い。
もう夜、灯がお風呂から上がると、享はダイニングテーブルに英語で書かれた沢山の資料に目を通していた。
「Tall、お風呂お先に有難う」
「ん、じゃ、髪乾かそっか」
「うん」
享が少しずらして隠した時にチラッと見えた書類には"Cargo Insurance"の文字が見えた。
『インシュランス?貨物保険?……何を輸送するのかな?』灯はその書類が何を意味するのかを、その時、享に聞かずに後悔することになる。
二ヶ月前に時を戻した二人。
享が灯の髪を乾かす間、時折、灯が享に小鳥のようなキスをする。
「もう、ちゃんと乾かさせて」
「いや」
「何で?」
「……だって、一緒にいられて嬉しいから」
また振り向いてキス。
「灯」
「何?」
灯が振り向いた時にドライヤーで冷風を浴びせる享。
「きゃ!」
「ちゃんとしないからだよ」
享はドライヤーを止めると灯をそのまま背後から抱きしめた。
「明日から本当にもう大学に行く?」
享の巻きついた腕を両手でそっと押さえるように
「行くよ」
「怖くない?」
「怖くないよ、だってTallが送り迎えしてくれるでしょ?」
むしろ、怪我をしたことで一緒にいてもおかしくない大義名分が出来た。
それは享にとっては、どちらかと言えば不幸中の幸いだ。
「もちろん、いつも側にいる」
「本当に?」
「本当だよ」
「おでこの約束出来る?」
「出来るよ!こっち向いて」
享は灯を自分の方に向かせるとおでことおでこをくっつけて囁く。
「いつも灯の側にいます。本当です」
「本当に本当に本当ですか?」
「本当に本当に本当です」
「ふふ……」
おでこをつけたまま笑い合う二人。
その時、灯がふと口にした。
「そう言えば……昨日は白河先輩は来てなかったよね?」
「え?」
「だって、事故の時お世話になった人と、お見舞いに来てくれた人を呼んでくれたんだよね?」
「そうだよ」
「白河先輩もお見舞いに来てくれたのに……」
享はおでこを離すと
「白河さんには、お忙しいみたいで断られたんだよね」
「そうだったんだ」
「うん」
「へぇ……」
実は昨日、灯は福ちゃんから白河先輩はこの集まりに声を掛けられていないらしく、とても残念がっていたと耳打ちされていた。
『Tall、何、隠してんの?』何だかモヤモヤする。
灯は、また享との距離が離れた気がしてならなかった。




