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翌日。朝食を済ませたアランは、浮き浮きとした気分で出かける準備をしていた。うっかり気を抜くと、つい口元が緩んできてしまいそうになる。初めて触れた彼女の唇は、想像していたよりもずっと柔らかく、甘かった。
(ルイーズの驚いた顔……すごく可愛かったな)
美しく聡明な、そして誰よりも愛おしい少女のファーストキスを奪えたことに、アランはこの上ない喜びを感じていた。……もちろん、この先の全てのキスも誰にも譲るつもりはないけれど。
王城は公にしたくないようだが、東の国からルイーズを皇帝の妃として迎えたいという申し出があったと、宰相である父親から聞いた。なんでも、先代の巫女姫インホアの子孫であるルイーズは、約100年ぶりに誕生した巫女姫かもしれないのだという。東の国での巫女姫信仰はかなりのもので、下手をすると戦争を仕掛けてきてもおかしくないほどの最重要事項なのだそうだ。
「まさに、傾国の美女ならぬ傾国の美少女だな。……どうする、アラン?今ならまだ辞退することができるぞ」
そう言ってニヤニヤと自分を見る父親の顔を思い出しただけで、胸の奥をチリチリと焦がされるような感覚がする。得体の知れない大国を敵に回すほどの度胸があるのかと問われているのが分かった上で、アランは何事も無いような涼しい顔で答えた。
「彼女が得難い存在なのは、初めから分かっていたことです。なんと言ってもこの僕が惚れ込んだ女性なんですから」
「では、このまま婚約の話を進めて良いのだな?」
「もちろんです。それ以外の選択肢などあり得ません」
出会った時から、ルイーズは自分にとって特別な存在だった。彼女への想いは、今までもそしてこれからもずっと変わらない。変わったのはむしろ、彼女を取り巻く周りの環境の方だ。アランにとってはルイーズが王女だろうと、伝説の巫女姫だろうと、何ら違いはない。
揺るぎのない強い瞳で言い切った息子を見て、ロッシュブール公爵が満足そうに目を細めた。
「よかろう。……くれぐれも、気をつけるんだぞ」
「ええ。言われずとも」
このようなやり取りを交わしたのが、約2ヶ月前。それから1ヶ月後にルイーズとの婚約内定が発表された。東の国の話はルイーズ自身も聞いているらしく、馬車での移動中は何処か気を張っているように見受けられた。彼女の昨晩の発言も、自分が狙われるかもしれないという可能性を念頭においていることは容易に想像できた。
(オルセー侯爵令嬢がやけに大人しいのも、なんだか引っかかる)
先日の誕生パーティー以来、オルセー侯爵家のマヌエラとは顔を合わせていない。今まで3日と空けずに届いていた彼女からの手紙は、ルイーズとの婚約発表以来パッタリと来なくなった。あのような怪しげな薬を使おうとするほど自分に執着していた彼女が急に鳴りを潜めたことが、とても不気味に感じられる。
ローランには「正式に王女殿下との婚約が内定して、さすがに諦めたんじゃないのか?」などと言われたが、アランはとてもそこまで楽観視できなかった。例のオルセー侯爵家の使用人によく似た男をロッシュブール公爵領で目撃したとの報告を受けたこともあり、アランは領内の警備体制を見直すことを決めたのだった。
「では、アデル。打ち合わせどおりに頼む」
「御意」
ビシッと頭を下げる従者は、今日はルイーズの専属騎士と同様に少し離れた場所から護衛することになっている。アランとルイーズ、マルセラ、そしてイレーヌの4人は、"ヴァンドール侯爵領に遊びにきた親戚の貴族子女が、侍女を連れて街歩きをしている"という体で出かける。ルイーズが食べたいと言っていたチーズケーキは、事前に同じホールのものを近衛騎士の数人が毒見しておく、ということで落ち着いた。
(例のものがルイーズに喜んでもらえるといいのだが……)
最後の目的地である教会で、ちょっとしたサプライズを用意している。領地についてから渡すつもりだったが、せっかくだからステンドグラスが有名な教会で渡したいと思い、急遽荷物の中から引っ張り出してきたのだ。
自分用に充てがわれた部屋を出て隣の部屋のルイーズに声をかけようとしたところで、アランは廊下の向こうから近づいてくる人物に気づいた。
(あれは……ファーブル子爵……?)
今回の旅の一行の中で唯一の爵位持ちである彼だが、初日に挨拶を交わして以来一度もルイーズや自分に接触してきていない。何人もいる魔導士の中で何故《幻覚魔法》の使い手であるファーブル子爵が選ばれたのか、その理由をアランは知らされていない。自分なりにその理由を考えてみたが、やはり東の国を警戒してのことだろうという結論に落ち着いた。
これまで自分たちとの接触を避けてきた彼の視線の先にいるのが自分自身だと気づき、アランは自然と体に力が入るのを感じた。
「……ご機嫌麗しゅう、ロッシュブール公子」
「おはようございます、ファーブル子爵。貴方の方からいらっしゃるなんて珍しいですね」
深々と頭を下げた子爵に、アランは軽く頭を下げる。余所行きの微笑を浮かべたアランを見て、ファーブル子爵は微かに緊張した様子を滲ませた。
「…今日は王女殿下と街に出られると伺いました」
「ええ、そのつもりです」
「私も護衛に加えていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
「貴方が護衛に……?」
「はい」
「……理由をお伺いしても?」
「実は昨日、デュカス殿とアデル殿と私とで殿下方が回られるルートを下見してまいりました。そこで、不自然な魔力の残滓を見つけたのです」
「不自然な魔力の残滓……それは、具体的にはどのようなものなのでしょうか?」
「そうですね……どうご説明すればいいでしょうか……」
学園で魔法学を学んでもいないアランにわかるように説明するのは難しいのだろう。ちょっとした好奇心から尋ねただけなのだが、顎に手を当てて思案するファーブル子爵に質問したことをアランは後悔し始めた。ここで時間を費やしてルイーズとの外出の時間が減ってしまっては元も子もない。
「私は魔法については全くの素人ですので、簡単な説明で構いません。要するに、その残滓とやらが通常の魔力行使では発生しないということさえわかれば」
「……わかりました」
チラリとルイーズの部屋の方を見たアランに気づいた子爵が、心得たように頷いた。
「では手短にご説明します。……日常生活で使う程度の魔力は、自然界に存在する魔力、いわゆる魔素というものを利用しています。もともと自然界にあるものですから、使ったあとには何も残りません。しかし、魔力を多く持つ者が自身の魔力を使って行使した魔法は、多かれ少なかれ魔力を使った跡が残ります。それが、魔力の残滓です。……今回発見した魔力の残滓は、通常の五属性に属する魔力ではありませんでした」
グランシェール王国の中で魔力が使える者のほとんどは貴族である。稀に平民の中にも存在するが、もし使えたとしても少し風が起こせるとか水が出せるとか、できることはごく限られている。昨日晩餐会で会ったマクシムとロレーヌは、王立学園で魔法クラスに入るほどの魔力持ちではないこともすでに調査済みだ。
「五属性以外の魔力、とは…?」
「……申し訳ありませんが、警備の都合上これ以上のことは申し上げられません。ただ、そのような魔法を使う者がこの地にいることが判明した以上、私がご一緒させていただく方が良いという結論に達しました」
「………なるほど」
(東の国の手の者が潜んでいるということか?)
鉛を飲み込んだように胃の奥がズシリと重くなるのを感じながらアランが頷くと、ガチャリと音を立てて貴賓室のドアが開いた。
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