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「今……え?……うそ……」
久しく他人から呼ばれることのなかった自分の名前。なんとなく前世の癖でノートの最後のページに書いてしまったそれを、目の前の人物は完璧な日本語の発音で口にした。
(……まさか、殿下も転生者なの!?)
机の上に積まれた本越しに、イレーヌは自分の主人を呆然と見つめる。こちらを見つめ返す落ち着き払った青い瞳に、王宮に来てからずっと胸に引っかかっていた何かがストンと落ちた気がした。
凛とした美しさと類稀なる魔法の才能を持つ王女。──それが『君バラ』でのヒロインのライバル、ルイーズの役どころである。ゲーム内では、生まれてから8年間伯爵家で育てられたため、王家に引き取られてからは王女として並々ならぬ努力を重ねた彼女の過去を思わせるシーンが出てくる。
そのことを知っていたイレーヌは、きっと10歳のルイーズならば、まだゲームに出てくるような完璧王女にはなってないだろうと想像していた。実際に会ってみると、ルイーズはこれまで会ったことがあるどの少女よりも美しく輝いていた。王女らしい気品の中にも年相応の表情を見せる彼女は、イレーヌの想像通りの"王女ルイーズ"に見えた。
しかし正式に王女付きの侍女として接する時間が多くなるにつれ、イレーヌは少しずつ違和感を感じるようになってきた。ルイーズは甥っ子のジャン王子との毎朝の走り込みに加えて、最近では魔法以外にミレージュ男爵家から講師を呼んで武術の訓練までしているらしい。更にアランだけでなくジェラールからも熱烈に求愛されているという、ジェラールルートを何周もプレイしたイレーヌからすると信じられない光景が繰り広げられていたのである。
あまりにゲームの設定と様子が違うことに正直戸惑っていたが、ルイーズが転生者ならば納得できる。
「驚いているところ申し訳ないけれど、これは貴女のものということでいいのよね?」
「………はい、そうです」
ふぅ、と小さく息を吐いて、ルイーズは椅子の背もたれに身を預けた。
「……そう。よかった、素直に認めてくれて」
「あの、殿下」
「何かしら?」
「その……殿下も、転生者……なのですか?」
恐る恐る尋ねるイレーヌに、ルイーズはにっこりした。
「"も"ってことは、貴女はそうなのね?」
「はい。前世では日本で女子高生でした」
「女子高生!若いわね〜」
「殿下は……」
「私は、大学生だったところまでは覚えてるんだけど」
「大学生…私よりお姉さんですね」
「ふふ、そうね。……ね、イレーヌ」
「はい」
返事をしたイレーヌに、ルイーズは少し躊躇うような素振りを見せた。
「貴女……『君バラ』って知ってる?」
「……っ、はい!知ってます!やっぱり、殿下もキミバラーなんですか?」
「……キミバラー?」
怪訝な顔で返されて、イレーヌはしまったと思った。
「すみません。キミバラーというのは、『君にバラの花束を』の熱烈なファンの人のことでして…」
「なるほどね。…私は『君バラ』のことは知ってるけど、プレイしたことはないの。だから、もしイレーヌがプレイしたことがあるなら、いろいろ教えてもらいたいと思って」
「それならお任せください!全ルートの全部のエンドを見るまでやり込んだのでバッチリです!!」
イレーヌが鼻息も荒く拳を握ると、ルイーズはとても楽しそうに笑った。
「それは頼もしいわ。どうもありがとう」
「……あ、でも…プレイされたことがないなら、どうしてここが『君バラ』の世界だって分かったんですか?」
「ああ、それはね。この世界を元にした『プリロズ』ってゲームがあるでしょう?」
「男性向けの方ですよね?」
「そう。それに前世の弟がハマっていたのよ。何度もムービー画面を見させられたし、攻略についても熱く語られたりしていたから、それなりに詳しくなってしまって」
苦笑気味に話すルイーズは、前世ではイレーヌよりも歳上だったらしい。そしてなんと、自分が思いつきもしなかった『プリロズ』の内容を知っているという。
「そうだったんですね。でも…確かにそうですね。ここが『プリロズ』の世界という可能性もあるんですよね。……私『君バラ』の世界に生まれ変わったのが嬉しすぎて、考えてもみませんでした」
しゅんとしてしまったイレーヌを励ますようにルイーズが明るい声を出す。
「ううん、イレーヌがいてくれて本当に心強いと思っているのよ。だってほら…転生もののラノベとかでは、いろいろなパターンがあるでしょう?ゲームの強制力で行動が制限されたり、設定だけがゲームどおりだったり、世界観だけのパターンもあるわよね。しかもこの世界の場合、2つのゲームがあるからそのどちらかなのか、両方なのかということも考えなければならないし」
「そうですね…」
「だから、イレーヌの持っている情報がとても重要になるの。私の情報と両方を合わせた上で、どんな状況にも対応できるようにしておかないと」
真剣なルイーズの表情を見て、イレーヌの中にふと疑問がわいた。
「あの、でも…殿下は王族の方ですし、ヒロインが攻略に成功しても没落エンドはありませんよ?グッドエンドでも、外国の王家に嫁ぐとかだったと思います」
自分としてはルイーズに付いて外国へ行くことはできれば避けたいが、仮にそうなったからといってそれなりに楽しく暮らせるのではないかと思っている。ましてや王女であるルイーズは、おそらく王妃か少なくとも王弟の妃として嫁ぐことになる。一体それのどこに不満があるというのだろう?
キャシュフォール侯爵家の姉弟に向かってアランへの気持ちを告げた時、イレーヌはその場にいなかった。そのため、ルイーズがアランと仲が良いのは知っていても、きっとジェラールと同じくらいの親密さなのだろうと思っていた。
イレーヌの何気ない質問に、ルイーズは眉を寄せて俯いた。何かに耐えるようなその表情を見て、イレーヌはある可能性に思い当たった。
(もしかして、殿下はアラン様のことが……)
ゆっくりと顔を上げた主人の顔を見たイレーヌは、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……イレーヌ」
「はい」
「『君バラ』でジェラールとジョアンのルートは私が婚約者だと書いてあったわね」
「…そうです」
「他の人のルートでもそうなの?私はそのどちらかの婚約者なの?」
「……そうですね。基本的にはジョアン様の婚約者としてロッシュブール公爵家に嫁がれるパターンだったと思います」
「やっぱりそうなのね。……ということは、アラン様は……」
「………事故で、お亡くなりに……で、殿下!?」
はらはらと綺麗な青い瞳から零れ落ちる涙を見て、イレーヌは慌てふためいた。行儀が悪いことも気にせず音を立てて椅子から立ち上がると、向かいに座る主人の元へ駆け寄った。
「ごめ、んなさい……泣くつもりはなかったのに……」
「殿下……」
「勝手に涙が出てきて……止まらないの」
小さく嗚咽を堪えるように涙を流す王女の姿に、イレーヌは心臓をギュッと掴まれるような気がした。ゲームの設定だからと何の気もなく受け入れていたことが、こんなにも人の心を抉ることもあるのだということに、ここがゲームではなく現実の世界なんだということに、今更ながら気づかされたのだった。
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